「ご無事で何よりでした」と笑うルブランたち。
此方に寄り添って安堵する白い狼。
すっかり和やかな彼らに、シュヴァーンは問うた。
「ルブラン、おまえは俺のことをどれだけ知っている?」
「と、言いますと?」
目をぱちくちとさせながらルブランが聞き返すと、シュヴァーンは改めて口にした。
「俺はおまえたちが思っているような英雄などではないということだ」
「シュヴァーンさん……」
俯く騎士の沈痛な面持ちを、は案じるように覗き見る。
――どうしてこの人は、こんなにも自分を押し殺すことを強いてしまったのだろう。
人魔戦争、胸に宿る魔導器、騎士団長の野望。どれもがきっと悲しい力で働きかけ、こんなに辛く厳しい役目を彼に負わせてしまった。自分のように無知な小娘には想像もつかないような苦しみを、彼は背負い込み続けてきた。今もそのすべてが彼を悩ませている。
は何も言わず、シュヴァーンからルブランたちへと視線を移した。ルブラン、アデコール、ボッコスの瞳に輝く光が彼女の心を解す。彼らは何か考え込むようにして顔を見合わせていた。それはほんの僅かな間だった。彼らは微笑みながら頷き、再度、慕う隊長へと向き直る。
「あー……正直なところ、私は……」
そして、代表するようにしてルブランが語り始めた。
「噂に聞くシュヴァーン隊長と、実際に見てきたあなたとが、どうも同じ人という気がせんのです」
アデコールとボッコスが笑って頷く。
思わず顔を上げたシュヴァーンは、部下三人を見つめたまま動けなくなっていた。
何だか気恥ずかしそうにルブランは笑い、右手の拳をしっかりと己の胸に当てた。騎士の敬礼だ。
「我々はその、なんと言いますか――『噂の英雄』ではなく『あなた』という人間を尊敬しているのです」
「俺が……おまえらの尊敬に値するような何をした?」
「お忘れですか?」
シュヴァーンの切り返しに、ルブランは迷わず答える。
頼もしくも暖かな、輝く笑みを浮かべながら。
「あなたをお助けした時に使った技。あれは昔、あなたが私にご指導くだすった技ですぞ。騎士団の誰も教えてくれなかったというのに」
「そうだったんだ……」
ちぐはぐな印象のルブラン三人組の技が、あの瞬間だけはきちんと整っていた理由は恐らくそれだろう。はひとり頷きつつ納得していた。
ルブランは心から楽しそうに、そして嬉しそうにシュヴァーンへと伝える。
「そうして今度は、私が部下にあの技を教えました。おかげで瓦礫の下から隊長を助け出すことができたのです」
シュヴァーンは声すら出ないほどに驚いているようだった。
には、両者の思いを想像することしか出来ない。だが、何となく両者の思いが判る。
きっとシュヴァーンにとっては、技を教えたことはほんの気まぐれ。しかしルブランにとっては、その気まぐれが何にも代えがたい経験となった。初めは周囲の噂からシュヴァーンを憧れていたのかもしれないが、部下として仕えるうちに彼らは、シュヴァーンの仮面ではなく、内面を――その“人”を見て、尊敬するに至った。
「素敵な騎士様ですね。ルブランさんたちも……“あなた”も」
の心からの思いだった。
言葉を失ったままの騎士の肩が、びくりと跳ねる。その眼差しがを捉え、は、その眼差しに頷いて応えた。
見知らぬ狼への警戒心をすっかり無くしたルブランたちは、楽しそうに笑っている。
「狼殿にも隊長の素晴らしさが伝わっているとは……さすがですな!」
「あ、私、一応皆さんとは面識があるといえばあるのですが……何と言えば良いのか」
「しかし、喋る狼と会った記憶は無いのであ~る……」
「ん? 待つのだ、そういえばこの声は何となく聞き覚えが……」
「ちょっと待ってくださいね」
言うよりも見せた方が早い、とは目を閉じる。瞬間、彼女の体は眩い光に包まれ、狼から人の姿へと転じた。三人組にも見覚えのある、少し陰気ないつものの姿だ。
勿論、ルブランたちは目を剥いて驚愕した。
「何と! おまえは、ユーリたちといた……!」
「全く訳がわからんのであ~る!」
「狼が人に、いや、人が狼に!? ちんぷんかんぷんなのだ!」
しかし、部下たちとの騒ぎ声は、シュヴァーンの耳には届いていなかった。騒ぐ彼らを止める余裕など無かった。
彼の胸には、溢れんばかりの想いで満ちていた。
シュヴァーンという存在も、レイヴンという存在も、全てが“仮面”だと思い込んで生きてきた十年間。
ユーリたちと刃を交えた時に生まれた葛藤が、再び彼の胸を強く揺さぶった。
とうに自分は死んだのだと思い、過ごしてきた日々。
だが本当にその全てが仮面なのか? 偽物だと、死んだ抜け殻のものだと言えるのか?
――いいや、違う。
最初からずっと違っていた。
戦争の前も、後も。
新たな名前を手にしてからも。
ドン・ホワイトホースとの出会いも。
ユーリたちとの出会いも。
幼い少女が「お兄さん」と呼び慕ってくれていた、あの時も。
シュヴァーンも、レイヴンも、仮面なんかじゃない。
異なる名前、異なる経験、異なる感情。全て、自分のものだ。虚しい仮面なんかじゃない。
何もかも、本物の想い。
――全部“俺”だったんだ。
シュヴァーンは、レイヴンは、彼は……ずっと探していた答えを見つけた。気が付けばあまりにも当然のことすぎて、笑ってしまいそうなほどだ。しかし、十年もの間、厳しく強く己を否定し続けて生きてきた彼に、そんな真似は出来なかった。震える両腕で、同じく震える自分の体を抱きしめながら、シュヴァーンはその大きな感情たちを少しずつ受け入れていく。
「お兄さん」
優しい少女の声と、背中に触れる暖かな手の感触。確かめるまでもなくのものだ。
「今から私はとても勝手なことを言いますけれど、気にしないでくださいね」
手のひらから、体温以外の温もりが伝わってくる。普通の治癒術とは違う、その感覚には覚えがあった。エゴソーの森でがレイヴンにかけた術と同じもの。記憶を取り戻したは、意識してあの術を行使できるようになったらしい。
過去に――が記憶を失う前にも、シュヴァーンは彼女の術を受けたことがあった。エゴソーでそれを体験したときはあんなに急いた心も、今は酷く穏やかだ。魔導器を体に持つもの同士ゆえなのか、はたまた生来の力ゆえなのか。それとも……仲間への深い情が効果を増大させているのか。どれでもいい。癒しの光は、騎士の心と体を優しく包む。
はシュヴァーンを癒しながら微笑んだ。
「10年前、私、お兄さんに救われました。私を“人”として接してくれた、たったひとり。それがあなただったから。記憶を失って、ちょっとうさんくさい格好で現れたお兄さんにも、何度も救われました。具合が悪くなった私に手を差しのべてくれたりしましたよね」
少女の胸にも溢れんばかりの想いが満ちていて、言葉のたどたどしさに感情の高ぶりが現れてしまっていた。
「旅の中でも頼もしくて楽しくって。怪我を心配してくれたりして。すごく、すごく救われました。ルブランさんたちが慕うのも当然です。だって、あなたはとっても素敵な人だから。……私、素敵な仲間がいて、生きてくれていて、本当に嬉しいです」
元々口下手な彼女らしいといえばらしい。
初めて出会った時も、感情を必死に抑えて、慣れないなりに口を動かして誤魔化そうとするようないじらしい子だった。あの頃の少女が、あのまま成長してくれている。今のシュヴァーンならば、素直にそのことを喜べたし、誇らしく思った。
「だからその……ありがとう、お兄さん」
の声が震えていることに気付いて、シュヴァーンはそっと顔を上げる。
少女は笑っていた。瞳から大粒の涙をぽろぽろと幾つも溢しながら、それでも嬉しそうに笑っていた。
泣き笑いのまま、彼女はもう一度口にする。
「本当に、ありがとう……」
何度も、何度も、彼女は言った。“ありがとう”と。その度に涙を沢山溢して、でも決して笑みは絶やさない。
その度に、シュヴァーンは思った。
――君こそ、生きていてくれてありがとう。
――俺を、許してくれてありがとう。
これ以上を見ていては、情けない顔を見せてしまいそうだ。シュヴァーンは再び俯いた。
「隊長……?」心配そうなルブランの声に、微かに首を振って返す。
「彼女と一緒に、先に行っていてくれ……。すぐ行く」
隊長の言葉に、ルブランは頷いた。敬礼して立ち上がった彼は、ふらつくを支えながら立たせてやった。そして、まるで子をあやす父親のように、泣きじゃくる彼女の背を擦って歩き出す。部下二人も、シュヴァーンに敬礼したのち、ルブランへと続いて行く。
ひとり青天を仰ぎながら、シュヴァーンは――レイヴンは――男は、吠えた。
俺は、ここにいた。
全てを吐き出し、受け止め、気付いて。彼は再び歩き出す。
今までよりも確かな、“自分”という存在を実感しながら。
――行こう。仲間たちの元へ。
◆◆◆
絶えず揺れ動く何かの存在を感じる、移動要塞ヘラクレス。恐らくこれの動力には聖核が用いられている。はその力の波動を、甲板から確かに察知していた。それがエステルの力を行使したものかどうかは、複数の聖核の影響か、上手く探れない。
それでも記憶を取り戻してからというものの、感覚が鋭くなった気がする。力の使い方も、義眼の使い方も、以前に比べて格段にレベルアップしていた。寧ろ今までどうしてこう出来なかったのか不思議なくらいだ。まだ記憶には朧げな部分もあったが、自分がどうして義眼を得て、記憶を失うまでに至ったのかは確かに思い出した。
――記憶を思い出した途端、今までの記憶が吹っ飛んだりしなくて良かった。
そんな安堵に頬を緩ませたのも束の間、ヘラクレスにて合流した仲間・ユーリから、彼女は痛い再会の印をもらう羽目になった。
バチン。
とても人の指と額がぶつかった音とは思えない大きさだ。ユーリの指で思い切り弾かれた反動で、の頭がぐらりと傾ぐ。見かねたラピードのとっさのフォローが無ければ、もろに壁に後頭部を打ち付けていたに違いない。
ヒリヒリと痛む額を押さえながら、涙目では呟いた。
「あんまりじゃないかな、ユーリ」
「うっせぇ。崩れる部屋に戻るバカにはこれでも甘い方だ」
「わ、私、ちゃんと“戻る”って言ったのに……おでこ痛い……」
「そう約束した分、甘くしてやったんだっての」
ユーリへもっと言いたいことがあったものの、はぐっと堪えた。
よりも、ユーリたちの方が言いたいことが沢山あるに違いない。ここで自分がこれ以上あれこれ言うのは可笑しい。普通、あんな状況で仲間とはぐれて合流できる筈がないのだ。も正直なところ、無策で突進してしまっていたし、ルブランたちが来てくれなければ遺跡からの脱出は無理だった。
だが、パティとラピードはの宣言を信じていたらしく、そのこともあってかユーリからへの制裁は甘くしてもらえた。他の仲間たちもそれで今は良しとしてくれた。彼女は、パティとラピードに心から感謝した。
しかしが一番気掛かりだったのは、レイヴンに対する仲間の対応、そして反応だ。
レイヴンの生存は仲間たちに大きな衝撃を与えた。仲間を敵に渡した上に、死闘を繰り広げた相手である。ユーリたちがヘラクレスへ上陸するための手助けをしたのが、レイヴンの指揮で動いたルブランたちシュヴァーン隊だと知ると、ますます彼らは驚いた。
仲間の眼差しから逃げることなく、レイヴンは佇む。
「よろしく頼むわ」
「何言ってんのよ! 信用できるわけ……ないでしょ」
「おっさん、自分が何やったか忘れたとは言わせねぇぜ」
いつもの調子で笑うレイヴンに、噛みつくようにリタが返す。続いたユーリの声も辛辣だ。
がおろおろと様子を見守っていると、「そっか」と淡白な声でレイヴンが頷く。
「ならサクッと殺っちゃってくれや」
何を、と身を乗り出しかけたの目は、銀色に輝くものが宙を舞うのを認めた。それは、普段レイヴンが腰に差している小刀であることに、が気付いたのは、舞う小刀をぱしりとユーリが掴んだのを見てからだった。
これで自分を殺せ、ということなのだろうか。……は青褪めながら、小刀を凝視する。
小刀を受け取ったユーリは、顔色一つ変えずに頷く。
「じゃあ〈凛々の明星〉の掟に従ってケジメを付けさせてもらうぜ」
小刀を握り締めたままレイヴンに肉薄したユーリは、――思い切りその拳を振りぬいた。ユーリの拳はレイヴンの左頬を直撃する。物凄い音がした。手加減も躊躇も遠慮も一切ない彼の殴りに、レイヴンはふらついた。
「って~」
倒れずに済むレイヴンも凄い。は呆然と成り行きを見守っていた。
レイヴンの足元に小刀を投げ捨て、ユーリは言う。
「あんたの命、〈凛々の明星〉がもらった。生きるも死ぬもオレたち次第。こんなとこでどうだ? カロル先生」
「えへへ。さすがユーリ。ばっちりだよ」
安堵したように笑ってレイヴンたちのもとに駆け寄って来たカロルは、その勢いのままユーリに続き、レイヴンを殴った。さすがに膝を折るレイヴン。
そこに涼やかな笑みのジュディスが手を差しのべた……かと思いきや、起き上がりかけの彼に強烈なパンチをお見舞いする。まさかのフェイントに、レイヴンの視界では星が瞬いていた。
「せっかくだから」とリタも彼をぶん殴り、パティは小柄な体で全力のヒップアタックをプレゼントした。
フレンとラピード以外の仲間たちはそれぞれ思い思いにレイヴンへ“罰”を与えた。
「勝手に死んじゃダメだからね、レイヴン!」
カロルの言葉を合図に、ユーリたちは揃って満面の笑みをレイヴンへと向けた。
手荒くて手厚い“仲間”ならではの歓迎に、レイヴンは苦笑するしかない。気のせいか、その瞳が揺らいでいる。
それを傍目にしたもまた、言葉にならない感動に顔を綻ばせていた。
ユーリたちが先に歩き出したのを見て、フレンが静かにレイヴンへと歩み寄って行った。立ち上がろうとする彼を支えながら、フレンは微笑む。
「よくご無事で」
「へ? ん、ああ、ルブランたちのお陰でどうにかね。ちゃんにも迷惑かけたし。みっともない話さ」
「私ほどみっともなくはないですよ、レイヴンさん!」
「俺様がみっともないこと自体は否定しないのね……」
何も言わず笑うに、レイヴンは参ったふうに苦笑いで返す。
二人のやりとりを見守りながら、フレンは改めてレイヴンの面差しを確かめていた。
英雄シュヴァーン。フレンは騎士団に入隊して間もない頃に、一度言葉を交わしたことがあった。その時フレンは、シュヴァーンに言った。
“自分もあなたのような『本物の騎士』になりたい”と――。
こんなことになってしまった今、彼が噂通りの英雄ではないことはフレンも気付いている。それでもフレンにとって、シュヴァーン……そしてレイヴンは、間違いなく『騎士』であった。
「本当にあなただったんですね」
「お前さんにも悪いことしたな。殴られても文句は言わんよ」
肩を竦めたレイヴンを咎めることなく、フレンは首を振って答える。
「自分も騎士団長に従い続けた身ですから」
「そか。そんじゃま、団長閣下に世話になったモン同士、落とし前つけに行くとするかね」
「はい」
二人の騎士が決意新たに立ち上がるのを、はラピードと共にしっかりとその記憶に焼き付けた。
ニコニコと微笑むが、レイヴンの背中をポンと叩いた。そのついでに行使された治癒術が、仲間たちから受けた歓迎のダメージを和らげていく。
「私もアレクセイには色々つけたい落とし前があるので、勝手に加わりますよー」
「調子いいわね、ちゃん」
「仲間との合流の力ですかね!」
記憶の蘇ったの明るさはまるで別人だ。しかしそれよりも、二人の距離感が以前とは全く異なっていることの方が不思議で、珍しい。まるで数十年の付き合いのような親しさだ。
首を傾げつつ、フレンは瞬きする。
「何だか……変わりましたね」
独り言のようなその呟きに、とレイヴンはどちらからともなく顔を見合わせた。
「そお? まあ、ちゃんは元来の明るさが戻ったって感じよね」
「レイヴンさんも一皮むけましたよね。前よりいい男ですよ。ラピードさんほどじゃないけど!」
「ひ、ひどい! 褒めてるようで褒めてないわよちゃぁん……」
今までのとは少し違う。
今までのレイヴンとは少し違う。
当然だった。長年のしがらみから解放された、晴れやかな笑み。希望を信じて輝く、ユーリたちと同じ瞳。
長い時を経て、二人は判り合うことが叶った。
許し、許された二人は、次の目的――エステルの救出に向けて、前進している。
とレイヴンが語らずとも、二人に喜ばしい変化が起きたことをフレンは再認識する。
「やっぱり変わったな……レイヴンさんも、も」
フレンは呟く。
変わったことを嘆くのではなく、祝福するような思いの込められた声音だった。
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