リタの提案により、早速〈凛々の明星〉の面々は罰を受けることになった。“今から休まず、ミョルゾを知るクリティア族の男性を探す”というものである。長旅で疲れた体にはなかなか堪える内容だ。
ユーリを先頭に、ラピード、ジュディス、カロルは街へ繰り出す。
パティもパティで、記憶探しのためにひとり歩き出した。
残された、エステル、レイヴンは、一足先に休息を取るため、リタの自宅へと向かった。
リタの家に入るなり、はぎょっとしてしまった。
高々と積み上げられた紙の束や本。壁に立て掛けられた魔導器や筐体の数々。他にもにはよく判らない研究資材や機具で、家中溢れ返っていたのだ。
家主であるリタはともかく、エステルもレイヴンも器用に隙間へ腰を下ろし、すっかり落ち着いている。
だがはそうはいかなかった。下手に物に触れたら次々に崩れかねない。万が一壊しでもしたらどんな雷が落とされることか……。
そう思うと気が気でいられない。悩みに悩んだ挙句、は、この空間で休むことを諦めた。
「私、街に出て調べものしてくる。明日には戻るから」
「そう? 気を付けてね」
リタに見送られ、は家から脱出した。妙な緊張感から解放された彼女の足取りはどことなく軽やかだ。
かつてはアスピオを訪ねたことがある。しかしアスピオが帝国直属の施設であることや、街へ入るには許可証が必要であることを知らなかった。故に兵士によって門前払いされてしまった。
だが今回は、旅の仲間やアスピオきっての天才魔導士が一緒だ。以前から気になっていたアスピオへ、仲間と共に訪問出来たことが嬉しかった。
意気揚々とは、見かける学者たちに自分の義眼について訊ねて回った。研究者の街なだけあり、の魔導器に興味を持つものは後を絶たない。が、その謎を解くまでには至らなかった。アスピオ一の天才であるリタですら難航しているのだ、仕方のないことかもしれない。
早々に聞き込みに区切りをつけ、は次の手に移った。街の本を片っ端から漁るのである。自分の興味を惹くもの、魔導器やエアル操作に関わりそうなもの……。ひたすら引っ張り出しては目を通す。
「なかなか難儀じゃの」
「量も量だからねぇ」
たまたま図書館に来ていたパティと共に、は辛抱強く本棚と睨み合った。
どれも学者向けなだけあり、専門的な内容のものが多く、理解するまで時間を要する。役に立つ内容か否かすら見当がつきにくいものも多い。インスピレーションのままには本と向き合った。
そんな中、は一冊の本に惹き付けられた。『エアル論考』という本である。
その表紙を開くなりは絶句した。
――全く読めない。
文字の並び方の意味が判らない。
本の中身は、暗号の羅列だったのだ。
辛うじて読めたのは冒頭の『我が娘に捧ぐ さぁ、読んでごらん』というまともに書かれた一文のみ。著者の名前もまた個性的であった。
「イ、イフン……違う、イフムンフト……ネプメ、ジャプ? 何て読みにくい名前なの……」
は無謀にも暗号の解読に取り組んだ。しかし学者のような知識も知恵もない彼女に出来よう筈もなく、自力での解読はすぐ諦めることになった。周りの学者にも解読を頼んでみたが、それも無駄に終わる。よほど難解な暗号らしい。
学者にすら読めないものがどうして自分に読めるものか。
自己嫌悪に陥った彼女が肩を落とした頃には、とうにパティの姿はなかった。近くでを見守っていた住人いわく、自分がほぼ丸一日、本と戦っていたことを彼女は知った。
それだけかじり付いて得られたのは寝不足と疲労感のみ。
更に落ち込むを見ていられなくなったらしい学者は、こう提案した。
「モルディオなら解けるんじゃないのか? あんた、モルディオと一緒にいるんだろ」
妙案だ。しかしひとつ問題があった。今にも暴走しかねない世界のエアルを静めなくてはならないたちには、役に立つとも知れぬ本の解読のために街へ滞在する時間が無いのである。
が悩んでいると、学者は仕方なさそうに笑う。
「本、持っていきなよ。用が済んだら返しに来てくれたらいいから」
学者の申し出に、は顔を輝かせた。
「有難うございます! 大事に扱いますから!」
学者は『エアル論考』の他、が持ち出したいと願い出たもうひとつの本の持ち出しも許可してくれた。
深々と彼に頭を下げ、は嬉々として本を抱え、図書館を出た。街の入口そばに固まっている仲間の姿が見えた。そろそろ出立するらしい。
は慌てて走った。置いていかれてしまったらたまったものではない。
駆け寄る最中、仲間たちのそばに見慣れぬ男がひとりいることに気付いた。ヘルメットを被っていて、知り合いにしてはあまり雰囲気がよろしくない。
だが気にせずは走った。
「みんなー! 待ってー!」
そうが叫び反射的に手を振り上げた瞬間――本が一冊、彼女の手から飛び出していった。「ああっ!」無情に響くの悲鳴。
投げ出された本は、美しい弧を描きながら落下していく。
……ヘルメットの男の頭へと。
「いでっ!」
叫んだヘルメットの男に、は慌てて駆け寄った。本を拾い上げ、どう謝ろうかと彼女が焦っていると、不意にラピードが一鳴きした。
他者には判らぬ、ふたりだけの意思の交流がその間に行われる。
ラピードはに伝えた。
――男が“アイフリードの孫”であるパティに、どんなに心無い言葉を吐いたのかを。どんなに仲間を傷付けたのかを。
俯くパティの姿には心を痛め、同時に沸き上がった怒りに燃えた。一見落ち着いた様子のは、ゆるりと男に向き直った。
「本をぶつけてしまったことに関しては私に非があるので謝らせて頂きます。すみませんでした」
「お、おお……」
「ですが、子供に暴言を吐いて憂さ晴らしするような品位の欠片もない貴方の言動には、些か……いやかなり残念な人間という印象を覚えました」
男は固まっている。何故この場にいなかったはずのが、あたかも話を側で聞いていたように語るのか。しかし訊ねる勇気は彼に無い。の義眼と顔の傷の異質さに、ただならぬものを察したようだった。
自分こそ失礼かつ非常識な態度を取っていることを自覚しながらも、は“仲間を傷つけられた”ことが我慢ならなかった。
据わった目をして静かに怒るへ同調するように「全くだわ」とリタが口を開いた。
「あたしがいない間に、この街も随分と下卑た連中が増えたもんね。あ~あ、こんな男と同類と思われたらこっちはいい迷惑。さ、行きましょ」
すたすたと歩き出すリタに、仲間たちも続く。
男はまだ何か言いたそうだったが、ジュディスの突き刺さるような視線を受け、黙って立ち去っていった……。
「パティ。船に行ったら見せたい本があるんだ」
は男に向けていた表情から一転し、爽やかな笑顔になっている。彼女は何故かパティの手を勝手に握っていた。
「……?」
「船まで手をつなご。あ、リタにも読んで貰いたい本があるんだけど」
「構わないわよ」
歩きながら短く返すリタに、は嬉しそうに頷いた。男に対する態度といい、空気を読まずに子供のように振る舞うの姿に、ややリタは呆れ気味にも見える。
そんなを見て、いつの間にかパティも小さく笑っている。少しは元気を取り戻したらしい。
彼女たちの様子を微笑ましげに眺めたのち、ユーリは切り出した。
「じゃあ、早速ヒピオニア大陸に行こうぜ。ミョルゾに行くためにな」
早速船に乗り込んだ一行は、バウルに頼み、大陸目指して飛んだ。
ミョルゾに行くためには、道標となる鐘が必要なのだという。その鐘はヒピオニア大陸の赤い花が咲く岸辺にある洞窟に隠されており、クリティア族でなければ手に入れることができない。
その鐘を、ヒピオニア大陸にあるクリティア族の聖地……エゴソーの森で鳴らせば、ミョルゾへの道が開かれる。
しかしその術を教えてくれたクリティア族の男性・トートは、クリティア族ではない人間たちへミョルゾへの道を教えると同時に、とある問題の解決を頼んできた。
ここのところ、エゴソーの森に踏み入る謎の集団がいるらしい。魔導器まで持ち込み森を荒らすその集団を何とかしてほしいとのことであった。
一通り事情を理解したのち、は仲間たちに本を見せた。
「今のうちに見せとくね。こっちがパティに見せたい本。海賊の冒険譚なんだって。読めそうだったら読んでね」
「ありがたい。うちが見落としていたぶんも調べてくれて助かったのじゃ」
「どういたしまして」
パティに本を渡すと、は次にリタへ本を差し出した。例の『エアル論考』である。
「暗号だらけで判んないんだけど、リタなら読めるかなって。これ」
が期待に満ちた眼差しで語るのを見て、リタは何故か嘆息した。
本を手にしたまま、天才少女は思わぬ事実を告げる。
「……読めるもなにも、元々これあたしん家にあった本よ」
「ええっ!?」
「多分あたしの前の住人のものなんだろうけど、読もうっていう興味が出なくて。欲しがった奴にあげたのよね」
話を聞いたの落胆ぶりは凄まじかった。初めてハルルで出会った頃のような、湿っぽい陰気臭さが蘇り、彼女の周りに立ち込める。
「リタなら読めるだろうってわざわざ持ち出し許可貰ったのに……」
「読めなくはないわよ。興味もその気も無いけど」
容赦なく切り捨てるリタに、はぐうの音も出ない。
だがその流れは、ジュディスによって一変した。彼女はリタから本を受け取ると、こう口にしたのである。
「この本の著者、イフムンフト・ネプメジャプ。これはヘルメスのことよ。彼のペンネームなの」
「え! そうなの!?」
仲間たちは目を剥いた。いち早くリタが素になって叫ぶ。
ジュディスの話によれば、ヘルメスはかつてアスピオにいたことがあるらしい。確証が持てなかったため、今まで話せなかったのだと言う。
そんなジュディスに、リタは呆れたように呟いた。
「あんたはまたそういう重要なことを……」
嘆くリタを他所に、ユーリやエステルも、ヘルメスの本を読み始めた。暗号の羅列と、例の挑発的な一文を見て、エステルは首をかしげる。
「まさかこれって、娘さんに対する挑戦状では……」
「そうなると思うわ」
ジュディスが静かに頷く。
一方、興味を喪失していたはずのリタが、彼女の横で怒りに震えていた。
「あきれたバカ研究者ね。自分の作った魔導器がどうなってるかも、知りもしないで……」
拳を握り締めながら、天才魔導士は宣言した。
「頭に来た。これ、あたしが解読してやる。解読したら、その娘とやら探して渡しといてやるわ。見てなさいよ、バカ魔導士!」
そう叫ぶリタの頼もしさに、も活気を取り戻した。ぱあっと顔を輝かせながら上げる。しかしふと、ヘルメスの本と教えてくれたジュディスのことが気にかかり、は視線をそっと彼女の方に移した。
……ジュディスは淡く微笑んでいた。
何て優しい顔だろう。だが、何処か切なさを感じる表情だった。
下手に口を開き、穏やかなジュディスの心境に水を差すのは憚られた。戸惑い悩んだ挙句、甲板の外に目を移す。
(赤い花が咲く岸辺って、あれかな)
丁度その視線の先には、一行の目的地があった。遠目にも判るほど、鮮やかな紅に染まる砂浜だった。
本の謎はひとまず後回しだ。
バウルに頼んで船を海に下ろし、一行は岸辺を目指した。
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