大切な仲間が危機に瀕している。此処とは別の場所にいる仲間が。
その危機が去りますようにと、闇の中では祈り続けた。
祈りは小さな光となった。光が仲間の姿と彼女の意識を繋ぎ、聞き慣れた少年の声が響く。
――ボクたちは〈凛々の明星〉だ……!!
激しい吹雪が吹き付ける中、ボロボロになりながらも仲間を庇って立ち上がるカロルの姿が見える。
ああ、いつの間にこんなに頼もしくなっていたんだろう? まだ小さな少年だというのに。目頭が熱くなる。
そこで光と声は一旦途切れ、次に光が齎したのは、目に優しい深い緑が生い茂る森。先程の吹雪く地とは違い、見覚えがある景色だ。
茂みのなかを、カロルはずんずんと突き進んでいく。その目が捉えているのは、壊れた魔導器の傍で休む青年。ユーリだ。いつも周囲のフォローを最優先にして、自分は率先して辛いことを引き受け、そのくせ自分の苦しみは決して周囲に見せようとしない。狡くて優しいユーリ。
カロルの怒りが伝わってくる。どうやらユーリは独りで何か抱え込んで、突っ走ってしまったらしい。カロルの中にある、彼を思うが故の激情が、その暖かさが手に取るようにわかる。ただその想いと事の重大さのあまり、カロルはユーリ目掛けて……武器を振り上げていくではないか。
――ユーリの、バカ―――ッ!!
カロルの怒号と行動に、思わずは叫ぶ。
「危ない、ユーリ!!」
「うわっ!?」
文字の如く跳ね起きたの傍で、男が驚いて声を上げる。
は呆然とした。そして、自分がすっかり眠りこけていた……あるいは気絶していたことに気付かされた。忙しなく辺りを見渡すも、仲間たちの姿は当然ない。
――夢、見てたのか。
当然だ。ここにユーリたちがいるはずがない。事情がこんがらがって、だけ突出してしまったのだ。何処にいるかも知れない彼らが此処に辿り着くまではまだ時間が掛かるだろう。
しょんぼりと項垂れた彼女は、未だに驚き、硬直している男性の顔を見てハッとした。
「ご、ごめんなさい」
両手をついて頭を下げたつもりが、前足を追って頭を下げる形になる。そこでようやっとは、自分がまだ狼の姿であることを自覚した。男性が驚いたのは、狼姿のが跳ね起きたせいだったのだ。よくよく見れば広い部屋のあちこちに沢山の人が散っている。見知らぬ人ばかりだ。彼等の視線は、今しがた起きたばかりのへ集中していた。
――此処は何処だろう? ええと、私は確かエステルを助けるために来ていて、つまりここは帝都で、そのお城の中で。とりあえず、今のところ周囲に敵影は無し。
思考と現状におおよその整理をつけて、は変身を解こうと改めて試みた。が、やはり戻れない。これはもしかすると、帝都全体のエアルの乱れが落ち着くまで無理かもしれない。本能が潜在術式に訴えかけ、この非常事態に一番適した体質を維持させようとしているのではないかと憶測した。
「お、驚かせるつもりは無いんです。あ、怪しい者でもなく、友人を探しに来ていて……」
慌てふためくを、不思議と人々たちは疑わずに見つめていた。
普通、魔物と見紛うような狼が喋ればもっと警戒しそうなものだが、と散々喋り散らしてから彼女は思う。そんなの疑問は、駆け寄ってきた三人の騎士が解決してくれた。
「気が付いたか、!」
「異常なしのようであーる!」
「良かったのだ!」
「ルブランさん、アデコールさん、ボッコスさん!? どうして此処に?」
の方からも慌てて彼等へ駆け寄って行く。直前まで散々無茶をしていたせいか、体は思った以上に重く、動かしにくかった。三人の顔をまじまじ見つめ、白い狼は首を傾げる。
まるで大型犬のような愛嬌ある仕草に、半ば毒気を抜かれたルブランが応じた。
「それは我々の台詞だ……と、言いたいところだが、状況が状況だ。ひとまず説明してやろう」
バクティオン神殿で世話になったルブランたちの説明に、はじっと耳を傾ける。
そして、此処がザーフィアス城内の食堂であること、彼等は逃げ遅れていた下町の住民を保護して城内へ来たこと、その先でたまたまと親衛隊の戦闘に鉢合わせたことを教えてくれた。ユーリたちの行方に関してはルブランたちも知らなかったが、ユーリとフレンの出身である下町の人々が無事であることを彼女は喜んだ。
「すごいですね、ルブランさんたち! きっとこれぞまさしく騎士の鑑です!!」
「城内で迅速に行動できたのは、お前が親衛隊を蹴散らしていたお陰でもあるな」
「突撃しただけなんですが、少しは役に立ったようで何よりです」
「だが無茶をするのは褒められた行動ではない! 単騎で騎士や魔物と相対するとは……。何でまたユーリたちとはぐれたのだ」
「帝都目がけて飛んできた途中で、エアルの嵐に揉みくちゃにされて……私だけ帝都に落っこちた感じです」
もうの突飛さには慣れたのか、ルブランは嘆息するだけだった。
「本当に無茶苦茶な奴だ……」
その時、伏せていたが急にぴんと耳を立てて立ち上がった。「気配がする」断片的なの呟き。ルブランたちの顔に緊張が走る。
――まさか、親衛隊か?
に詳細を確かめるより、市民たちの護衛が思考の大半を占めているルブランは、部下二人と共にそっと扉へと近づいていく。しっかり得物を握り、構えたまま。
「、お前はこの中で住民たちを守ってくれ。我々が外に出る」
「え、いや、でも――」
「行くぞ、アデコール、ボッコス」
「了解であーる!」
「了解なのだ!」
何か言いたげなへ食堂での待機を命じて、ルブランは一気に扉を開け放った。先手必勝、一か八かの不意打ちで敵を滅さん。「だああああっ!!」気合の雄たけびと共に突進していた三人は、勢いのあまり反対側の壁に激突してしまった。
「あだだだだだだ!!」
三人の騎士は痛みのあまり、もんどり打って倒れ込む。各々様々に呻きもがいている。
はすぐさま外を警戒し、住民たちを背に庇う様にして扉から顔を出した。不思議なことに、付近から敵意や殺意といった険しいものが感じられなく、寧ろ呆気に取られたような空気が伝わってきた。
「なんだぁ……?」その空気にふさわしい間の抜けた男の――聞き覚えのある青年の声がして、は目を見開いた。
その声に、の背後へ庇われていた住民のひとり……ハンクスも外へ出る。
「ユーリ!? ユーリか!」
「ハンクスじいさん!?」
ユーリとその老人ハンクスは、顔見知り以上の付き合いであると窺い知れる驚きようだった。
はこっそりと食堂へ引っ込む。ユーリ以外の仲間たちも勢ぞろいで食堂の扉の前にいた。敵ではない。寧ろ、待ち望んでいた仲間との合流。その嬉しさのままに彼らの話へ入ろうかとも思ったが、今はユーリと下町の住民の再会を邪魔したくなかった。異質な狼という容貌に化けていても、は自在に影を薄くし、存在感を無くしていた。そろりそろりと食堂の中へと戻って、扉の脇に伏せる。
「じいさん、みんな! 無事だったのか!」
「そりゃこっちのセリフじゃ」
「なんで城の中になんていんだよ!?」
「ほんと、それにお前らまで」
驚愕のまま捲し立てるユーリに続いて口を開いたのはレイヴンだ。そして彼の指す“お前ら”は言うまでもなくルブラン小隊。ようやっと彼らは起立し、ぴんと背筋を伸ばして答える。
「それがその、フレン殿の命令で市民の避難を誘導していたのでありますが、その……ふと下町の住民の姿が見えないことに気が付きまして、命令にはなかったんでありますが、つまりその……」
「出口は崩れるわ、おかしな靄は迫るわ、危ないとこじゃった。なんとか騎士殿の助けで靄のないここに逃げ込めた。命の恩人じゃよ」
穏やかなハンクスの感謝を受けつつも、ルブランの顔色は冴えない。たとえ下町の住民を救ったとて、彼らが命令外の行動に走った事実は変わらないのだ。「め、命令違反の罰は受けます!」叫ぶルブランに、「我々も同罪なのであーる!」「我々も同罪なのだ!」アデコール、ボッコスも続く。
返答を求められたシュヴァーン……ではなくレイヴンは、彼らに背中を向け、肩を竦めた。
「罰も何も、俺ただのおっさんだからねぇ。それに市民を護るのは騎士の本分っしょ? ……よくやったな」
肩越しにルブランたちを振り返るレイヴンの眼差しは暖かかった。
思わぬ労いの言葉に、ルブランの目は瞬く間に涙で揺らぐ。男泣きだ。だばだばと涙をあふれさせながら、ルブランは声を張る。
「こっ、光栄であります! シュヴァ……レイヴン隊長殿!」
「隊長ゆーな。俺様はただのレイヴンよ」
「はっ! 失礼しました、ただのレイヴン殿ォ!」
やれやれ、と額を押さえるレイヴンを、仲間たちは微笑ましげに見守る。
「尊敬されてるのね」
「ほんと、想像つかないわ」
「見かけによらないもんじゃの」
そして、下町の住民の無事を見て明らかに活気を取り戻したユーリへ、カロルが微笑む。
「よかったね、ユーリ」
「しぶとい奴らだって忘れてた。心配するだけ無駄だったわ」
いつもの皮肉がきいた台詞がなおのこと微笑ましい。「なんだかユーリ、今までにないくらいにすごく嬉しそうなのじゃ」「うん、そうだね」パティとカロルの会話でますますユーリは微妙な表情になっていく。照れくさいのだろうか。
だが、何時までも再会を喜んでいる訳にはいかなかった。
「……ったく。おい、いい加減コソコソしてねーで出て来い」
名前を呼ばれ、ぎくりとしたの肩が跳ねる。おそるおそる扉の影から顔を覗かせ、狼の少女は、ユーリたちを見た。……皆の眼差しから察するに、がそそくさを身を隠したのは最初から判っていたようだ。気を利かせて隠れていたつもりが、逆に自身の立ち位置を追い詰める形になった。渋々ユーリらの前へ進み出たは、
「み、みんな元気? 合流出来て良かったよ」
「バカだろ」
懸命に明るく振舞ったが一蹴される。
「その姿、何とかしろよ。散々心配かけやがって」
「私も戻りたいのは山々だけれど戻れないんだよ。心配は私だってしたしね。みんながすごい勢いで吹っ飛んでくんだもの」
とて好きでこうしているわけではなく、はぐれたわけでもない。細やかに食い下がってみると、ユーリはの心情を察したのか、それ以上言及してくることは無かった。ただ次は、他の仲間たちからの質問が彼女に迫る。
「戻れないってどういうこと? もしかしてボクらとはぐれてからずっとなの?」
「帝都のエアルの乱れか、エステルの力が作用してるのかもしれないわ」
「不確定要素が多すぎて天才魔導少女にも何とも言えない感じ?」
「エステルももあたしの理解の範疇越えてるわよ、悔しいけど」
「どうしようもないのなら仕方ないけれど、何か異変があったら隠さずに私たちに言って。ね?」
「うむ、今はアレクセイを早く止めなければなのじゃ。、動けるかの」
勿論は頷いた。自分の姿なんかどうでもいい。再会の喜びなんて後回しでいい。エステルの救出、アレクセイの野望の阻止。ふたつの目的が心身を奮い立たせる。
レイヴンは、ルブランたちを顧みた。
「おまえら、元団長閣下を見なかったか?」
「いえ、我々は見ておりません。ただ外で親衛隊の話し声で、なにやら御剣の階梯のことを」
「御剣の階梯?」
聞き慣れぬ場所の名にリタが聞き返し、「うちらが吹っ飛ばされた、あの高ーい高いアレよ」レイヴンの言葉で、バウルと共に帝都へ来た時のことを皆は思い出す。御剣。確かにあれは巨大な剣だった。
「まだそこにいるってことね」
「煙と極悪人は高いところに昇りたがるんじゃな」
意気込むジュディスとパティに、難しい顔でレイヴンが返す。
「問題は、御剣の階梯って、えらーい人しか入れないのよね。仕掛けがあんの」
「隊長主席ほどの偉い人でも無理なんですか?」
恐る恐るが問うと、彼は肩を落とした。
「大丈夫だったら、こんなテンション下がらないんだけどねぇ」
「……ですよね」
ただでさえ深刻な状況だ、出来る限り素早く進みたいがあのアレクセイが何も考えていないはずもない。
自然と落ち込むらを、カロルが励ました。
「仕掛けならボクが外す! 術式ならリタがいる。大丈夫だよ!」
ただの励ましではなく、決意と活力に満ちた声。絶対にエステルを助け出す――強い決意の証。
カロルの言葉に、ユーリも顔を綻ばせた。
「だな。じいさん、あんたらはこのままここに隠れててくれ」
下町の住民とルブランたちと別れ、ユーリたちは今一度エステルの救出に向けて歩み出した。
は、仲間と合流して今一度深くその存在の有難みを痛感していた。精神的に追い詰められ、余裕を失っていたのが嘘のようだった。一人きりで城内へ突入した時と打って変わって、動きも切れを増した気がする。相変わらず狼のままだったが、その姿でラピードと共に戦線へ出たりすると、不謹慎ながらも“この体も悪くない”と感じた。
御剣の階梯を目指して進むユーリらは、謁見の間へと辿り着いた。皇帝が亡くなって久しい今、部屋の中央に備え付けられた玉座の輝きは逆に虚しく映った。
――いつか、あそこにエステルが座るかもしれないのかな。
他愛ない物思いにが耽った刹那、
「ようやく来ましたね」
聞き慣れない女性の声が、背後から届いた。
たちが振り返ると、そこにはクリティア族の女性が立っていた。淡い色のナギーグ、少し日に焼けたような肌、整った顔立ち。その眼差しは無風の水面のように揺らぎが無い。そして、隙も。
同族との出会いのせいか、些かジュディスが戸惑ったふうには感じた。
そのジュディスが女性へ正体を問うより先に、レイヴンが口を開く。
「帝国騎士団特別諮問官クローム……。要するにアレクセイの秘書殿よ」
「アレクセイの……ってことは!?」
「敵!?」
パティとリタが身構えると、女性――クロームは静かに首を振る。
「いいえ違います。……少なくとも今は」
「引っかかる言い方だな。悪ぃが、こっちは急いでんだ。戦うか、でなきゃ後にしてくんねえかな」
険のあるユーリの警告に、一切怯む様子はない。クロームは相変わらず揺らがぬ瞳で此方を見据えていた。
「誰がためにあなたたちは戦うのですか。……あの哀れな娘のためですか」
一切の感情は読み取れなかったが、“哀れな娘”が誰を指すのかは嫌でもわかった。
――エステル。今もアレクセイに力を悪用され、苦しむ大切な仲間。
は言いようのない激情が頭の中を真っ白にさせる。それが怒りであることに気付いたのは、リタの叫びを聞いてからだった。
「哀れだとかあんたに言われる筋合いなんかない!」
「回りくどいねぇ。何が言いたいのよ?」
レイヴンもまた不愉快さを隠すことなく声音に滲ませる。
感情を露にするユーリらに対し、クロームは何処までも理性的で、冷静で、傍観者として此方に接してきた。
「あの人があなたたちに何を見たのか判りませんが……。あなたたちがあの人を止めてくれるのを願っています」
言うだけ言って、何もせずにクロームは去ってしまった。遠くなる背中を見つめながら、はふと違和感を覚えた。
どうしたことか。初めて会う筈のクロームの声は、聞き慣れないものではあったものの、全く知らぬ声ではない。だが知っているというにはあまりにぼんやりとした印象。疑問を解消しようにも、当のクロームの姿は見えなくなっていた。
仲間たちもクロームの言葉の真意を探っていたが、そんな暇があればさっさと仕掛けを解いてエステルを救出すべきだと再び歩き出す。も当然それに倣った。合流してからラピードの隣を歩くのが癖になっているのに今更気付いて、――こんな時でも無意識下でラピードを拠り所にしている自分の弱さが沁みて辛い。
自然とは歩みを遅くして、仲間の一番後ろへと回った。
彼等の背中をじっと見つめ、白狼は、一歩ずつ無機質な床を踏みしめた。
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