様々な仕掛けを解除し、ユーリたちはようやっと御剣の階梯へと足を踏み入れた。
大きな螺旋状の通路を、必死に駆け上がる。アレクセイがエステルの力で作り出した不可視の障壁で防いでいるエアルの嵐が間近に見え、これらを防ぐために力を利用されている負担を想像するだけでは震え、毛が逆立った。
――こんなにエステルの力を、無理に、勝手に使って!
憎き相手の元に辿り着くまで、然程時間は掛からなかった。階梯の頂上で、聖核を掲げたアレクセイと囚われのエステルの姿が目に映る。
ユーリたちに気付いたアレクセイは、肩を竦め、嘆息した。
「呆れたものだ。あの衝撃でも死なないとは」
「あやうくご期待に沿えるとこだったけどな」
ユーリはアレクセイをぎりっと睨みつける。
「エステル返してぶっ倒されんのと、ぶっ倒されてエステル返すのと、どっちか選びな」
「月並みで悪いが、どちらも断ると言ったら?」
「じゃあオレが決めてやるよ」
ユーリが静かに剣を抜いた。仲間たちも続いて、武器を構える。視線は一度たりともアレクセイから離さない。
ただアレクセイは此方の存在を殆ど気にしておらず、聖核とエステルの力へ酔いしれた調子のままだ。
「姫の力は本当に素晴らしかった。いにしえの満月の子らと比べても遜色あるまい。人にはそれぞれ相応しい役回りというものがある」
「勝手なことばかり言って……!」
唸るを、アレクセイは嘲笑う。
「出来損ないのお前と違い、姫はそれを立派に果たしてくれたのだ」
「用が済んだってんなら、尚のこと返してもらうぜ」
切っ先をアレクセイに向け、ユーリは告げる。ちらりと此方を一瞥した元騎士団長は、抵抗するかと思いきや、
「いいとも」
そう言って、あっさりとエステルを捕らえる術式を解除した。解放されたエステルが静かに降り立ち、ユーリらを見据える。だが、何かが可笑しい。何も映らない瞳。光を無くしたそれ。いつも輝きを失うことのなかった若葉色の双眸は、仲間の姿も、彼女自身の感情すらも、映してはいなかった。
「エステル!?」ジュディスが呼びかけるも、答えはない。
不意に剣を構えたエステルは、感情を失ったままユーリへと斬りかかってきた。
「うおっ!!」
咄嗟に剣撃を防いだユーリは、酷く驚いた。普段のエステルとは全く違う、剣の重みと衝撃。これほどの力をエステルは有していたのか。
「エステル! どうしたんだよ!!」
「待って。操られているようよ」
慌てふためくカロルを、ジュディスが静かに制した。
エステルの剣を受け止めたまま動けずにいるユーリを見て、パティは唇を噛み締める。
「……卑怯なのじゃ、アレクセイ!!」
当然アレクセイがパティの怒号を気に掛けることなど無かった。
「姫を取り戻してどうする? その力はもう本人の意思ではどうにもならん。我がシステムによってようやく制御している状態なのだ」
制御できない力には、嫌というほど身に覚えがある。
心を封じられたエステルから、その封をしたアレクセイへと視線を移し、は吠えた。
「そこまで追い詰めるほどエステルに力を使わせたのは、あなたでしょう!?」
「好きに吠えるといい、獣風情が」
「あなたはその獣以下だ!」
の叫びなど、当然アレクセイは意に介していない。そこまでして彼が目指す野望とは一体何なのか。既にエステルの力による目的を果たしたらしいアレクセイは、優雅に歩みだしながら、微笑みすら湛えながら語って見せる。
「暴走した魔導器を止めるには破壊するしかない。諸君ならよく知っている筈だな」
「エステルを物呼ばわりしないで!」
「ああ、まさしくかけがえのない道具だったよ、姫は」
リタの叫びを一言で切り捨てたアレクセイが、レイヴンを見やる。
「お前もだ、シュヴァーン。生き延びたのならまた使ってやる。さっさと道具らしく戻ってくるがいい」
「シュヴァーンなら可哀相に、あんたが生き埋めにしたでしょが。俺はレイヴン。そこんとこよろしく」
アレクセイは呆れ返っていた。こんな状況において、ユーリらに取り囲まれ、むき出しの敵意をその身に受けながら。本当に彼は自身の野望以外どうでもいいのだ。
いまだエステルの剣をしのぎ続けているユーリが、声を振り絞ってアレクセイへ反論する。
「役回りがあるってのは同感だけどな、その中身は自分で決めるもんだろ」
「それで無駄な人生を送る者もいるというのにかね。異な事を」
「自分で選んだなら受け入れるよ。自分で決めるってのはそういうことだ!」
「無駄かどうかなんて、おまえに決める権利なんかないのじゃ!」
カロルとパティもまたアレクセイへ反論し、仲間たちも同調した。
自分たちは、アレクセイとは決して判り合えない場所と思考の元にある。仲間を酷く扱われて怒らずにいられる人間は、少なくともユーリらの中には存在しない。
決意に満ちた眼差しに、アレクセイは首を振った。
「残念だな。どこまでも平行線か」
盛大な溜め息ののち、不敵に笑んだアレクセイが剣を抜き、掲げた。機械的なその剣の柄に収まった魔核が強く発光し、それに呼応するようにエステルの力も強くなっていく。
アレクセイのシステムに支配され、意思を奪われ、操られるがままのエステル。その表情にはやはり何も浮かんでこない。しかし、押し込められた心の奥底で、彼女が悲鳴をあげているのは間違いなかった。
「止めろ!! よせ、エステル! くっそおお!!」
その想いが手に取るように判ったから、ユーリは叫ばずにはいられなかった。
ようやっと剣を弾いてエステルと距離をとる。
エステルを操るアレクセイを叩ければ早いのだが、それをエステルは全力で阻止するだろう。たとえ成功したとて、ここまで膨れ上がった満月の子の力を、アレクセイのシステムから無理に外してしまえばエステルはどうなってしまうのか判らない。
自分たちに与えられた選択肢はたった一つ。……彼女と戦うこと。
エステルは再びユーリに斬りかかってくる。それをいなして、ユーリはまた距離をとる。
「エステルを傷つけるなんて……できないっ!!」
リタは必死に涙を堪えていた。皆同じ気持ちだった。誰よりも仲間想いである彼女を、どうして傷つけなくてはいけないのか。
尚もエステルは攻撃を続けた。今度は動きの鈍ったリタ目がけて迫ってくる。ジュディスは意を決して、二人の間に滑り込むと、槍でエステルの剣を弾いた。
「気を付けて! この娘、それなりに強いのよ……!」
「わかってる、わかってるわよ……でも……」
次々とエステルは斬りかかってくる。その動きどれもが彼女の限界を超えたものばかりだった。レイヴンやカロル、パティたちも必死に攻撃を防ぐ。ラピードが何とか武器を落とせないかと試みるが、エステルはそれすらかわして攻め込んでくる。
剣を交えながら、ユーリは叫んだ。
「エステル、目ぇ覚ませ!!」
「しっかりして、エステルッ!!」
リタの瞳から涙が零れた。魔術による火球が放たれたものの、勢いは弱々しく、エステルから離れた場所で弾けた。それでも熱風に煽られてエステルが僅かによろける。次々に仲間から名を呼ばれ、感情のない瞳が、表情が、少しずつ歪み始める。
「うっ……うわあああぁぁああ!!」
彼女は絶叫した。懸命に抗っているのだ。しかし、システムの支配から逃れるまでには至らない。
その向こう側でアレクセイが歪んだ笑みを浮かべていた。それを目にしたレイヴンが怒り露わに吐き捨てる。
「あの外道団長がっ!!」
「エステルを離せぇっ!!」
もまた、仲間と共にエステルへ挑んでいた。彼女を呪縛から解き放つために、我武者羅に。爪や牙で傷つける訳にはいかない。妨害のための魔術を幾らか唱えてはみたが、システムの呪縛と満月の子の力に無効化されてしまう。
「だよね、このぐらいで眠ってくれたら苦労しないや……」
呻くへエステルが剣を構えて迫ってくる。大きい自分は彼女にとって狙いやすい的だろう。この狭さでは幾ら狼の早さを持っていても意味がない。それらを逆手にとって的になるのも手かもしれない。だがが傷つけば、正気に返ったエステルはもっと傷つくだろう。
「ごめん、エステル!」
「うぐっ!?」
はエステルの剣を回避し、体当たりした。ユーリたちとの激しい攻防があっても、エステルには殆ど怪我がなかった。皆の器用さとエステルへの深い想いが知れる。自分も負けてはいられない。
操られているがゆえに、エステルは自身の疲弊に気付いていなかった。それを白狼の巨躯で押し倒すのは容易かった。もちろん、最小限に力は抑えて。何度も全力で剣を振るっていたエステルの手はとっくに限界を超えており、その衝撃で剣を手放してしまう。
エステルに馬乗りになって動きを封じたは、まず彼女へ治癒術を施した。それからエステルを縛る術式を取り払うために力を行使した。エステルを制御するシステムを調べ、その中から彼女の心を奪うものを見つけ出す。かつて自身が経験したこともあって、それらしきものはすぐに見つかった。
「少し、我慢してね……」
ふわりと立ち上るエアルと、ふたりを取り囲む術式に、仲間もアレクセイも目を見開いた。
「あれは……」
「が、エステルを操るシステムに介入してる……? でも、これならエステルが!」
エアルの流れにジュディスが目を細め、リタが顔を輝かせた瞬間――、
「ふむ、パワーが足りなかったか?」
無慈悲な元騎士団長の声が響いた。彼は剣に意識を集中させると、魔核を再び輝かせた。
同時には、エステルの異変に気付いた。システムへの介入が遮断され、此方を上回るスピードでエアルが増幅していく。
宙の戒典を通じてその流れを察知したユーリが、エステルとを見る。
「きゃあああああっ!!」
「だめ、追いつかない……!」
「エステ――」
叫ぶエステル、嘆く、呼びかけようとするユーリ。
瞬間、エステルを中心にエアルは衝撃波となって放たれる。
衝撃波を間近で全身に受けたは、大きく吹き飛ばされる羽目になった。エステルの力との力は似て非なるもの。力同士を直にぶつけて負けたダメージは酷かった。床に体を叩きつけられ、咳き込みながら血を吐き出す。体の内から焼かれるような痛みと熱だ。四肢に力が入らない。首を持ち上げるのがやっとだったが、それも長く持たない。エステル。せめて彼女の名前を呼びたかったが、血を吐くことしか出来なかった。意識を失わないように保つことがやっとだ。
他の仲間たちも、衝撃波によって完全に動けなくなってしまっていた。体を支えるので精いっぱいで、一歩でも踏み出そうものならそのまま頽れてしまう状態だ。
その中、ただひとり、宙の戒典を手にしたユーリだけは剣の守護を受け、無事であった。
アレクセイが、此方を見下しながら語り始める。
「諸君のお陰でこうして宙の戒典に代わる新しい『鍵』も完成した。礼と言ってはなんだが、我が計画の最後の仕上げを見届けて頂こう。……真の満月の子の目覚めをな」
――真の満月の子? 問い質す力もなく、ようやっと体を起こしたは、アレクセイが引き起こす異変をただ見つめるしかなかった。
彼が作り上げた『鍵』の輝きに呼応し、御剣の階梯の上空に紋章が浮かび上がる。紋章もまた輝きだすと、その光を凝縮し、海上を目掛けて放った。光を浴びた海は大きく揺れ始める。何かが海底からせり上がって来て、海面を揺らしているのだ。その何かは、程なくして海の上へと姿を現した……。
――まるで巨大な指輪だ。頂点には魔核らしきものが神々しく輝いている。
その建造物の姿を見て、アレクセイは高笑いをし始めた。
「くく、ははは……成功だ! やったぞ、遂にやった!! あれこそ、古代文明が生み出した究極の遺産! ザウデ不落宮! かつて世界を見舞った災厄をも打ち砕いたという究極の魔導器!!」
はぞっとした。アレクセイのおぞましい笑い声は、過去に彼女の右目を義眼に換えた狂科学者のそれにそっくりだった。自身の目的のためならば他はどうなっても構わない人間の声。そう歪んでしまった者の声。
必死に会場へ現れたザウデ不落宮なるものを見つめ、リタが呻く。
「魔導器!? あれが……」
「あの壁画の……輪っかなのか……?」
パティの言葉で、はミョルゾの壁画を思い出した。確かに壁画にあった指輪のモチーフに似ている。アレクセイが“世界を見舞った災厄を打ち砕いた”と言っていたことからも、間違いなさそうだ。
だとすれば、ますますこの男にあの魔導器を触れさせてはならない。
「駄目、あれは、誰も触っちゃいけないものだ……」
はアレクセイを睨みつけた。
笑い続けるアレクセイはザウデの姿にすっかり見惚れている。
「誰もいないところでやってくれ。聞いてて恥ずかしいぜ」
冷ややかなユーリの声と、確かな足取りが、アレクセイへと近づいていく。
ようやくユーリらへ関心を――ささやかにではあったが――戻したアレクセイは、すっと笑みを消し、口を開いた。
「……ショーは終わりだ。幕引きをするとしよう。姫、ひとりずつお仲間の首を落として差し上げるがいい」
「てめえ……!!」
「姫も君達がわざわざここに来たりしなければ、こんなことをせずに済んだものを。我に返ったときの姫のことを思うと心が痛むよ」
ユーリは駆け出した。しかし、それよりもアレクセイの行動の方が早かった。
「では、ごきげんよう」
仰々しく会釈したアレクセイの周囲に突風が生まれ、一瞬で姿が消えてしまう。剣の力でここから飛び去ったのだ。かつてバルボスがそうしてガスファロストへ向かった時のように。
「待てってんだ、アレクセイ! てめぇ、戻ってこい! アレクセイ!!」
ユーリの怒号は虚しく階梯内に響くだけ。アレクセイがどの程度でザウデ不落宮に辿り着くかは見当もつかない。出来る限り早く追わなくてはいけないと誰もが思っていた。しかし。それよりも大事なことがある。自分たちがここまで来た理由。
――エステル。
衝撃波を放って以来、倒れていたエステルがふらりと立ち上がる。素早く剣を拾った彼女は、尚も上空を睨みつけるユーリの背へ向かっていった。
「エステル……やめて……!」
「エステル! ユーリッ!」
リタは泣き叫び、は血まじりに吠える。
ユーリは我に返り、エステルの剣を寸でのところで躱した。間を置かず斬りかかられ、これは宙の戒典を盾に防ぐ。ユーリが歯を食いしばり、エステルは尚も感情なき瞳でユーリを見据える。
鍔迫り合いの最中、エステルの唇がゆっくりと開かれた。
「これ以上……誰かを傷つける前に……お願い……」
は幻聴だと思った。だが、確かに聞こえた。エステルの弱々しい声。余りに小さくて、儚くて、消え入りそうな声。僅かな間、呪縛から逃れて仲間がユーリへ伝えた言葉は、以前と同じ言葉――。
「殺して」
涙で視界が霞んだ。今すぐ彼女へ駆け寄りたいのに体は動かない。焼け爛れた体内からまた血が溢れてくる。ここまで深手だとは思わなかった。殺して。ころして。言葉が反響するたびに、意思とは反して体は悲鳴を上げる。
――エステルの悲鳴に比べたら、こんなもの、どうってことないはずないのに。
――どうして、うごいてくれないの……!
血が、止まらない。
「今……楽にしてやる」
今にも赤黒い闇へ落ちそうなの意識が急浮上した。
黒衣の青年の、決意を秘めた言葉。花色の皇女を狙い定めた、宙の戒典の切先。
仲間たちは言葉にならない思いを込めて口々に青年の名を叫んだ。の叫びも混じった。
ユーリには届いている。それでも止まらない。
声もなく泣き叫ぶエステルと、ユーリは、ふたり、剣を交え始めた。
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