世界が救われたのちの、ダングレスト――。
魔導器を失った世界に未だ混乱のある人々は多い。魔導器に頼らない新たな生活の中、皆が戸惑いながらも手を取り合おうとしていた。
その変化を噛み締めながら毎日を生きる少年が一人、街を駆け抜けていく。特徴的な前髪の小柄なその姿を、この街で知らぬ人はいない。
ギルド〈凛々の明星〉の首領、カロル・カペル。
まだ立ち上げて一年過ぎたばかりぐらいであったが、色々あってギルトの知名度は高かった。が、知名度の割に文字通りどんな仕事も引き受けてしまう、一見すれば雑用と似たような仕事ぶりが、新メンバー獲得の際に大きな壁となっていた。それでも日々カロルは懸命に仕事をこなし、募集も続けている。
そんなカロルが、いつにもまして真剣な顔で街を走り回っているのは、彼の握りしめている手紙が要因であった。
早くレイヴンにも見せなくちゃ!
逸る気持ちを抑えながら、少年は街の入り口に掛かる橋へと辿り着いた。
橋の手すりに凭れ、空を仰ぐ男の姿を認めると、カロルは声を張り上げる。
「レイヴン!」
名を呼ばれ、男――レイヴンは此方を向いた。呆けたような眼が「およ、少年」という呟きに同調し、不思議そうに開かれる。
手紙を改めて握りしめ、カロルはレイヴンの元へと歩み寄っていった。
「またサボリ? ハリーに怒られちゃうんじゃないの?」
「休憩よ休憩。おっさん良い歳だから、あいつらほど突っ走ってらんないのよ」
そう言って肩を竦めると、レイヴンは再び空を仰いだ。カロルも、彼を真似て空を見上げてみる。
ダングレストの変わらぬ黄昏色の空は、自分たちを含めた全てを優しく包み込んでくれている。未だにあらゆることが途上である住人たちにとって、慣れ親しんだ癒しの陽色。
カロルはちらりとレイヴンの方を見た。
良い歳だ何だと言いながら、レイヴンがこの状況を楽しんでいることをカロルはよく知っている。
世界から魔導器が失われても彼の“心臓”が止まることは無く、むしろ調子がいいのだと話していた。帝国とギルド、それぞれに属するふたつの顔を持っていたことを明かしたレイヴンを悪く言う人物はいなかったし、寧ろ正体を知って尚、彼を慕い、頼る人物の多さを目の当たりにした。
それは仲間として、カロルにとっても喜ばしい事態だった。
しかし――。
「レイヴン、まだやっぱり元気ないね」
カロルの指摘に、レイヴンは目を丸めた。しかしそれは一瞬のことで、すぐに何時もの飄々とした笑みに見合う眼差しでカロルを見つめ返してくる。
「この歳になると考える事いっぱいあるからねえ。それにほら、騎士団とギルドの間をもってあげてるとさ、大なり小なり未だに問題が――」
「の事、ずっと気にしてるって判ってるよ」
はぐらかされる前に、カロルは核心を突いた。流石にレイヴンは黙り込んだ。
カロルは続ける。
「星喰みを消す戦いが終わって、がいなくなっちゃった時、レイヴンがすごく責任を感じてたの、皆も多分気付いてる。だってレイヴン、の力の事も知ってたって話してたもんね」
「……そりゃあ、なあ」
カロルの言葉に、レイヴンは苦笑する。
「俺は全部、知ってたからね……」
――レイヴンは、を三度助けられなかったと記憶していた。
一度目は、彼女がまだ幼かった10年前のこと。無垢な彼女を襲うであろうおぞましい悲劇を予感していながら、彼は手を差し伸べてやることが出来なかった。
しかも彼女は、それを理解しながら、レイヴンを責めるどころか感謝してみせた。レイヴンの胸は強く痛んだ。
二度目は、彼が“彼”としてユーリらに着いて行った、騎士団長との決戦の時。彼女の覚悟した眼差しに気づいて手を伸ばしたが、あとわずか間に合わなかった。
しくじった彼の胸に、彼女の自己犠牲は鋭く突き刺さった。
三度目は、最後の戦いを終え星を喰もうとする驚異を消し去った後のこと。彼女はひとり、その身に起きた変化を抱えて消えてしまった。こちらに手を掴む暇さえ与えずに、孤独なまま恐怖と向き合いに行ってしまった。
二度あることは三度ある、とはよく言ったものだ。
自分は、その通りになってしまったではないか――!
「いつか、何処か誰も知らないとこに行っちゃうんじゃあないかって、俺は何となくでも察してたはずなのに。結局引き留められなかったんだから……色々感じちゃうものがあるわな」
話しながらレイヴンは改めて痛感した。
この心が晴れない理由。悔やんでも悔やみきれない、強くて深い自責の念。
助けられたはずなのに助けてやれず、護れたはずなのに護ってやれず、引き止められたはずなのに引き止めてやれなかった――彼がそう想う少女の存在の大きさを。
「でも、なら絶対に“レイヴンは何も悪くない”って言うよ」
沈黙するレイヴンに対して、カロルは思わず声を張り上げた。
彼を励まそうというより、カロル自身、心からそう思うが故の言葉だった。
「悪いのは、仲間のボクらに黙って行っちゃうだよ! ボクらには“周りを頼っていい”とか言うくせに、自分はそうしなかったんだから」
「俺達に話してもどうにもならないって思ったんでしょうよ」
「話しもしないで“どうにもならない”って、が勝手に決めて行っちゃったのは良くないでしょ? それに、どうにもならないかどうか決めるのは、話を聞くボクらの方だし」
話して行くうちに、カロルの胸の中にはいろんな感情が蘇ってきた。
突然がいなくなった時の寂しさ。
ちゃんと話してもらえなかったことへの怒りや悔しさ。
もう一度仲間に会いたいという願い。
どの気持ちも強すぎて、言葉にも思わず熱がこもっていく。
「の辛いこと、ボクらでなんとかしてあげられるかもしれない……。ううん、なんとかしてあげたいから」
レイヴンだってそうでしょ、とカロルは彼を見上げて訊ねた。
言葉と同じぐらい、いやそれ以上の熱意に満ちた無垢な瞳に、レイヴンはまた苦笑した。先のそれとは含まれた意味合いが違う。参った、とでも言いたげな、しかし決して諦めた訳ではないという笑み。
レイヴンにとっての存在とはとても複雑なもので、最初は目にすることすら辛かった。触れたくない傷跡のようなものだった。それが何時しか、自分でも思わぬほどの情を持って見守ることが出来るようになっていたのだ。出会った時と今では、の存在に対するレイヴンの想いはすっかり変化していた。
今更その想いの名を口にするのは気恥ずかしいが、ともかく、レイヴンもカロルと同じようにが大事だということには違いなかった。
苦みは消え失せ、すっかり晴れた笑顔でレイヴンは頷く。
「少年の言うとおりだわ、うん。せめて相談してからにしなさいよってね」
「そうそう! って変なとこが頑固なんだから……」
「何とか探し出して、叱ってやりたいもんだわ」
レイヴンの言葉にカロルはハッとした。右手に握りしめていた手紙……レイヴンを探していた理由を思い出したのだ。
慌てて右手を突き出しながら、カロルはレイヴンに話す。
「忘れちゃいけないこと忘れかけてたよ! この手紙読んで!」
レイヴンは言われるがままに、カロルから手紙を受け取り、開いた。
騎士団のマークがあしらわれたその手紙の送り主は、フレン・シーフォであった。
今や騎士団長となった彼からの手紙。レイヴンが最初に手紙の内容として予想したのは、帝国とギルド間での問題か何かだった。だが宛名にはレイヴンだけではなく、カロルの名も記されている。と言うことは別の話だろう。
自分とカロルに関わる問題の見当がつかず、大人しくレイヴンは手紙を開いた。ややこしい話でなければいいな、という希望を抱きながら。
手紙の内容は、至って簡潔であった。
しかし、その文章を認識した途端の衝撃は果てしなかった。
――手紙には、こう書かれていたのである。
“が見つかりました”
フレンも急いでいたのだろう。珍しく、やや型崩れした文字で走り書きのように文章が綴られている。
内容はこうだった。
と思わしき狼の姿が、オルニオン周辺で目撃されたこと。この手紙は他の仲間たちにも送られていること。もし可能であれば、その狼がであるかどうかを確かめるために、協力して欲しいということ……。
「……そっか」
手紙を読み終えたレイヴンは、深く息を吐いた。安堵のため息だった。
あんなに探しても見つからなかったあの子が、ようやく見つかった。
(良かった、まだ生きてくれているんだ……)
思わず目頭が熱くなったが、カロルの前であることを思い出し、ぐっと堪える。
言葉も無く期待に満ちた眼差しを向け続けていたカロルに、レイヴンは笑って答える。
「こりゃ、ハリーたちに言ってこないとね」
「じゃあ、レイヴンも行くんだね?」
「そりゃあ当然でしょ」
手紙を握ったまま、レイヴンは黄昏を仰いで呟いた。
「四度目は、勘弁だものね」
その言葉にどれだけの思いが満ちているのか。想像しただけで、カロルの胸は再び色んなものでいっぱいになった。
「じゃあ早速準備して出発だよ、レイヴン!」
「おうともさ!」
すぐさまカロルとレイヴンは出立のために手早く荷物をまとめた。レイヴンはハリーにしばらくダングレストを離れることを告げに行き、カロルはギルドメンバー募集一旦休止のお知らせを出してきた。
そうして二人は早速、手紙を頼りにオルニオンを目指したのだった。
もう一度、大切な仲間に出会うために。
何も言わずに消えてしまった少女の真意を確かめるために。
何時もと変わらぬはずのダングレストの黄昏が、“行っておいで”と優しく背中を押してくれているような、そんな気がした――。
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