翌日、一行はヨームゲンを出発した。
フェローに会えなかったことで旅の方向性を見失いかけていたものの、ジュディスの提案により、ひとまずノードポリカのベリウスを訪ねることになった。レイヴンはドンからの手紙を渡さなければならなかったし、カロルも戦士の殿堂を治める統領に一目会ってみたいという。リタはカドスの喉笛のエアルクレーネを調査したがっていたし、各々にとっても都合がよい、という訳だった。
そのため、一先ずはマンタイクを目指すことになった。砂漠で救出した夫婦と、パティも一緒である。
一度越えたとはいえ、砂漠の厳しさは相変わらずである。行き倒れる直前に遭遇した化け物が再び現れることがなかったのは幸いだった。
(あれは、何だったんだろう……?)
暑さのせいだろうか。戦いを歩みを繰り返すうち、右目に鈍い痛みを感じつつも、は仲間たちとともに歩き続けた。
生き物とは言い難かったあの存在と相対したことは、何か意味があるのではないかと思った。しかし自分だけでは答えなど出せず、思いつきに等しいこの推測では、妄想の類と一緒だ。
しつこい義眼の痛みに耐えるためにも、は考えることを止めた。
昼の熱射に耐え、夜の寒さに耐え、やっとのことでマンタイクまで戻ってきた一行は、思わぬ光景を目にすることになった。
街の人々が外に出ているのである。騎士団により外出禁止令が敷かれていたはずが、どうしたことだろう。
その理由は、すぐに知れた。
人々のそばには馬車があり、騎士団がそれを取り囲んでいた。
そしてその中に、一際目立つ派手な鎧の男の姿があった。
――キュモールである。
「ほらほら、早く乗りな。翼のある巨大な魔物を殺して死骸を持ってくれば、君たちは子供ともども楽な生活が送れるだけのお金が貰えるんだよ」
そう促しても住人が馬車に乗るのを渋っていると、彼はすぐに「下民どもめ!」とヒステリックに叫び出した。怒鳴り散らし、騎士を使い、無理やり住人を馬車の中に押し込めていく。
「私たちもあんなふうに、砂漠に放り出されたんです」ユーリたちの影で震える夫婦が呟いた。
キュモールの話した魔物とはおそらくフェローのことだろう。しかし騎士団がフェローを求める理由が掴めない。
「……それで、どうするのかしら? 放っておけないんでしょう」
ふとジュディスが仲間――主にエステルを指しているように感じられた――に向けて訊ねた。
エステルは「わたしが……」と進み出掛けたものの、ユーリがそれを制した。
「あのバカ、お姫様の言うことも聞きゃあしねえしな」
「じゃあ、どうするんです?」
「――カロル、耳貸せ」
エステルの問いに答える代わりに、ユーリはカロルを呼び寄せた。そのままカロルにユーリが何やら耳打ちする。
途端にカロルがぎょっとした。
「ええっ? できるけど……道具が……って、もしかして」
「ええ、準備は出来てるわよ」
「やっぱりね……」
微笑むジュディスの手にはレンチ。
カロルは諦めたようにそれを受け取る。
ジュディスは、あんなものを一体何処から持って来たのだろうか。は疑問に思ったが口にしなかった。情けない話だが、右目の痛みが全く引かないのだ。それどころか鈍痛は頭にまで及び、正直、立っているのがやっとなぐらいである。
痛みに耐えながら、今にも砂漠に放り出されんとしている住民たちの無事と、カロルがうまくやってくれることを願った。
――突如、ガタンッと大きな音が響いた。
見れば、馬車の後輪がひとつ外れてしまっている。バランスを崩した馬車と、それを見てまた叫ぶキュモールの様子から察するに、復旧にはそれなりの時間を要しそうだ。
その騒ぎの中を、レンチ片手にわたわたとカロルが戻ってきた。
「お疲れさん」
「ドキドキもんだったよ」
労うユーリに、カロルは冷や汗を拭いながら笑った。
作戦の成功を喜ぶ彼らに、リタはいまいち晴れない顔で呟く。
「でもこれって、ただの時間稼ぎじゃない」
その通りだった。これだけでは根本的な解決には及ばない。
皆が判っていることだった。
それでも――。ジュディスはリタを振り返りながら肩をすくめる。
「これが限度ね、私たちには」
「うちらも旅の途中だからの」
ジュディスに続いてパティがそう言い添える。きっとリタもそれは理解していて、敢えて先のように口にしたのだろう。二人の返答にリタは何も言い返さなかった。
時間稼ぎでも、それが上手くいったことには変わりない。は一先ず安堵していた。
「とりあえずは、良かった――……」
そしてその安堵に流れるままに、瞼を閉じてしまう。
砂漠越えの疲労と頭の中を支配する鈍痛に、一瞬意識を持っていかれそうになったが踏ん張って堪える。
気を紛らわすようには、騎士団とキュモールを見つめた。
――あいつ、前と何も変わらない……。
自分の名声のために人々を「下民」とこき下ろして蹂躙し、ヘリオードでは皇族であるエステルに刃を向けた。あの男の非道ぶりは増すばかりである。
このまま放置していては同じことを繰り返すだろう。
出来る限りすぐ、手を打たなければならない。
「騎士団に表立って楯突いたら、カロル先生、泣いちまうからな」
そんなユーリの呟きに、はふと我に返った。
思ったよりユーリの声が落ち着いている気がする。キュモールによる圧政を見て、彼はもう少し怒りを露わにするかと思っていたのだが。
同時に胸中に過る予感。まさかとは思いながら、払拭し切れないそれ。
は、しばらく彼から目を逸らせずにいた。
「――あのキュモールっての、本当にどうしようもないヤツね」
宿屋の客室で、リタはそう零した。
あの後一行は、救出した夫婦と別れ、宿を取った。そして夜が更け、皆で昼間のキュモールについて語っていたのある。
は疲労でベッドに横たわり口を閉ざしていたが、仲間達の会話はしっかりと聞いていた。後で話についていけなくなるのが寂しいからだ。
騎士団がフェローを捕獲したがる理由も気になるが、あの様子ではマンタイクの大人たちは次々と砂漠に放り出され、大人がいなくなったら子供ですら利用するであろう。キュモールがそういう人間であることは確認するまでもない。
しかし、キュモールばかりに気を取られている訳にはいかない。
「このままキュモールを放っておくなんていけないです」
「ノードポリカへ行く話はどうなるのじゃ?」
キュモールを何とかしようと躍起になるエステルに、パティの呟きは響いた。
口ごもるエステルへ、リタも諭すように言葉を掛ける。
「とりあえず、自分のことか人のことか、どっちかにしたら?」
「知りたいんでしょ? 始祖の隷長の思惑を。だったら、キュモールのことは今は考えないようにしてはどう?」
リタに続いてジュディスが口を開く。「あんたと意見が合うとはね」沈んだ声と共にリタはジュディスを見た。それからもう一度、彼女はエステルに向き合った。
「あたしもベリウスに会うのを優先した方が良いと思う。キュモールを捕まえても、あたしらには裁く権利もない。どうしようもないなら出来る事からするべきだわ」
「フレンなら……!」
「フレンは、どこにいるの……?」
尚も食い下がるエステルにカロルがそう訊ねた。痛いほどエステルの気持ちを知りながら、それでも現実を考えた少年の声は寂しそうだった。
カロルの質問に、エステルは答えられなかった。
俯く彼女に、しんみりとパティが声をかける。
「二つのことをいっぺんにしようたってできないのじゃ」
「ごめん、エステル。みんな責めてるわけじゃない。あたしだってムカつくわ。今頃、詰所のベッドであいつが大いびきかいてるの想像したら。でも――」
「リタ……わかってます」
悲しげなエステルの声に、は堪らなくなった。思わず涙ぐみながらも、必死に彼女へ言葉を掛けようと声を絞り出す。
「そうだよね……。わかってても……訴えたくなるよね。悪い奴には、罰が当たってほしい。でも、たとえキュモールを運良く誰かが捕まえてくれても……」
「釈放されたらまた同じことを繰り返すでしょうね、ああいう人は」
口ごもるの気持ちは、ジュディスがすっかり代弁してくれた。
たとえ都合よくフレンが来て、キュモール達を捕え、罪が暴かれたとしても。
今の世界の法が、正しい裁きを下してくれるだろうか?
現にラゴウは、罪を逃れようとした。結果――自身の命で贖うことになった。
ラゴウの罪からしては当然の報いだ。正直、死んだとて償いきれるものではないとは考えている。
キュモールも同じだ。早く、そして確実に手を打たなくてはならない。
その手段がの中にはひとつだけあり、実行する決意もあった。
だがそれはきっと、ユーリも同じ。
「バカは死ななきゃ治らないって言うしねえ」
レイヴンのそんな呟きを神妙な面持ちで噛み締めるユーリを、は、ずっと見つめていた。
かつて自ら悪に手を下した、仲間の姿を――。
◆◆◆
仲間が寝静まった夜中、は音もなくベッドを抜け出した。
砂漠越えの疲労で熟睡する仲間達を起こさないよう、細心の注意を払って移動する。そしてその時、やはりユーリの姿だけは無いことを確認した。
昼間はあれほど悪かった体調もすっかり回復していた。頭の中に熱でもこもっていたのだろう。涼しくなったことも有り、行動にはなんら差支えない。
――今度こそ泣かないで、言わなきゃ。
はそう誓いながら、宿屋を出た。
騎士たちの詰所の方を目指して歩を進めると、淡い月光に照らされ、漆黒の人影が浮かび上がっていくのが見えた。
ユーリだ。
「――」
駆け寄ろうとした瞬間、予想だにしない呼び声で体が硬直する。
ユーリに気付かれたらしい。彼が何を言いたいのか、には見当がついていた。
それでもは、彼に歩み寄っていく。
「ユーリ」
「部屋に戻れ」
間髪入れぬユーリの言葉に、は従う訳にはいかなかった。
ユーリがため息を吐いたのが知れた。彼はゆるりと此方を振り返る。
鋭利とさえ思えるぐらい平静で在ろうとする、そんなユーリの中に渦巻く苦悩が如何程のものか。
少しでもそれを取り除いてあげられたらどんなにか。
そのために自分がするべきことは、何なのか。
は唇を引き結んだ。
「戻れ」
冷やかな彼の声に、頑なに首を振る。そして歩み寄り続け、距離を縮めた。
大事な人たちに嫌な思いはしてほしくない。
嫌なことはさせたくない。
苦しむようなことはさせたくない。
その代わりに、自分が全てを引きうける。
失われた記憶だけではなく、自身の心がそう在りたいと強く願い、望んでいた。
――しかし、その方法ではユーリの力になれない事は以前知らされた。
それでも、言わずにはいられなかった。
「罪は許されない、罰を受けなきゃならない、だから誰かが裁きを下さなきゃいけない、たとえ許されないやり方だとしても……でも」
目の前のユーリを見上げながら、は必死に口を開いた。
「ユーリが背負い込むこと、ない」
震えながらも訴えるに、ユーリは静かに目を伏せた。
その瞳の奥に揺らぐものがあるのを、はしっかりと見てとれた。
「その言葉、そのまま返すわ」
「ユーリ……」
「背負い込んでるのはお互い様だろ、お前が記憶の事で苦しんでるのぐらい判ってんだ」
は息を呑んだ。
記憶が自分を追い詰めて、こんな激情を齎していることを自覚していたからだ。記憶の影響で感情が先走り、突拍子もない判断をしてしまうこともある。
――護らなくてはいけない。
――赦されてはならない。
特に強く彼女を揺さぶる二つの想いが、心の不安定さに拍車をかけてしまう。
泣きそうになりながらも退こうとしないの肩に、ユーリはそっと右手をかけた。
「お前はお前の記憶の事をまず何とかしろよ。それにこれは――」
「誰かがやらなきゃいけないからとか、そんなんじゃない」
突然が言葉を遮って来たことに、ユーリは目を丸めた。のそれは、ユーリが今まさに伝えんとしていたことだったのだ。
は、泣きそうな笑顔で続けた。
「ユーリがユーリ自身で選んだ道。だから、ユーリのことを本当に想うなら、私はユーリを止めたり、代わりになんて思っちゃいけない。……だよね?」
その時ユーリは、が自分を追って来た本当の理由を察した。
緊迫していた顔を少しばかり和らげて、を見つめる。
「……てっきり、俺の代わりにキュモールを、なんて言うのかと思ったぜ」
「本当はそうしたい。でもそうしたらユーリ……、今の私みたいなこと、思うはず」
「まあ、な」
ユーリの言葉からはいつも、言葉以上に大きなものが伝わってくる。
今伝わってくるのは、強くて固い覚悟の念。
こんな状況だと言うのに、はユーリに微笑ましさすら募らせていた。
しかしすぐにその感情を引っこめると、真剣な眼差しでユーリを見上げた。
決意には、決意をもって返す。
それが今のに出来る最大限で、今のが考え付いた結論だった。
「ユーリが決めたことを、私がとやかく言ったら駄目なんだよね」
「これはオレがオレ自身で選んだことだからな」
「うん、そうだね。ラピードさんだって、それを知っているんだものね。……でもね、ユーリ」
は、未だ自分の肩に添えられているユーリの右手を取った。その手を両手できっちりと包み、少しだけ強めの力を込めて握る。
「私はユーリと同じ立場だったら、私も同じ手段を取る。放っておいたら、もっと死んでいってしまうから。だから、私もユーリと一緒。同罪だ。だから、だから……」
「だから……なんだよ?」
問われたは、意を決したように口を開いた。
「私とユーリが仲間なのは、何があってもずっと一緒で、味方だよ」
きっと他の皆も、そう思ってるだろうけれど。
消え入りそうな声でそう続けたは、ゆっくりとユーリの手を離した。
ユーリは瞬きした。
きつく握られた手にはまだ、彼女の温度が残っている。零された言葉とともに。
……ユーリは呆れたように笑った。
「ものすごく判りづれえけど、ものすごく伝わった」
「ご、ごめん」
「……じゃあ、お前は先に戻ってな」
ユーリはそれきり何も言わず、今度こそ踵を返して行ってしまった。
はしばらく、彼の背中を見つめて呆けていた。
これで正しかったのか、間違っているのか、何も判らない。
でもせめて何か言いたかった。
拙くても、罪を知った仲間として、伝えたかった。
そしてそれは少なくとも、悪いことでは無かったのだと信じたい。
そのために、はひたすら、先のユーリの笑みを思い返していた。
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