闘技場にいる者は全て捕らえる――。
 その口ぶりからして、このまま此処にいるのはたちにも都合が悪そうであった。
 ソディアの容赦ない指示にリタは憤慨した。

「あたしら、捕まるようなこと何もしてないわよ!」
「きっと何か捕まえる理由をこじつけられちゃうに決まってるよ!」
「そうね、逃げた方が良さそう」

 カロルの意見に、ジュディスが静かに頷く。
 ラピードが騎士を倒し、次いでパティが煙幕を張って逃げ道を確保する。「急ぐのじゃ!」煙幕の中、パティの声を合図に仲間達は走りだす。
 ショックで動けずにいるエステルのことは、ユーリが“自分の腕を切る”という強引な手段で気を取り直させていた。もちろんすぐにエステルが治癒して大事には至らなかったが、結構な傷であった。ユーリらしい心臓に悪い無茶である。
 一行は闘技場を出、ノードポリカの波止場へと向かっていた。
 陸路は既に騎士団に封鎖されている。だとしたら包囲網は覚悟の上で、海に出るしかなかった。海ならば陸よりも融通が利くかもしれない。それに頼もしい操縦士・パティもいる。
 いつの間にかレイヴンがいなくなっていたものの気にする余裕はなく、一行は走り続けた。追手を振り切り、港へ向かって一目散に走る。
 しかし、辿り着いた港では――フレンが待ち構えていた。行動を読まれていたらしい。
 フレンは静かに口を開いた。

「エステリーゼ様と、手に入れた石を渡してくれ」
「騎士団の狙いも、この聖核ってわけか」

 ユーリは険しい顔で呟いた。
〈魔狩りの剣〉も、騎士団も、聖核を求めている。これは偶然なのだろうか?
 かつてヨームゲンでデュークが口にした言葉が、たちの脳裏に蘇る。
 聖核は人の世に混乱を齎す、と――。
 背後から追手の騎士が近付いてくる音がした。先頭はソディア、そしてウィチル。正面に立ちはだかるフレンは、退いてくれそうにない。

「渡してくれ」

 友の問いに答えず、フレンは剣の柄に手を掛けた。僅かに俯く彼の表情は上手く窺えない。
 遂にユーリは怒りを露わにした。フレンを睨みつけ、ずかずかと歩み寄ると低く唸るような声で話し始めた。

「お前、何やってんだよ。街を武力制圧って、冗談が過ぎるぜ。任務だか何だか知らねえけど、力で全部抑えつけやがって。それを変えるためにお前は騎士団にいんだろうが。こんなこと、オレに言わせるな。お前なら判ってんだろ」

 達の背後でソディアが叫ぶ。「隊長、指示を!」しかしフレンは何も言わない。黙したまま、ユーリの怒りに満ちた眼差しと言葉を受け続けていた。その姿がますます、ユーリの怒りに拍車を掛けて行く。

「何とか言えよ。これじゃ、オレらの嫌いな帝国そのものじゃねえか。ラゴウやキュモールにでもなるつもりか!」

 ユーリの叫びにようやくフレンは顔を上げた。決意と苦渋の混じった複雑な眼差しで、ユーリを睨み返しながら声を張る。

「なら、僕も消すか? ラゴウやキュモールのように、君は僕を消すというのか?」

 フレンの言葉に、は愕然とした。
 やはり彼は知っていたのだ、ユーリが人知れず手を下していたことを。
 そしてそれを、この状況下で、知らぬ仲間達もいる前で明かした。
 しかし、当人であるユーリに動じた様子は無い。

「お前が悪党になるならな」

 彼は変わらぬ声音で返した。変わらぬ眼差しで友を見ていた。
 その答えにフレンは黙った。沈痛な面持ちで視線を緩やかに落とし、抜かんとしていた剣の存在さえ忘れてしまったように立ち尽くす。部下に指示を出す様子も無かった。
 たちは、そんなフレンたちの横をすり抜けて脱出した。彼らが追い掛けてこないうちに、フィエルティア号へ全員が乗り込んでいく。

「今、フレン、ユーリがラゴウをって……」
「話は後よ! 男どもは錨を上げて!」

 フレンの告白に、目に見えて動揺していたカロルが口を開きかけたものの、リタの声に遮られてしまう。

「ほれ、男は錨だってさ。あとこいつも一緒に乗せてやってくれ」

 何時の間に乗り込んでいたのか知らないが、消えたと思っていたレイヴンが船室の影からひょっこり現れる。間髪いれずに彼の後ろから、金髪の男――闘技場にいたハリーが出てきた。先に見た時とは打って変わって、青ざめて一言も言葉を発しようとしない彼の様子が気になったが、は事情の確認を後回しにすることにした。
 パティの操船のもと、フィエルティア号は出港した。海には騎士団の船がうようよといたが、それをものともせぬスピードでフィエルティア号は突き進み、包囲網を脱していく。
 は、駆動魔導器の調整をするリタの傍にいた。蒼穹の水玉を抱えるエステルもいる。
 カウフマンが換装してくれた駆動魔導器の出力は凄まじかった。しかし――。

「なに、この出力……この駆動魔導器のせい?」

 怪訝そうにリタが呟いた時だった。
 不意に魔導器が輝きだした。赤いその光に、は暴走するエアルクレーネと似たものを感じた。
 嫌な感じがする。
 その光の強さに、も当然異変を察した。

「一体何が……、うっ!」
! 大丈夫です!?」

 リタに問おうとして、不意に義眼が痛み、膝からくずおれてしまう。どっと噴き出す脂汗と襲い掛かる痛みに、は強く右目を押さえた。
 それでも気丈にエステルの呼びかけに返そうと彼女の方を向いた。しかし――更にそれどころではなくなってしまった。

「エステル……それ……」
「……なに……?」

 彼女の手にしている蒼穹の水玉までもが、赤く輝きを放っているではないか。
 リタは聖核とを一瞥してから、再び駆動魔導器へ視線を移した。

「何よ、この術式……。初めて見るものだわ」
「あの、メチャクチャな、術式……だね」
「あんた、調子悪いなら無理しないで座ってなさいよ」

 は右目を押さえながら、リタの傍へと歩み寄った。リタの心配を他所に、自分も魔導器の様子を見つめる。

(これは、よくないものだ)

 はそう確信した。この魔導器が、自分の義眼やベリウスの聖核に作用しているらしい。
 駆動魔導器の異常な輝きは暴走に近く、術式も旅の最中で見てきたものに似ている。リタの言葉を借りるなら「魔導器が可哀相な術式」であった。
 勿論リタも気付いていた。このままではいけない、と魔導器の制御盤を展開させようとする。
 ――その瞬間だった。
 ふらりと、こちらに近づいてくる影があった。

「ジュディス……?」

 は思わず確認するように、その人影を呼んだ。
 何処からどう見ても、確かにその人はジュディスだった。携えている槍だってジュディスの使っているものだし、長いナギーグと軽装と、その顔だって。
 なのには、確かめずにはいられなかった。
 彼女がまるで別人のように冷たく、無表情な顔をしていたからだ。
 ジュディスの赤い瞳が薄暗い中、やはり何の感情も無く此方――否、魔導器を見据えている。

「ジュディス……どうしたの」

 の声に、ジュディスは答えなかった。
 代わりに彼女が行ったのは――槍を振り上げるという行為。
 その切っ先が狙っていたのは、駆動魔導器であった。

「なにするんです!」

 エステルの悲鳴が上がる。
 リタもジュディスが何をしようとしているか気付き、青ざめた。

「なっ、やめてぇっ!」
「危ないっ!」

 魔導器を庇おうと飛び出しかけたリタを、は反射的に捕まえて飛び退いた。ジュディスの槍を止める余裕が無い今、手段はそれしかなかった。
 ――振り下ろされた槍は、一瞬で魔導器の魔核を打ち砕いた。
 決して小さくは無い爆発音と共に火花が散り、煙を上げた。
 ジュディスは無言のまま、魔導器から槍を引きぬいた。魔導器の残滓を払う様に槍を軽く振ると、ようやくたちの方に視線を向けた。
 此方を見ている。
 なのに、私たちを見ていない。
 は悲しくなった。右目の痛みは、駆動魔導器の破壊と同時に収まっていた。それでもたまらなく辛かった。
 ジュディスはどうして私たちを見ていないのだろう?

「どうして……?」

 の腕から離れたリタが、力の無い声で呟いた。それはの心の声と同じだった。
 ジュディスは静かに答えた。

「……私の道だから」

 全てを封じ込めたジュディスの表情に、は何も言えなかった。
 突如、海の向こうから咆哮が響いた。その咆哮はたちの記憶にあるものだった。魔導器を壊して回る“竜使い”の乗る竜の声だ。
 ジュディスが魔導器を壊した瞬間、あの竜の声がした。
 その意味に、否が応でもは気付いてしまった。
 ――竜使いの正体が、ジュディスであるということに。

「ジュディ、待て!」

 異変に気付き、駆けつけたユーリがジュディスを呼び止めるも、舷縁へと向かう彼女の歩みは止まらない。
 そうしているうちに船の側には竜がやって来ていた。竜はフィエルティア号に寄り添うように近付いて、じっとジュディスのほうを見つめている。
 ジュディスは竜の背に飛び乗った。

「……さようなら」

 消え入ってしまいそうなぐらい小さな声だ。しかし確かに、彼女がそう言ったのが聞こえた。

「ジュディス!」

 は、離れ行く彼女たちに向かって叫んだ。
 行かないで、戻って来て。
 願いを込めて、必死に叫んだ。
 リタも、エステルも叫んだ。ジュディスに向かって。
 そのどれひとつにも、ジュディスが答える事は無かった。
 見る見るうちに竜と彼女の姿は遠ざかり、点となり、そして……見えなくなった。

「……何でなの、ジュディス……」

 へたり込みながら、は声を絞り出した。
 俯く彼女の瞳から僅かな雫が伝い落ち、甲板へと吸い込まれていく。
 問うても答えてくれるその人はいない。
 それでも、言わずにはいられなかった。
 ぐちゃぐちゃになった感情が、胸を張り裂いてしまいそうだった。

「何でなの……」

 壊れた駆動魔導器が煙を上げる小さな音が、いやに耳を突いた。

prev Top next