穴の奥には、ジュディスの相棒である始祖の隷長、バウルが横たわっていた。光は彼の身体から放たれていた。始祖の隷長としての成長を迎えている証だと、ジュディスは説明してくれた。
苦しげなバウルを見て、思わずエステルが駆け寄る。バウルの怪我を癒そうとしたのだ。
すぐさまジュディスに制止されたものの、エステルは顔を歪めてバウルを見つめていた。
「わたしの力は、あなたたたちにとって毒なんですよね」
自分の力ではバウル――始祖の隷長を癒せない。彼らに対しては自分の力が使えないことを、エステルは気に病んでいるようであった。
俯くエステルに、そっとユーリが声を掛ける。
「傷を癒せるってのがエステルの力じゃないぜ」
「え?」
「ベリウスの言葉……覚えてない?」
優しいリタの声に、エステルは思い返した。
他者を慈しむ優しき心……。
ベリウスが死の間際に送った言葉、そして仲間たちの励ましに、エステルは元気を取り戻して顔を上げる。
「バウルにも伝わっているわ、きっと……。あなたの気持ち」
ジュディスがそう言うと、エステルの心は少し和らいだようだった。
も黙して、バウルの様子を見守る。
自分も出来ることならバウルの傷を癒してあげられたら、と思った。しかし自分達の使う治癒術が始祖の隷長に効果があるかは判らないし、取り返しのつかない事態を招いてしまう可能性もある。歯痒いが、見守るしかない。
バウルはこちらを見つめていた。ジュディス、そしてその仲間たちを、一人ずつ。何かを考えているような、そんな風な眼差しだ。
(頑張って……バウル)
バウルと目が合った時、はそう念じた。
僅かに彼の目が見開かれた後、何かを決するように静かに閉じられた瞬間――光は膨れ上がった。
洞窟を白い光が満たし、バウルの咆哮がテムザの山を揺るがす。
「うわあ……!」
光が収束すると、たちは思わず声を上げた。
バウルは成長していた。途方もなく、大きな姿へと。
まるで鯨だ。海の代わりに、空を泳ぐ巨大な鯨……。
とても洞窟の中に収まる大きさではない。ここが吹き抜けになっていなければ、どうなっていたことか。
大きく成長したバウルを見上げたのち、ジュディスは安堵したように此方を振り返った。
「ありがとう、バウルを守ってくれて……。私だけだと、きっと守りきれなかったわ」
「仲間だもん! 当たり前だよ!」
「じゃの!」
カロルとパティの返答に、ジュディスは本当に嬉しそうに笑っていた。
バウルはエステルを見下ろしながら、“大丈夫だ”とでも言うように一鳴きした。
「言ったでしょう? ちゃんと伝わってるって」ジュディスが笑うと、エステルもつられるように笑い声を上げていた。
「フェローにも、伝わるかもしれない」
ジュディスの呟きで、一行に緊張が走る。
「会う? フェローに」
「決めるのはエステルだ」
ユーリがエステルを顧みると、彼女は静かに頷いた。
「会います。それが私の旅の目的だから」
「良いの? 殺されちゃうかもしれないのよ?」
「はい、わたしも覚悟を決めなきゃ……」
リタはフェローと会うこと自体を止めさせたいようだったが、エステルの意志は固い。
は、そんなエステルとリタを見て口を開く。
「きっとフェローは話を聞いてくれるよ。本当に殺すつもりだったら、ダングレストの時に出来たはずだし」
「それは騎士団の連中の横槍があったからじゃないの? 目の前に行ったら判んないわよ」
リタの言うことも尤もだった。あの時はヘラクレスの砲撃がフェローを狙い、結果、退却に追い込んだ。しかしたちにはそう見えただけで、実際はフェローに思うところがあったのかもしれない。何にせよ、直接当人に聞いてみれば判ることだ。
ふとレイヴンが、穴の外……山を下るための唯一の道へと視線を向けた。何かの気配を窺っているようだ。
「そろそろ〈魔狩りの剣〉の増援が来そうよ。ややこしくなる前に移動した方がいいんでない?」
「乗って。とりあえずフィエルティア号まで飛ぶわ」
ジュディスがバウルを指して言った。
話の続きは船ですることにして、一行はジュディスに従い、バウルへと乗った。
始祖の隷長に乗って空を飛ぶことになるなんて、誰が予想できただろう? 束の間の空中遊泳に心躍らせる間もなく、船に着いたら着いたで次の作業が待っていた。フィエルティア号をバウルに提げるための準備である。リタの指示のもと滞りなくそれは終わり、バウルはフィエルティア号を提げながら、再び空へと舞った。
雲が間近に迫り、いつもより太陽の光は大きく眩しい……。少し冷たい風が心地よかった。
その時、緊張の糸が切れたのか、甲板でジュディスが気を失ってしまった。ふらりと傾いだその身体が床にぶつかる前に、は慌てて支えに入る。
「ジュディス!」エステルも血相を変えて叫ぶ。
何とかジュディスを受け止めることに成功したは、エステルを見た。
「部屋に運ぼう」
「はいっ!」
とエステルは、二人で船室にジュディスを運び込んだ。
ベッドに寝かせると、エステルがすぐに治癒術を彼女へ施す。淡い光がジュディスを包み、傷を癒す。血色も幾分良くなり、程無くして穏やかな寝息が聞こえてきた。
たちは、どちらからともなくホッと一息をついた。
「疲れていたんですね、ジュディス……」
「ひとりで友達守ってたんだもんね。本当にすごいよ……」
ジュディス、お疲れさま。
ベッドに横たわるジュディスの顔を見つめながら、そう心のなかでは呟いた。
「わたし、みんなにジュディスのこと伝えてきます」
「うん。……私、ここにいてもいいかな」
「はい、わかりました」
ジュディスの容態を伝えにエステルが甲板へ上がっていくのを見送り、は、ジュディスへ向き直った。
熟睡する彼女の寝顔を見つめながら、は様々な思いを巡らせる。
ヘルメス式魔導器、ジュディスの孤独な戦い、エアルの乱れ、始祖の隷長のこと……。
なかでもが一番に痛感したのは、自身の力不足であった。
記憶が戻り、自分の力と立場がどういうものかを理解していれば、少なくとも今よりは力になれたはずなのに。
は義眼を覆うように右手を翳した。
役に立つようで立たない、中途半端なもの。いや、中途半端にさせているのは私なのかもしれない……。
早く思い出さなくちゃ。
気持ちを切り返るように、は再びジュディスを見つめた。
「……おかえり、ジュディス」
様々な苦悩が渦巻くなか、その言葉は、紛れもなくの本心だった。
そしてそのままも、ジュディスを見守りながら眠りへと落ちていった。
は再び夢を見た。
いつになく鮮明な夢であった。
はじめから自分の体は獣と化していた。
四肢が地を掴み、蹴る感覚がよく判る。まるで生まれたときからそうだったかのように、獣の体は馴染んでいた。
夢の中のは何かを追い掛けていた。探していた。求めていた。
相反するふたつのものを。
憎たらしい、許されぬもの。
いとおしい、護るべきもの。
それらを求めて、は走り続けていた。
――許さない。
――護らなきゃ。
忙しなく感情が駆け巡り、身体もその心に従う。
視界は赤く染まり、かと思えば黒に転じ、は狂いに狂った。
――見つからない。
諦めて立ち止まってしまった時、誰かが囁いた。
『当然だよ、全て失われたのだから』
は泣き叫んだ。
その囁きを掻き消すために、叫んだ。
喉が焼けるような絶叫は闇に吸い込まれ、遂にはの姿ごと飲み干した――。
「」
呼ばれると共に体を揺すられ、はハッと目を開けた。
間近にあるジュディスの顔を見つめ、自分が夢を見ていたことに気付く。
は何も言えずにジュディスを見上げていた。
視線を受けたジュディスが、困ったような顔をして微笑む。
「ごめんなさい。酷く苦しそうな顔をしていたから、起こした方が良いかと思って」
一晩ぐっすり休んだお陰か、ジュディスの顔色はすっかり良くなっていた。いつもの彼女、いつものジュディスだ。そのことが、の心に安らぎを齎した。
思わずは頬を緩ませ、「ありがとう」と溢した。額に滲んでいた脂汗を手の甲で拭いながら、ゆっくり立ち上がる。
「最近よく嫌な夢を見ちゃって……情けない」
「悪い夢は誰かに話した方がいいのよ」
「……そうなんだ」
「私で良かったら聞くわ」
は俯き、少し考えてから――ジュディスを見つめた。ジュディスはそれが彼女の話そうとする意思の現れだとすぐに判った。
誰かにこの話をするのは初めてかもしれない。
僅かな決心ののち、は口を開く。
「自分が……怖い獣になる夢」
僅かな口の動きと声量ではあったが、確かにジュディスはの言葉を聞いた。怯えた子供のように頼りなく心細い声。
ジュディスは暫し悩んだ。に掛けるべき言葉、自分が取るべき態度を、仲間として……友達として考えた。
その末に彼女は、笑ってこう返した。
「確かに嫌な夢ね。……でも大丈夫。夢は夢。あなたは、あなたよ」
ジュディスの優しい声に、は顔を上げた。まだ不安そうではあるが、さっきまでよりは大分明るい表情になっている。
「ありがと、ジュディス」
「どういたしまして。そろそろ行きましょ、みんな待ってるでしょうし」
「うん、そうだね」
ふたりは揃って、甲板へと上がった。
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