騎士団を撒いたユーリたちは、ようやくカドスの喉笛を出る事が出来た。
 久しく視界いっぱいに広がる緑が、山越えを果たした彼らを労うように微風に揺れていた。砂漠の暑さと冷え込む洞窟の温度差に耐えた分、草原の空気は以前にも増して心地よく感じられる。

「やっぱり帝国の力ってまだまだ大きいよね」

 カドスを抜けて幾らか歩を進めた頃、カロルはぽつりと呟いた。

「ノードポリカからの道を全部塞いじゃうなんてさ」
「そりゃ、ギルトとは元々の力も違うしねえ」

 しんみりとレイヴンが同調する。「さすがのユニオンでもこうはいかないわな」ギルドを知って長いであろう彼の言葉に、改めて帝国の存在の大きさを実感させられる。
 そんな帝国のやり方に対して、ユーリは不機嫌そうに口を開いた。

「帝国ならではの力押し作戦って感じだな。目的がハッキリしてねえ分、殊更胸糞悪いわ」
「その目的もきっと、ノードポリカに行けばハッキリするでしょう。追手に捕まらない程度に急ぎましょ」

 ジュディスの言うとおりだった。誰からともなく頷き、歩みを進め続ける。
 そんな中、リタは考えをまとめようとずっと沈黙していた。魔物との戦闘になればすぐにそちらに思考を切り替え、戦闘が終わればまたすぐ考え込む。器用なものである。
 カドスを出てからほぼ黙りこんでいるリタに、は、何となく責任のようなものを感じていた。
 自分の裏付けのない言葉より、今までの経験や知識から語るリタの方が、ずっと納得のいく話をしていることを、は誰よりも痛感していた。しかし今までが「やろう」と思ってやったことは、既に溢れているエアルを減らそうという考えからだった。そして、エアルはそんなの意思に同調してくれたはず。
 自分が何故そんなことを考えたり出来たりするのかは判らないが、とにかくエアルクレーネを暴走させるつもりは無かった。

(……でも、それもやっぱり私がそう思ってるだけで、私の意思とは無関係に悪い影響を引き起こしてるのかもしれない)

 胸の中に蟠る思いに、は人知れず落ち込んでいった。しかし落ち込むだけでは終わらなかった。
 俯きかけていた顔をすっと上げ、未だ考え込んでいるリタに向き直る。

「リタ」

 呼びかけると、彼女はすぐにの方を向いた。ふたりが立ち止まると、仲間達も様子を察して足を止める。
 は改めて口を開いた。

「エアルクレーネの暴走、私のせいかもってリタが言ってたの、納得いく」
「は? でもあんた、自分で“違う”って言ったでしょ……」
「記憶のない私より、知識の豊富なリタの言うことの方が信じられるし実感あることだと思う」
「あたしの話だってまだ仮説だし……他の可能性だってあるわ」
「大丈夫、ちゃんと判ってる」

 それら全てを前提にしたうえで、は続けた。

「だから、もし私の魔導器がエアルクレーネによくないものだとしたら、私はこの魔導器を壊す」
「えっ!?」
「壊せなかったら、止めるでもいい。何とかする。エアルを暴走させるような危ないもの、放っておいたら駄目だから」

 リタのみならず、他の仲間もの発言には驚いた。
 の魔導器を壊すことは、目――自身の体の一部を捨てるに等しい。そしてその魔導器の位置は、リタが以前から脳への影響を示唆するほど複雑な場所にある。
 それを“壊す”と、迷いなく言い切ってしまった。
 よりにもよって魔導器を愛するリタの前で。
 まるでかの竜使いを目前にしたかのような剣呑さを持って、彼女はを見据える。

「どんな魔導器であろうとあたしの前で“壊す”と宣言するなんていい度胸だわ……あんた」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなことしたら、の体も危ないんじゃない? それに、リタにも良く判らない魔導器なんでしょ? の目って……」

 の言葉を真正面から受けたリタよりも、よっぽど動揺した様子でカロルが喋る。
 普段は飄々としたレイヴンも、さすがに真面目な顔をして口を開く。

「下手にいじくったりしない方いんでないの? しかも上手く魔導器が止まったとして、ちゃん、目が見えなくなっちゃうんじゃない? きっと不便よ」
「目はもう一つありますよ? なんとかなります」

 だが、はけろりとした顔で一言返すだけ。妙に肝の据わった彼女に、カロルらは言葉が出てこない。
 それまでたちの会話を見守っていたジュディスが、リタを顧みながら話した。

「魔導器のことなら、魔導器が大好きで詳しいリタが力になってくれるんじゃないかしら」
「そうですね! リタなら、の魔導器のこと、きっと力になってくれます」

 ジュディスの提案にエステルは目を輝かせながら頷いた。そのままリタへ向き直ると、皇女は微笑みを浮かべたまま、決意するように拳を握って話す。

「わたしにも力になれる事があったら手伝います。ね、リタ」
「もし本当にの魔導器が暴走を引き起こしてたらの話、だけどね」

 そっけない風に――わざとそうしているように感じられた――、リタはエステルに返した。それから少しばかり頬を染め、照れ臭そうに続ける。

「……あたしがの目、絶対に何とかしてやるわよ。その暗号も解いて、悪影響を及ぼす術式を無力化して、目としては使っていけるように」
「はい!」

 エステルはますます笑顔を深くした。
 そんなふたりのやりとりに、も笑みを浮かべる。魔導器をただ止めるのではないという、リタの優しい決意に何とも言えない嬉しさが溢れてきた。

「ありがとう、エステル、リタ。……正直私だけじゃ魔導器を何とか出来る気しなかったから助かる」
「やっぱり、出来る気しないで言い切ってたのね……」

 思わず呆れた声を出すリタに、開き直ったように明るい顔では頷く。
 彼女たちの話を理解しているのかは知れないが、パティはまるで保護者のように成り行きを見守っている。

「うむ、立派な度胸なのじゃ。さすがうちのファンなのじゃ」
「いつからがパティのファンになったの」
「砂漠という過酷な海原に飛び出した時、うちに果敢についてきてからなのじゃ」

 腕を組み深々と頷くパティにカロルが突っ込むもの、しれっと流されてしまう。カロルもカロルで反応を期待はしていなかったと思われる。それ以上何も言わない。
 とりあえず話が落ち着いたようだ。それを確かめたユーリは、仲間を振り返りながら言った。

「さ、そろそろ行こうぜ」

 彼の言葉に、思い出したかのように仲間達は頷いた。
 それを見て、ユーリが再度口を開く。

「このままのんびりしてて街が封鎖されて入れない、なんてなったら大変だしな」
「それもそうだわね。あの騎士団の様子じゃ、次の新月を待つって訳にもいかなそうだし」

 空を仰ぎながら、レイヴンが遠い目で呟く。
 確かに、人魔戦争だ何だと物騒な噂が飛び交うこの状況では、次の機会に恵まれないかもしれない。
 ベリウスとは、一体どんな人物なのだろう。
 本当に人魔戦争に関わっていたのだろうか。
 そして恐らくベリウスが知るであろう、始祖の隷長とは何なのか……。
 それぞれの胸にそれぞれの思いを抱きながら、ノードポリカへと続く街道をひたすらに進んでいった。


◆◆◆


 ノードポリカには、予想よりもすんなりと入ることが出来た。街の中にはところどころに騎士の姿があるが、特別に警戒して配備したという訳でもない、ごく普通の人数だ。住民にも変わった様子は無い。だが、ギルドの街が騎士団を受け入れている時点で可笑しいと言えば可笑しいのかもしれない……。
 改めてパティがこの旅に同行する意思を表明し、ユーリたちもそれを受け入れて一段落した頃、一行は宿屋へと向かった。新月の夜は丁度今夜である。それまで一休みすることになったのだ。
 仲間達が思い思いに夜までの時間を過ごす中、は宿屋を出た。ひと眠りしようとも思ったのだが、何となく嫌な夢を見そうで止めてしまった。
 闘技場を出てすぐの階段を下り、道の端へ行くと、眼下には海が広がっている。そこそこの高さがあり、落ちたら上がるのは苦労しそうだ。
 人気のない道端で薄暗い海面を見つめていると、背後から誰かが近付いてくるのが判った。ヒールの底が石畳を軽く叩くような、女性の足音――。
 何となく人物の予想がついたは、笑いながら足音の方を向いた。

「やっぱりジュディスだ」
「ふふ、ばれちゃったわ」

 大人びた笑顔を浮かべながら、ジュディスはへと歩み寄って来た。

「休まなくていいの? マンタイクでだいぶ調子が悪そうだったし、病み上がりってところでしょう?」
「気付いてたの? 私が調子悪いの……」
「ただ暑さにやられたってだけにしては元気が無かったと思って」

 他の皆は気が付かなかったでしょうけれど、とジュディスは小首を傾げながら呟いた。
 は瞬きした。
 初対面の時からずっと、ジュディスを神秘的だと感じていた。
 彼女の立ち振る舞いや言葉の大人っぽさは、此方に彼女の多くを教えようとしない。違和感の無いそれが殊更、彼女のミステリアスな印象を引きたてて、魅力にさえ思えて。
 しかしは、ジュディスが何か強い決意を持っていることは確信していた。
 彼女の眼差しは時に、魔導器の研究をする旅人にしては重く鋭いものを宿す。戦闘のたび、その外見からは想像もつかない槍捌きで敵を圧倒する様を見てもそうだ。
 何と言えばいいのだろう。考えたの中に、これだ、というものがぽっと浮かぶ。
 例えるならば、ジュディスは……ユーリに似ていた。

、どうしたの黙り込んじゃって」
「え? ああ、うん。ジュディスのこと考えてた」
「そんな真正面から言われると恥ずかしいわね」

 珍しくジュディスは本当に恥ずかしそうだった。と言っても彼女はから視線を逸らしたのを見て、が勝手に「恥ずかしそう」と解釈しただけだ。
 それでもは妙に嬉しかった。

「思ってること、なるべく素直に話した方いいなって思うようになったから。好きな人に、“好きだよ、大事だよ”っていう気持ちをちゃんと伝えておかなくちゃってね」
「あら、私、告白されてるのかしら」
「え、えっと……何て言うか、ジュディスのこと大事で大好きな友達って思ってるの、私」
「……そう」

 茶化されて一瞬顔を赤くしながらも、はしっかりと答えた。その姿か答えかは知れないが、ジュディスは何かが意外そうに目を丸める。
 は更に言い募った。

「だからその、ちゃんと言っておきたいの。いっぱい。上手く言えなくても、とにかく話したいなって思った」
「どうしてそんな風に思ったのかしら?」

 風のない海のように穏やかに、ジュディスは訊ねた。
 そんなジュディスに、で、静かに答える。

「エステルだけじゃなく、私も多分、始祖の隷長と何らかの関わりがある。もしかしたらベリウスに会うことで、記憶が思い出せたりするかもしれない。そうしたらその時……私は、私でいられなくなるのかもしれないから」
「……思い出した記憶が、あなたをそうさせるかもしれないということ?」

 頷くを見て、ジュディスは悟った。
 は、自身の記憶が失われた原因が“記憶そのもの”にあると知ったのだろう。そして今回、ベリウスとの面会で記憶が戻ったとしたら、はそれと向き合わなくてはならない。きっとそれは、ジュディスにも自身にも想像がつかないほど、深くて大きな傷――。
 記憶を取り戻したいという思いと同じくらい、は自身の記憶に対して怯えている。その怯えを堪えながらも記憶を探し続ける事が出来るのは、やはり仲間の存在が大きいのだろう。
 自身も決して弱くはない。だからこそ、は旅を続けた。人柄も随分明るくなったと思う。……いや、これが彼女本来の性格なのかもしれない。
 そんな彼女が心を開いてくれているのを、ジュディスは素直に受け止められずにいた。
 ジュディスは沢山の隠しごとをしている。彼女の記憶に関わるであろう事情も少なからず知っている。
 始祖の隷長が何者かも知っている。
 だからこそジュディスは、それとなく、皆にノードポリカへ向かうよう提案することができた。
 それをは知らない。
 罪悪感めいたものがジュディスの胸に蟠り、憂鬱とさせた。
 ジュディスの沈黙には僅かに戸惑った。しかし慌てることなく、一度空を仰ぎ心を落ち着かせ、再度ジュディスに向き直る。

「でも私、皆が一緒なら、きっと大丈夫だと思うから。何とか全部飲みこんで立ち直れると思うから。……だからさ、改めてジュディスとお友達になりたいというか……もっと仲良しになりたいなって……」

 もごもごとした語尾は、自信の無さと言うよりは恥ずかしさの表れだった。
 そんなの姿に、しばらく目を伏せていたジュディスは――。

「今更じゃない? もう私たち、十分に仲良しなお友達よ」 

 そう笑って、顔を上げた。
 ジュディスの言葉に、は目を輝かせる。

「うん! 良かった、なんか私、ジュディスにはしっかりと話しておきたいなって思ってたから嬉しい!」
「私も嬉しいわ、こんなに好かれてるなんて」
「ジュディスは良い人だから! もっともっと仲良くなりたいの!」

 真っ直ぐなの答えに、ジュディスは毒気を抜かれたような思いだった。

「私が、良い人?」
「誰だって、家族や仲間の誰にも言えないような気持ちを持ってて当然だと思う。……誰かを大事だと思えば思うほど、言えなかったりする。記憶が無い私でもそうなんだもの。でも、それでも、こうやって過ごして、私が知ることが出来たジュディスは、良い人なの」

 ジュディスは言葉を失った。此方が見透かしているつもりが、逆だったのだと知らされる。
 は、ジュディスが仲間達に言えぬ何かを抱えていることに気付いていたのだ。気付いたのは以前からか、今この瞬間なのか。タイミングはいずれにせよ、が選んで紡いだ言葉は、単なる偶然ではないことをジュディスは理解した。
 何も言えぬ彼女の手を取り、は続けた。

「初めて会った時も私を助けてくれた。真剣に言葉を聞いてくれて、甘やかすんじゃなくて、ちゃんとした言葉をくれた。今も、お友達になりたいっていう私の我儘を聞いてくれた。だから私、ジュディスが困った時や辛い時、力になりたい」
「私が、困ったり、辛い時……」
「そう。だから、勝手かもしれないけれど……何かあったら頼ってね」

 ジュディスは、繋がれた手に視線を落したままだった。の控えめな温もりを手袋ごしに感じながら、の言葉のひとつひとつを胸中で繰り返す。
 言葉と、手の温度。
 何処か懐かしいほどに優しく、しかし、胸の奥の傷に沁みて辛い。
 ジュディスの柳眉は苦しそうに下がった。しかしその優しい痛みをもっと欲していた。
 それを知ってか知らずか、は語る。

「カロルたちと違って、ユーリやジュディスは、ちゃんとそう言わなきゃ頼ってくれない気がするから。仲間なのに、頼ってもらえないの寂しいもの」

 何時の間にこの子は、こんな風に話せるようになったのかしら。
 飾り気のない、真っ直ぐすぎる言葉。言葉の中から溢れて伝わる感情――。
 ジュディスは不思議だった。と語るたびに、どうしてかバウルのことを思い出すのだ。言葉にしなくても互いの心が通うような、沈黙が続いても苦しくない、あの居心地の良さを。
 初めて会った時から、ジュディスがを特別視していることは事実だった。だがそれはあくまで彼女の魔導器と力のせいだ。
 つまりこれは――ジュディスの中で、に対する感情や興味の形が変わって来ていることを示していた。

(……なんなのかしら、私)

 もやもやとした、まとまりのない思考にジュディスは目を閉じた。
 疲れているのだろうか? それともベリウスとの謁見を前に緊張しているのだろうか?
 どれもしっくりこない。
 ただ、こうしていると、やたらと繋いだ手の存在が気になって、火照ってくるような思いがした。
 内心慌てながら、ジュディスは目を開けた。それからそっとの手を解いた。

「ありがとう、。嬉しいわ、とっても」

 顔を上げたジュディスは、そう笑って答えた。無意識のうちに自身の心臓を抑えるように胸に手を当てて、その仕草すらに見せまいと背を向ける。
 そのままジュディスは、に呼びかける。

「……先に宿に戻るわね、私」
「そう……。ゆっくり休んでね」
「ふふ、もちょっとは休むのよ?」

 肩越しに振り返ると、は小さく頷いていた。それを確認すると、ジュディスは踵を返して宿屋へ引き返して行く。
 に背を向けた彼女の表情は、困惑が滲んでいた。妙な緊張がジュディスの体を強張らせていた。何だかもぞもぞして、居心地が悪いような、しかし嫌ではない。何と言えばいいのだろう。
 その理由を探ろうとした矢先、ジュディスは今さっき、へ答えた台詞を思い返した。
 “嬉しいわ”だなんて。
 仲間に打ち明けられぬ不安や悩みが胸中を渦巻きながらも、その瞬間のそれは、確かにジュディスの本心だった。その言葉を聞いたが、満面の笑みで喜びを露わにしてくれたこともまた、ジュディスにとっては嬉しいものだった。
 それから更に考えを巡らせて、ふと頬に手を当てた時、思い当たるものを見つける。
 ――私、本当に照れていたのかしら。
 夜風に触れて冷えるどころか、彼女の頬は、すっかり火照っていたのだ。
 そして今、自分が頬に添えている手をさっきまでが握っていたのだと思い出すと、火照りと困惑は確実に増していった。
 自身がに向けている感情の形が、何に変わろうとしているのか。
 一瞬答えを導き出しかけたものの、ジュディスはわざとその疑問を頭の隅に追いやったのだった。

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