駆動魔導器を壊されたフィエルティア号は、夜の海を漂流していた。幸いにも以前搭載されていた駆動魔導器が船内に積んであったため、壊れたものと交換し直し、事なきを得た。リタが今、その魔導器につきっきりで調整を行っている。朝になる頃には何とかしてみせる、とのことだ。
そんな船上で、は水平線の遠くをずっと見つめていた。ジュディスの姿はとうに消えてしまっている。それでも、どうしても気になってしまう。
「約束、意味なかったな」
自嘲めいた笑みが漏れる。ベリウスと会おうとしたあの夜、ジュディスと交わした会話を思い返しながらは呟いた。
気を紛らわそうと、はハリーたちの様子を見に行った。
船室に繋がる扉の近くで膝を抱えるハリーの顔色は冴えなかった。夜闇のせいにしても酷い。
ハリーは〈海凶の爪〉に偽の情報を掴まされ、ノードポリカへ来たらしかった。その情報が、「ドンの盟友が魔物に捕まり、その魔物が聖核を持っている」という内容だった。ドンの孫という立場と、それ故に寄せられる期待の大きさを常に感じていたハリーは、ドンの役に立とうと先走ってしまったのだという。
レイヴンからその話を聞いたとき、は怒りを隠せなかった。
きっとこうなることを予測して、イエガーたちはハリーに情報を与えたのだ。こんな酷いことを起こすために。
「イエガー、許せないです」
「……そうだわね」
の呟きに同調したレイヴンの声音は沈んでいた。何時ものように軽快な笑みの面影は少しもなく、そんなレイヴンの様子が、事の重大さを改めて物語っているように思えた。
ハリーたちから離れ、は再び空を見つめていた。手すりに寄りかかりながら、ジュディスやハリーのことを振り返るうち、ベリウスが死んでしまった時のことを思い出していた。
エステルの力が彼女の思いに反し、ベリウスに対して致命的な効果を発揮してしまった。エステルは未だに塞ぎ込んでいる。無理もなかった。特に心優しい彼女にとっては、衝撃的だったろう。
たちですらこんなに混乱しているのだ、エステルの苦悩は、どんなにか。
しかし、ベリウスはへ教えてくれた。
が“狭間の者”という存在であること。そしてが望むならば、その力はエステルを助ける、と――。
今思い悩み苦しんでいるエステルの力になれるというのは、にとって朗報であった。しかし、そうするためにはどうすべきか、肝心なところは判らずじまいだ。
「狭間、か……」
“狭間の者”というベリウスの言葉は、の心に波紋を齎した。
少なくともエステルとは別の力が自分にはあるということだ。どんな力かは判らない。自分の右目の魔導器も影響しているかもしれない。しかしベリウスはの右目については触れなかった。
つまり、狭間の者と呼ばれた理由に、右目は関係しないということ。
だとすれば自分には、この右目以外にも他者とは別の何かがあるということ……。
それは何か――。考えようとしては止めた。
「調子はどうだ、」
ユーリがやってきたからであった。
何時ものように仲間たちと言葉を交わしてきて、その流れてにも話しかけてくれたのであろう。ユーリとて動揺し、思い悩んでいるはずなのに、いつも彼は自分のことを後回しにする。本人はそんなつもりがないのだろうが、そうとしかには見えなかった。
思わず小さく笑って、は返す。
「調子って?」
「エステルたちから聞いたぜ。ジュディが魔導器壊してく前、調子悪そうにしてたってな」
「ああ、うん……。もう平気だよ。あの魔導器が壊れたら良くなった。多分、この目と相性が良くなかったんだね」
義眼を右手で押さえるように覆いながら、は、脳裏に甦るジュディスの姿を見つめた。
冷たい目をしたジュディス。何もかもを封じ込め、魔導器を破壊するためだけの竜使いとしての姿。
しかし彼女はどうして、あの駆動魔導器だけを壊していったのか。皆が身に付けている武醒魔導器やの義眼はまるで興味もないかのように、あの魔導器だけを――。
は、今までの竜使いの行動を思い返した。エフミドの丘の結界、ラゴウ邸の天候を操る魔導器、カルボクラムの魔物を封じていた逆結界……。ヘリオードで、エステルとリタの部屋に現れたこともあった。あのときはもしかしたらエステルの力か何かに反応してのことだったのだろうか? ダングレストに突如出現し、ガスファロストに向かう姿も見た。そしてそこでは――竜使いとは知らぬまま、共に戦った。
「ねえ、ユーリ。ジュディスはどうして私の目を壊さなかったんだろう」
「そりゃ、壊そうとして壊せるもんでもないだろ。お前の目なんだぜ?」
「それも、そっか。でも……ジュディス、覚悟した人の目だった。……まるで、ユーリみたいに」
「……ジュディにとって、壊す必要が無かったってことだろ。オレらの武醒魔導器にも興味無かったみたいだし」
ユーリの言葉には腕を組み、顔をしかめた。
「壊された魔導器は、なんで壊す必要があったんだろう。壊さなくちゃいけない何かって、なんなんだろうね」
「それは本人に聞かないとな」
「そうだね。色々落ち着いたら、ジュディスのこと探さなくちゃ」
言いながらはハッとした。
そういえばジュディスは、ユーリたちのギルド〈凛々の明星〉の一員である。今回のジュディスの行動は、ギルドの掟――ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために――に反しているのではないか。事情があったにせよ、それを語らず、魔導器を壊して去ったことを、彼は……ギルドはどうするのか。
「もちろんジュディを探し出して、ケジメつけてもらうさ」
物言いたげなの視線から、意を察したようにユーリは口を開いた。
には何をもって“ケジメ”とするのか予測がつかない。しかし、事と次第によっては最悪のことも起きる……そんな予感はした。
思わずは口を開いた。
「ケジメが大事なのも判るけれど、あんまり怖いことはなしだよ……?」
「何想像してんだよ」
「色々とだよ」
それ以上は上手く言い表すことが出来なかった。
僅かな沈黙の後、今度はユーリがに訊ねてきた。
「魔導器のことも気にかかるけど、お前はお前の力のこと考えたらどうだ?」
「ああ、うん。ベリウスが言ってくれたもんね……。エステルの力になれるかもって」
は、向こう側で海を眺めているエステルの背中を見つめた。
「ベリウスが教えてくれた私のこと、狭間の者っていう意味……。はやく思い出して、エステルの力になりたいな」
満月の子でもない、始祖の隷長でもない、狭間の者。
何と何の間に自分は在るというのだろうか。
一度は考えるのを止めていたそれに向き合おうするの脳裏を、白い何かが過る。
たくさんの毛に覆われた、鋭い爪を持った獣の足――あの夢の片鱗だった。
途端に怖くなって、たまらず思考を投げ出し、は目を伏せる。
やはり考えたくなかった。本能が狭間の正体をつかみ始めていることを、認めたくないのだ。情けなくなって、は顔を歪めた。
の異変を察したユーリは、気遣うような眼差しを向けてきた。
「あんまり焦んなよ。ただでさえ今はゴタゴタしてっからな」
「うん。……ユーリもあまり気負わないようにね」
「おまえよりは平気だよ」
力のないの笑顔に、ユーリはそう言って苦笑いした。
――夜が明ける頃には、リタにより駆動魔導器の調整も終わっていた。
各々にやるべきこと、気になることは様々あったが、ひとまず全員でダングレストに向かうことになった。
ハリーを連れていくだけでなく、ベリウスの願い……聖核をドンに届けるためにも必要な選択だ。
それに聖核の捜索をレイヴンに命じたドンならば、聖核が狙われる理由も判るかもしれない。判っても判らなくても、その後は、いなくなったジュディスを探そう。
仲間たちで話し合い、そう決めると、ダングレストへとパティが舵を取る。
たくさんの悩みや疑問が、このダングレスト訪問で幾つか解けるかもしれない。
誰もがそう信じていた。
しかし事態はたちの知らぬところで、深刻さを増していた――。
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