バクティオン神殿の最奥にある祭壇。そこに、始祖の隷長・アスタルが横たわっていた。青白く美しい毛並みと翼は今や傷だらけで、息も絶え絶えである。アスタルは、目前に迫るアレクセイを睨み上げた。しかし既に首を動かすことすらままならぬ衰弱ぶりだった。
「もうやめてください、アレクセイ!」
たまらず囚われのエステルが叫ぶ。
アレクセイは嘲笑した。
「こやつの苦しみを取り除きたいのであれば、あなたの癒しの術でこの者を癒してやればよろしいではないですか」
その言葉は深くエステルの心を抉った。かつてベリウスを癒そうとし、結果、死に追いやった自責の念が彼女を苦しめる。
それらを見透かして、アレクセイは笑う。
「あなたは本当に無力だ。一人では世界に害を為す毒でしかない。それがよくわかったでしょう」
その時、祭壇にようやっとユーリたちも辿り着いた。
「エステル、無事か!」
「エステリーゼ様!」
「エステル!」
「助けに来たのじゃ!」
口々に叫ぶユーリたちを、アレクセイは嘆息しながら振り返る。
「また君たちか。どこまでも分を弁えない連中だな」
「みんな!」
球体の中から仲間を見つめるエステルへ、リタが呼び掛けた。
「エステル、今助けてあげる!」
「ふん。おまえたちに姫は救えぬ。救えるのはこの私だけ」
「ふざけろ!」
にべもないアレクセイの答えに、ユーリが激昂する。
だがアレクセイは淡々と続けた。
「道具は使われてこそ、その本懐を遂げるのだよ。世界の毒も正しく使えば、それは得難い福音となる。それができるのは私だけだ。姫、私と来なさい。私がいなければ、あなたの力は……」
道具。その言葉に、は耐えきれなくなった。アレクセイの声を遮るように彼女は叫ぶ。
「エステルは道具じゃない!」
の中で、沢山のものが溢れてくる。
道具。力。始祖の隷長。満月の子。アレクセイ。義眼の魔導器。
断片的に散らばるだけの点と点が繋がり線となり、またその線と線が繋がり、面となる。その面に映し出されたのは、間違いなくが追い求めて止まなかったもの。
――失われた記憶たち。
「その力は毒じゃない! 全部悪いものにしてるのは、お前だ、アレクセイ!!」
まだ記憶の復活は不完全であったが、はそれでも自身の“力”の扱い方を思い出しつつあった。そしてアレクセイに対して抱く、重い感情たちの理由も。
は義眼を輝かせながらアレクセイを見据えていた。「ほう……」アレクセイはを見返しながら、興味深そうに溢す。
「どうやったのかは判らんが……戻ったのか」
「私の力すらマトモに扱えなかった癖に。エステルをどうこうだなんて、ふざけるのも大概にして。私と違う……。エステルの力は、皆を笑顔にしてくれるの! 実際に私たちを、何時もそうしてくれた!」
「……」
球体の光の壁に手を当てながら、エステルはの名を呟く。
の義眼の輝きは強くなり、握りしめた拳は震えている。エアルの光に煽られた髪が、白く変色し始めていた。
「そのエステルの気持ちを、心を踏みにじるお前を、私は許さない……。この手で引き裂いてやる!」
そうしてが突出した。武器も持たぬその手を、アレクセイ目掛けて伸ばしながら。
しかし同時にアレクセイは聖核を掲げていた。またエステルの力を利用するつもりなのだ。
「アレクセイ!」
「やめなさい、アレクセイ!」
フレンとジュディスの叫びは、聖核の刺激を受けたエステルの絶叫によって引き裂かれた。
エステルから赤い光が放たれ、衝撃波がユーリたちに打ち付けられる。だが神殿前で受けたものほど強力ではなかった。代わりにその光は、祭壇に横たわるアスタルへ大きな影響を及ぼした。
「ぐ……あ」
呻き、悶えながらアスタルは動かなくなってしまう。
それをアレクセイは大声で笑って見下していた。
「ははは、何が始祖の隷長か。何が世界の支配者か」
「やめろ!! エステルを放せ!」
ユーリが地に膝をつきながら声を振り絞る。
全く意に介したふうのないアレクセイは、アスタルの体が消滅し、聖核となる様を眺めていた。
「死んだか。あっけなかったな」
「そんな……」
「思ったより小ぶりだな。まあ使い道は幾らでもある」
聖核を回収するアレクセイを、球体の檻の中から青ざめた顔で見つめるエステル。また彼女は自分を責めているのだろう。そう思うと、やりきれなかった。
「貴様……」ユーリが吐き捨てると、アレクセイは思い出したように此方を振り返った。
「そうだ、せっかく来たのだ。諸君も洗礼を受けるがいい。姫が手ずから刺激したエアルのな」
「止めて!」
が叫び、止めに入ろうとしたが遅かった。
エステルから赤い光が放たれ、もろにたちを直撃する。仲間たちは痛みと衝撃に叫びながら、神殿の床に倒れ込んだ。もユーリの側まで吹き飛ばされてしまった。エアルの力は、まるで重石のように彼等の体にのし掛かり、自由を奪う。
その時ユーリは、反射的にを支えようとした。が、その必要は無かった。
自力では、何とか体勢を守っていた。寧ろの方が、ユーリを支えるように片手を差し伸べてくれている。
「ユーリ……!」
しかし間近での姿を見たユーリは、驚愕に息を呑んだ。
「……おまえ!?」
半分以上が真っ白に染まった髪。
燃えるような義眼の輝き。
床に突き立てられた獣のような手。
獣の手は、間違いなくの右手があるべき場所から伸びている。その手に生えた鋭い爪を石畳に食い込ませ、は何とか衝撃に耐えていたのだ。
「私が、エアルを抑える……でも長くは……だから、その間に、剣を……!」
自分の異変を説明するより、まずはエアルを鎮めることが先だ。そう促すかのようにが振り絞った声は、ユーリを我に返らせる。
理由は全部後でまとめて聞けばいい。
決心したユーリに触れるの手から術式が発動し、言葉通りに彼の縛りを解いてみせた。
「く……っ、だらぁ!」
それと同時に、ユーリは宙の戒典を振りかざした。すると瞬く間に剣は光を放ち、ユーリの意志に応え、エアルの暴走を抑え込んでくれた。
エアルの負荷から解放され、仲間たちは次々と体勢を立て直す。
それを見て、さすがのアレクセイも目を丸めた。
「なんだと? 何故貴様がその剣を持っている? デュークはどうした?」
「あいつならこの剣寄越して、どっかいっちまったぜ。てめえなんぞに用はないそうだ」
「……皮肉なものだな。長年追い求めたものが、不要になった途端、転がり込んでくるとは。満月の子と聖核、それに我が知識があればもはや宙の戒典など不要」
「何、寝言言ってやがる。つべこべ言わずエステル返しな」
ユーリが食って掛かると、アレクセイは笑いながらエステルを見た。
「ふん。姫がそれを望まれるかな?」
「エステル?」
ジュディスが呼び掛けるも、エステルは応じない。
「エステリーゼ様!?」
「エステル! どうしたのよ、エステル!」
フレンもリタも叫ぶ。しかし、エステルは両手を胸の前で握りしめ、苦しそうに顔を歪め……首を振った。
「……わからない」
「何言ってんだよ!」
ユーリが怒鳴る。するとエステルは、涙を溢しながら叫んだ。
「一緒にいたらわたし、みんなを傷つけてしまう……。でも……一緒にいたい! わたし、どうしたらいいのかわからない!」
自分では既に押さえきれなくなった自身の力を、エステルは恐れていた。幾度となくアレクセイによって力を使うことを強いられ、その度に仲間たちが倒れる姿を見て、彼女の心は折れかけていた。
たまらずパティとは叫び返す。
「エステル! しっかりするのじゃ!」
「私たちもエステルと一緒にいたいの! だから来たんだよ!!」
そして、ユーリが歩み出ながらエステルに向かって再び叫んだ。苦しむ彼女へと手を差し伸べながら。
「四の五の言うな! 来い! エステル! わかんねぇ事はみんなで考えりゃいいんだ!」
「ユーリ……!」
エステルが手を伸ばしかけたその瞬間……アレクセイが再び聖核を翳した。
駆け出しかけていたユーリたちを、再び赤い衝撃波が吹き飛ばす。
その時、消え入りそうな声でエステルが呟いたのをは聞いた。
「もう……イヤ……」
両手で顔を覆って泣き崩れる、大切な仲間の声――。
どくん、と、心臓が大きく波打った。
――いやだ、いやだ。
鼓動は強く、早くなっていく。義眼がエアルと反応し合い、処理しきれないスピードでエネルギーを生み始める。変化した獣の手は、戻るどころか、よりその感覚を鋭敏にしていった。ざわりと毛が波打ち、変化は広がっていく。
――なりそこないの怪物。
アレクセイに放たれた言葉が、脳裏を掠める。そしては一瞬躊躇った。義眼の魔導器に抗おうとした。
「いかんな、ローウェル君。ご婦人のエスコートとしてはいささか強引過ぎやしないかね。紳士的ではないな」
「生憎、紳士と無縁の下町育ちでな。行儀と諦めの悪さは勘弁してくれ」
「今となってはその剣は邪魔以外の何物でもない。ここで消えてもらう」
しかし、俯き、衝動に耐えるの耳に、アレクセイとユーリの声が届く。
……アレクセイが歩き出したようだ。「ユーリ! みんな!」エステルを連れて、遠ざかっていく。続いて広間に大勢の騎士が雪崩れ込んできた。騎士たちは此方の行く手を阻む壁となった。
ようやくエステルの元まで辿り着いたのに、また連れていかれてしまう。その怒りに震え、リタが怒号をあげた。
「あんたたち、そこをどきなさい!」
――自分が自分でなくなることは、怖い。でもきっとそれは、今のエステルも同じ。だとしたら、私がするべきことは……ひとつ。
(……自分はどうなってもいい。このままエステルを連れていかれることの方が、ずっと、嫌だ!)
の中で溢れんばかりのエアルの力が駆け巡り、その体を、心を揺さぶった。そして決意を新たにさせる。
リタが魔術を発動するよりも、ユーリが騎士に斬りかかるよりも、ずっと早くは顔を上げた。
義眼の魔導器の力に身を委ね、敵の渦中へ飛び込んでいく。
迸るエアルの光が炸裂し、の体を包み込んだ。
「!」
仲間の誰か――もしかしたら全員だったかもしれない――の呼び声を背に、は敵を見据えていた。
強烈な光は騎士たちの目を眩ませる。
エアルの光に包まれた瞬間、の姿は失われた。
代わりに現れたのは、一匹の大狼であった。真っ白な毛の節々に夜明けの空に似た青色の混じった、輝くような毛並みの狼――。
光の中から出現した狼は目眩ましに遭った騎士たちの隙を突き、己の“爪”と“牙”でもって彼等の鎧や武器を引き裂き、噛み砕き、勢いのままに凪ぎ払った。
突然の事に、騎士の軍団も、ユーリたちも息を呑んだ。
狼は次々と騎士に襲いかかった。返り血を浴びるより先に、次の獲物を目掛けて風のように駆ける。
「死にたくなければ、退きなさい!」
狼は力強く吠えた。その声に、ユーリたちは我に返る。
今の声は、間違いなく“彼女”の声だった。
……佇む狼を見つめながら、ユーリは、呆然と呟いた。
「、なのか?」
彼の声に反応して、は……白い狼はゆっくりと振り返る。その顔に刻まれた十字の傷跡と右目の魔導器が、真実を物語っていた。ユーリの中で先の出来事が蘇る。石畳を掴んでいたの異常な手と、今の狼の四肢は、そっくりだ。
狼は、目を細めながら仲間たちを見つめた。
「うん、私。……こんな時に、思い出しちゃったんだ」
優しく気弱な声は、勇ましい狼の姿とは不釣り合いだった。しかし、間違いなくの声だ。
ユーリたちは、ここに来るまでの道中のことを思い出した。誰がつけたか判らない傷を負った魔物や騎士たち。彼等を襲ったのは、やはり、だったのだ。目の前に倒れた騎士たちの傷跡と記憶にあるそれを重ね合わせ、理解する。
狼の体が突如目映く輝いた。――光が収束すると、そこに立っているのは、いつもの……ユーリたちのよく知る姿をした、だった。
は、光輝く義眼を押さえるように右手を添える。
そうして、苦笑しながら溢した。
「私は……人でも魔物でもなければ、満月の子でも始祖の隷長でもない――“なりそこない”なんだって」
酷く、悲しそうな声で。
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