神殿内には、アレクセイの部下であろう騎士や、魔物の姿があった。魔物に関しては、騎士団が連れてきたのか、元から住み着いているのかは判らない。
 ただどれも、様子が可笑しかった。ユーリらの行く先々で鉢合わせた騎士や魔物たちは、みな負傷していたのだ。どれも浅くはない傷ばかりである。そのお陰で、戦闘になってもユーリたちはさほど苦戦すること無く敵をいなし、進むことが出来た。

「騎士たちを怪我させたのって、誰かな」

 何度目かの戦いの後、ふとカロルが呟いた。

「魔物と騎士が戦ったにしては様子が変っていうか、何か、不思議だよね」
「確かに不思議ね。魔物にも騎士にも、同じような傷がついていたわ」

 槍を携えたまま、ジュディスが同調する。
 言われて見てみると、彼女の指摘した通り、騎士と魔物の体には似たような切り傷があった。まるで鋭い刃物で裂かれたような生々しい傷だ。騎士の持つ武器や、魔物の爪や牙とは形が合わない。
 ユーリたちが交戦する前から彼らの体にあったそれを、一体誰がつけたのか……。
 が先に進んでいるとしたら、彼女がつけたものだと考えるのが妥当だろう。しかしの鎌による切り口ともまた違っていた。考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。

「あたしからしたら、変わり映えしない迷路みたいなこの神殿の道の方がよっぽど不思議でだるいけど」

 傷について憶測を巡らせる仲間へ、うんざりしたようにリタが溢す。
 彼女の言う通り、神殿内は似たような構造の四角部屋が続いており、ずっと同じ場所を巡っているのではないかと錯覚するほどだった。
 部屋を見渡しながら、フレンが語る。

「こういう長々とした造りは、巡る者を謙虚にさせるためだと聞いたことがある。つまりこれは参道なんだろう」
「ちんたらしてる暇ないってのに……」
「落ち着けよ」

 苛つくリタを、ユーリは静かに制した。
 ここでうだうだ悩んでいても仕方ない。手負いの騎士や魔物の襲撃をはね除け、エステルを救うために一行は突き進む。
 ふと歩きながら、ユーリはフレンを顧みた。視線を落とし、悩む友へ、彼は声を掛ける。

「アレクセイに会ったらどうするのか、考えてるのか」

 少し間を置いてから、フレンは口を開く。

「……戦わなければならないだろうね」
「覚悟は出来てんだな」
「正直、今でも信じられない。いや、信じたくないと言うのが本音なんだ」

 思い詰めた顔のまま彼は続ける。

「彼はずっと僕の憧れだった。何かの間違いであったら、どんなにいいかと思っていた」
「悪いがオレの答えはもうはっきりしてんぜ」
「……分かってる。それにエステリーゼ様への仕打ち、あれは間違いでは済まされない」
「異議なしだ」

 そう言ってユーリは歩き出す。
 友人の背中を見つめながら、フレンは思い悩んでいた。ユーリの選んだ道と、自分が守るべき帝国の法。法に照らせば、帝国の要人を“私怨”で二人も殺したユーリは重罪人である。しかしユーリが決して自分のために罪を犯したわけではないことを、フレンは知っている。ユーリは圧政に苦しむ人を見捨てられなかった。だからその元凶を断つためにラゴウたちを殺した。今の帝国の法では、ラゴウやキュモールに正しい罰を下せないと知っているから――。
 それが帝国の歪み。しかし法は守らなければならない。
 フレンの葛藤は、ジュディスやカロルたちにも伝わっていた。しかしそれを案ずるより先に「早く行くわよ!」とリタの怒号が響いてくる。
 フレンたちは、再び神殿を進み始めた。


◆◆◆


 アレクセイが、赤い燐光を伴う封印術式で塞がれた部屋の入り口を眺めているときだった。
 大きな獣の足音のようなものが近づいてくることに気付き、彼は今来た道を振り返った。
 魔物は親衛隊が抑えているはずだ。騎士団で飼い慣らした魔物も連れてきたし、準備は万全だ。しかし何か異質なものが、此方に向かってきている。
 アレクセイの横には、球体に囚われたまま気を失っているエステル。周りにはアレクセイを守る精鋭の騎士たち。何ら問題はない。そのはずだ。
 しかし。

「――アレクセイ!」

 乱入者は、辿り着いた。魔物も騎士も蹴散らし、獣のような獰猛さでアレクセイの元までやって来た。
 ――である。
 を見つめながら、アレクセイは思案するように顎へ片手を添えた。

「ふむ、君の登場とその姿は予想外だったな……
「そんなの、どうでも良い! エステルを返しなさい! これ以上エステルの力を悪用しないで!!」
「悪用とは心外だ。姫お一人では満足に制御も出来ぬ力を、私が使ってやっているだけのこと」

 アレクセイの言い様に、は激昂した。

「エステルは物じゃない……! そんな言い方するな!」

 アレクセイとの対立を、親衛隊たちは困惑しながら見つめている。

「あ、アレクセイ様。あれは一体……」
「ああ。お前たちにはあれが何か判らぬであろうな。あれは――」

 鋭いの睨みに、アレクセイは嘲笑で返した。

「人と言うにはおぞましく、始祖の隷長と言うには足りなさすぎる。どちらにもなりそこなった“怪物”だよ」

 怪物。その一言を聞いた途端、は言葉にならない叫びを上げながら、アレクセイ目掛けてがむしゃらに突進した。しかし周りを固めていた騎士たちが割って入り、妨害してくる。

「邪魔を、するなぁぁぁ!」

 吠えながらは騎士たちを引き裂き、吹き飛ばし、無理矢理に押し進む。騎士たちの向こうで自分を見つめて笑っているアレクセイから視線を外すことなく、まさしく獣のような勢いで。
 瞬く間に騎士たちは地に伏していく。
 一通り騎士を片付けたは、肩で息をしながらアレクセイを見た。

「後は、お前だけ……。早く、エステルを解放して……」

 ゆっくり歩み寄ってくるに対して、アレクセイは全く動じる様子がない。
 寧ろ興味深そうにを眺めており、何か思案しているようだった。
 は必死に声を絞り出す。

「これ以上、エステルの力は使わせない……! エステルに、私みたいな思いはさせない!!」

 あともう少しでの刃が届きそうなその時――、再び騎士団長は笑った。

「ならば、君の力を借りるとしよう」

 そう言ってアレクセイは別の術式が施された聖核を手に取り、へ向けて翳した。アレクセイが聖核を刺激した途端それは強く輝き出し、光はの元まで届く。
 ――刹那、激痛がの体を駆け巡った。

「が、ああ、あああぁぁっ!」
「姫に劣らぬその力ならば、この封印術式を組み替えることも造作ないだろうからな」

 の体と反応し続ける聖核を、アレクセイは封印術式の施された部屋の入り口へと持っていく。
 その間、は灼熱に焼かれているかのような痛みに苦しんでいた。同時に襲った、自分が自分ではなくなるのではないかという激しい恐怖。体がバラバラになった方がましだと思うほど凄まじいそれら。地に倒れ込み、のたうち回りながらは痛みと戦った。特に義眼が熱くて痛かった。脳がエアルの炎に炙られて、の心も塵にしようと迫ってくる。
 しかし、何時までも続くかと思われた痛みたちは、忽然と消えた。
 ハッとしたが身を起こすと、部屋の入り口を塞いでいたはずの封印術式の向こう側にアレクセイたちがいた。もちろん、囚われのエステルも一緒だ。
 封印の向こう側で、アレクセイが呟く。

「聖核をひとつ駄目にしてしまったか。やはり間に合わせの品では君の力にそぐわなかったようだ。利用価値があるとは知らず、それ用の準備を怠った私も私か……」
「な、に……を」
「だがまあ、封印を通れたことには感謝しよう。君はそこで這いつくばりながら、全てが終わるのを待っていると良い」

 立ち去ろうとするアレクセイたちを追うために、は封印術式に駆け寄った。

「エステル! エステル!!」

 術式の壁に阻まれながらも、の声は彼女に届いたようだった。球体の中で、わずかにエステルが身を捩る。

「……え…………?」

 エステルの小さな声と、見開かれた若葉色の瞳。
 が再び呼び掛けようとしたものの、エステルはすぐに気を失ってしまう。そして、アレクセイに連れられ、遠ざかり、遂にその姿は見えなくなってしまった。
 は唇を噛み締めた。何度殴ってもびくともしない封印に爪を突き立て、意識を集中する。

「お願い……! 私の力で開けたんでしょう!? また開けてよ!! 早く!!」

 義眼が再び熱を持ち、の周囲にエアルが立ち上る。封印術式がの力に反応し、発光し始めた。しかし……不意に激痛が生まれ、彼女の集中を乱す。「くそっ!」ぜぇぜぇと痛みに喘ぎながらも、は再び力を行使した。この封印を解かなくてはエステルを助けることができない。自分はどうなってもいい。とにかくエステルを追いかけなくてはならない。あの子は幸せになるべき子。救われるべき子。こんな辛い目に遭ってはいけない子。護るべき大切な仲間なのだ。
 封印を叩き、爪を突き立て、何度も願う。

「開けて! 開けて! 開けて!!」

 激痛が悉く気力を奪っていく。封印に額を押し付け、力なく拳を打ち付けながら、は泣いた。

「開け、て……よ……ぉ」

 体よりも、心が痛い。
 自分じゃ、エステルを助けられない。
 もし助けても、こんななりそこないの“怪物”では、自分だと判ってもらえないのかもしれない。
 それでも、助けたいのに。
 守ると決めたのに。
 悔しくて涙が止まらない。ぽたぽたと神殿の床に落ちては染みていく数々の雫。
 どうしようもなく、自分は無力だ。

「10年間……なにも……変われてないんだ……。私は……私は……バカで役立たずな、まま……!」

 それでも、まだ諦めきれずにが封印術式に働きかけようとした時だった。

、それ以上力を使うな」

 静かな声が、を止めた。
 疲弊しきったが振り返るより早く、声の主はに近づき、その手を掴んだ。

「封印から離れろ。お前の体が持たない」

 白銀の長い髪に、深紅の瞳を持った剣士・デュークであった。
 デュークは、動くことすらままならぬの体を抱えるようにして封印術式から離した。
 横たわったまま、は目線だけを彼に向けた。それしか出来なかった。

「デュークさん……私が……わかる、の……?」
「当然だ、

 短く返したのち、デュークが何か詠唱を始める。すると柔らかな白い光がの体を包み込んだ。光はを蝕んでいた痛みや熱を吹き飛ばしていく。治癒術の一種のようだ。あまりにも優しく心地よい光の波に瞼を閉じかけ、慌てては顔を上げた。地に手をつきながら立ち上がって、改めて自分の体を確認する。
 ……いつも通りの自分だった。手があり、足があり、地味な服を着たいつもの自分。大切な得物である鎌も背負ってある。

「あ、あの、デュークさん……私の体……」
「お前を乱していたエアルの流れは鎮めた。恐らく満月の子と聖核の力によって不安定になったのだろう。……無理はするな」
「そうだったんですか……有難うございます」

 礼を述べると、改めては封印術式に向き合った。

「私の話は聞いていたか?」
「はい……ごめんなさい。でも私、エステルを助けたいんです。仲間で、友達なんです」

 デュークが治療してくれたとはいえ、完全にの心身は癒えていない。まだ休養を要する状態だ。しかしそれでも、は笑ってデュークに言ってみせた。

「もう、守れないのは嫌なんです……」

 その笑みに、デュークは目を見開く。

「……全てを、思い出したのか」

 デュークの言葉にが答えることは出来なかった。

「バウッ!」

 力強い、聞き覚えある犬の鳴き声。
 同時に部屋になだれ込んでくる、たくさんの足音。

、やっと追い付いたぜ!」
「ユーリ、みんな……」

 気を失っていた仲間たちが、追い付いたのだ。

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