新月の夜。昼間の熱気や喧騒がなりを潜めた闘技場は別世界のようである。
統領の側近ナッツは、謁見の間へと続く扉を開いた時、一行にこう話した。
「くれぐれも中で見たことは他言無用で願いたい。それが我がギルドの掟なのだ」
その言葉が何を意味するのか考えながら、扉の奥に続いていた階段を一段ずつ下りていく。緩やかかつ長い階段の先に、扉が見えた。どうやらその奥に、ベリウスがいるらしい。
ユーリが仲間達を顧みる。用意はいいか。確かめるような彼の眼差しに、仲間達は一様に頷く。
統領私室への扉に、ユーリが手を掛ける。一行は意を決して中へと入った。
途端、視界が真っ暗になった。部屋の中には明りひとつ無かったのである。「みんないるよな?」しっかりとしたユーリの声が聞きとれた。何処にいるかは判らないが、仲間達はそれぞれに彼の声に返事を返す。
通された部屋の中がどうして暗闇なのか――、考える間もなく次の変化が起きた。
ぼう、と紫を帯びた灯火が突如現れ、部屋を照らし出したのだ。灯火は部屋じゅうの燭台へ次々に点っていく。あっという間に部屋の全容が知れた。
そして、目前に鎮座するものの姿に、たちは息を呑んだ。
彼らの前にいたのは――人間ではなかった。
「なっ、魔物……!?」
一番に呟いたのはカロルだった。
部屋の中央にいたのは、大きな金色の狐であった。あくまでの第一印象がそうだっただけで、細部をとらえていくと狐とは全く異なる姿である。上体は、人のそれのように直立して腕がある。豊かな毛が両耳の後ろから沿うように伸びていて、獅子の鬣にも似ていた。座ってはいるが、下半身には四つの足があることが知れる。
そして何より大きい。背丈は自分の二倍……いや三倍はあるかもしれない。
は何故か、ひたすらその狐に見入っていた。
他の仲間はそうはいかなかった。目前に現れたそれに対して、素早くユーリが剣を構える。
「ったく、豪華なお食事つきかと期待してたのに、罠とはね」
「罠では無いわ。彼女が……」
ユーリを制止するようにジュディスが口を開く。
すると、彼女の言葉を引き継ぐように目前の金狐は頷いた。静かで穏やかな眼差し。「ベリウス?」の傍らで、エステルが呟く。
金狐は体を起こすと、改めて此方に向き直った。
「いかにも。わらわがノードポリカの統領、〈戦士の殿堂〉を束ねるベリウスじゃ」
自分たちと同じように、言葉を使って此方に語りかけながら。
ベリウスは、自身が永い時を生き、この街を統治してきた始祖の隷長であることを明かした。ノードポリカを作った古い一族・始祖の隷長。その本人が、今、自分たちの目の前にいる……。
「ドンのじいさん、知ってて隠してやがってたな」珍しく機嫌の悪そうなレイヴンの声がして、呆然としていたは我に返った。
呟いたレイヴンにベリウスも興味を示したらしい。その双眸が彼を捉えた。
「そなたは?」
「ドン・ホワイトホースの部下のレイヴン。書状を持って来たぜ。……今更あのじいさんが誰と知り合いでも驚かねえけど、一体どういう関係なのよ?」
「人魔戦争の折に、色々と世話になったのじゃ」
手紙を渡しながら問うレイヴンに、ベリウスは何処か懐かしげな声音で答える。
人魔戦争という言葉に、すぐさまカロルが興味津々に反応した。
「黒幕って噂は、本当なんですか?」
「確かにわらわは人魔戦争に参加した。しかしそれは始祖の隷長の務めに従ったまでのこと。黒幕などと言われては心外よ」
書状に目を通しながら、ベリウスはその噂を一笑に付した。
ドンからベリウス宛ての書状には、ダングレストを襲ったフェローとの仲立ちを求める旨が記されていた。「無碍にはできぬ願いよ」と彼女は快諾し、使者であるレイヴンもほっとしたように胸を撫で下ろす。
レイヴンの用事が済むと、ベリウスは一行を――その中のエステルを、じっと見据えた。
「用向きは書状だけではあるまい。のう、満月の子よ」
皆が思わず息を呑んだ。ベリウスのみならず、始祖の隷長は満月の子の存在を感じて知ることが出来るらしい。驚く間も無くエステルが一歩歩み出、「エステリーゼといいます」そう名乗る。
「満月の子とは、一体何なのですか? わたし、フェローに“忌まわしき毒”と言われました。あれはどういう意味なんですか?」
真っ直ぐに彼女はベリウスに問うた。ふむ、とベリウスが考え込むように声を漏らす。そのベリウスの眼差しが、不意にエステルの後ろへ向けられる。
「……そなたも何か言いたげじゃのう、」
は目を見開いた。初めて会う始祖の隷長が、どうして自分の名前を知っているのだろう。疑問が浮かぶ。しかしは、ベリウスが機会を与えてくれたのだと理解した。緊張に体を固めるエステルの横に、も歩み出る。
「私の名前をご存知ということは、私が何なのかもご存知なんですね」
「そなたが求める答えになれるかは判らぬがな。我らはそなたを“狭間の者”と呼んでおる」
ベリウスの返答にはひっそりと震えた。狭間の者。それが何と何の狭間を指すのか、はうっすらと予測が付いていた。
しかし、他の仲間達には何が何だか判らない。唐突にが名指しされたことに混乱していた。
「狭間の者……? つまりにも何かの力があるって事?」
「オレに聞くなよ」
戸惑うカロルに、ユーリが肩を竦めながら答える。
パティは意味が判らないなりにも、ベリウスたちを見つめ、話を聞こうと真剣な顔をしている。
そのパティの傍で、リタが静かに考え込み始めた。
「まさか、のやってる事は魔導器だけのせいじゃない……? でもフェローが反応したのはエステルにだけ……。どういうことなの……?」
「話がどんどんややこしくなってくわね」
レイヴンも流石に顔を顰めて唸っている。
だが、仲間達がどう頭を捻ろうとも答えが出るはずも無かった。
エステルとは、静かにベリウスを見上げていた。薄暗い謁見の間において、強く直向きに輝く彼女たちの眼差しに、ベリウスは言った。
「……エステルに、どちらも知りたいことは同じということじゃな」
問われた二人の少女は、共に頷いた。
このために二人は旅を続けていた。始まりやきっかけ、持つ力は違えども、エステルとが求める答えは同じだった。
――自分は何なのか。
知るため、答えを得るために。
この瞬間のために、旅を続けてきたのだ。
その心を受け、ベリウスも静かに頷く。
「満月の子、そして狭間の者よ。わらわが話すことで、そなたらの運命が変わるかは判らぬが……」
ベリウスが重い口を開いたその時、ジュディスが進み出た。
「ベリウス、その事なのだけれど」
まるで知り合った仲のようなジュディスの台詞に、仲間達は不思議がった。
しかしそんなことは気にしていられない様子で、彼女はベリウスに訴えようとする。それをベリウスも受け入れ、ジュディスの方を向いた。
「ふむ、何かあるというのか?」
「フェローは……」
ジュディスがそれ以上言葉を紡ぐ事は叶わなかった。
突然部屋の外から騒音が響き、彼女の声を遮った。
次いで届いた剣撃の音や、人の倒れるような音。伝わる振動。部屋の外で誰かが争っているらしかった。
扉を振り返るラピードの耳が立ち、ぐっと体勢を低くし警戒の唸り声を上げる。
部屋の扉が壊されんばかりの勢いで開かれた。そこから二つの人影が侵入してくる。
「遂に見つけたぞ、始祖の隷長! 魔物を率いる悪の根源め!」
無遠慮に叫び声を上げる頭巾を被った男。その姿には見覚えがあった。
以前、カルボクラムで出会った〈魔狩りの剣〉の男・ティソンである。隣に立つ大男は、頭領・クリントであった。
「ティソン! 頭領!」驚きに目を丸めながらカロルが叫ぶ。するとティソンは、大袈裟に首を動かしてカロルを見た。頭巾から覗く眼差しは蛇のように鋭い。
「これはカロル君ご一行。化け物と仲良くお話するとは変わった趣味だな」
「闘技場で凶暴な魔物どもを飼い馴らす、人間の大敵! 覚悟せよ、我が刃の錆となれ!」
クリントはカロル達など眼中にない様子で、ベリウスを凝視したままそう叫んだ。
入ってくるなり剣呑なふたりを見て、パティが嘆息する。
「カロルの知り合いにしてはガラが悪いのじゃな」
「なんだ、このちっこいのは」
「残念なのじゃ、乱暴者に名乗る名前は持ち合わせてはおらんのじゃ」
「ふん……名乗れねえ事情でもあんのか?」
パティと言葉を交わすティソンに、カロルがおずおずと尋ねる。
「な、ナンは……?」
「お? 気になるか?」
ティソンは笑いながらカロルに答えた。
「今頃、闘技場で魔物狩りを指揮してる頃だろうよ。俺ら〈魔狩りの剣〉の制裁を邪魔する奴ァ、人間だって容赦しねえぜ」
ティソンの不敵な笑みへの不快感と、ベリウスとの対談を邪魔された憤り。
何よりも彼女を“化け物”呼ばわりされたこと――。どうしてか、それが一番許せなかった。
は頭に血が上るのが判った。自分でも抑えきれない怒りに、体が震える。
「それじゃあどっちが魔物だか判んないもんですね!」
叫びながら素早く鎌を携えると、彼女はティソンに向かっていった。相手が人間であることも忘れて――たとえ人間でも構わないという風にも見えた――、力いっぱいに鎌を振り抜く。
が、手ごたえは無い。
「血の気の多い嬢ちゃんだなぁ? あ?」
「お互い様ですよ、おじさん……!」
が全力で振り抜いた鎌の刃を、ティソンは両手で押さえて止めていた。感情に乱された攻撃ほど受けるのが容易いものがないことをは思い出す。
ティソンの武醒魔導器が光るのが視界の隅に見えた。「!」焦ったエステルの叫びが耳を突く。技を放とうとしていたティソンの手を鎌から振り解き、は素早く後ろに下がった。
あと一瞬遅れていたら、攻撃を食らっていただろう。
その間に他の仲間達も武器を手に、ベリウスの援護へと回った。しかしクリントがたちの間を瞬く間に駆け抜け、ベリウスに飛びかかって行く。その大柄な体からは想像もつかないスピードだ。
「さあ相手になれ、化け物よ!」
叫びながら振り下ろされたクリントの大剣を、ベリウスが片手で捉えた。鉄と爪がかち合って、軋むような音を立てる。
彼女は目を細め、クリントたちを見つめたまま話した。
「こやつらはわらわが相手をせねば抑えられぬようじゃ。そなたら、すまぬがナッツの加勢に行ってはもらえぬか」
「あんたは大丈夫なのかよ!?」
ユーリの言葉に、ベリウスが頷く。
「たかが人などに後れは取りはせぬ」
「わかった。行くぞ!」
「すまぬな」
ベリウスの呟きを背に受け、ユーリを先頭にたちは部屋を飛び出した。
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