ユーリとエステルの剣が激しくぶつかる。
 何度も、何度も、その音は響いた。火花を散らしながら、ふたりは剣を振るいあう。
 延々と続くかと思われた剣撃のさなか、ユーリが叫ぶ。

「帰ってこい、エステル!」

 その声は、遂にエステルの心へと響いた。虚空を映すだけの瞳が大きく見開かれ、動きが鈍る。
 ユーリはエステルを見据えたまま、もう一度呼びかけた。

「おまえはそのまま、道具として死ぬつもりか!?」

 エステルの動きは完全に止まった。力を無くした両腕が下がり、その手から剣が滑り落ちる。
 次第に若葉色の瞳は光と潤いを伴っていく。
 ――ああ、エステル。
 は血を吐き出しながら、滲む視界に彼女の姿を必死に移す。もうすぐ仲間が帰ってくる、そう感じた。

「わたしは……まだ――」

 輝きを取り戻した皇女の瞳から涙が溢れ、取り戻した心のままに……願いを口にした。

「人として、生きていたい!!」

 エステルの叫びと同時に、彼女から強烈な閃光が生じた。それは先までの仲間を傷つけるようなものではなかった。性質としては今荒れ狂うエアルたちとは正反対のそれだ。光は帝都の空へと向かっていき、赤く渦巻くエアルたちを押して膨らみ、一気に弾ける。
 あれほど淀んでいた空が嘘のように、空は青く澄み、晴れ渡っていく……。
 アレクセイのために暴走していた力が、全て収束していくのを、ユーリたちは五感で感じ取っていた。
 他の仲間たちも、暴走の終わりとエステルの覚醒に顔を綻ばせる。

「やった、エステル! 目が覚めたんだね!!」

 半泣きでカロルは歓声を上げていた。肩で息をしながら、それを横目に小さくユーリが微笑んでいる。
 リタもホッと胸を撫で下ろし、エステルへと歩み寄ろうとした、矢先のこと、

「待って、システムが!?」

 突如球体状の結界が出現し、エステルを捕えた。ばちばちと何かが弾けるような、とても恐ろしい音とおぞましい赤色の術式が、折角己を取り戻したエステルを再度苦しめ始める。
 赤く禍々しい球体の檻は、エステルの力を無理に引きずり出し、強烈な衝撃波を放った。喜んだのも束の間、またもやユーリたちは満月の子の力によろめくこととなる。
 は踏ん張り切れずに床へ倒れ伏してしまった。

「ガウッ……!」
「ラピー、ド、さ……」

 ラピードの呼びかけにやっとの思いで答える。そして、エステルを見た。
 ――ああ、まだ、エステルを縛る術式が……!
 は必死に四肢に力を込めて立ち上がる。浮かぶエステルへと歩み寄り、再び術式への介入を試みた。エステルを縛るものを取り除くべく、改めてそのシステムを感覚のみで探っていく。しかし先と違い、上手く“これだ”という場所を見つけられない。
 ――さっきまでと違う。何かが足りなくなってバランスがおかしくなってる……。
 足りないものが何か、はすぐに思い至った。
 アレクセイの持っていた剣だ。
 エステルの力を行使するたびに掲げていたあの剣がシステムの中心を担っていたのだろう。
 は混乱した。どうすればいい、どうすれば。

「駄目……もう止まらない……みんな逃げて……!!」

 悲痛なエステルの声に、の意識から靄が飛んでいく。
 一番苦しいエステルの為に、誰より優しいエステルの為に、護ると決めたエステルの為に、自分が混乱している場合ではない。
 エステルの涙が檻越しに見える。何か、早く何か方法を見つけなくては。改めて術式を探り出す。

「アレクセイの剣が要だったんだわ、このままでは……!!」

 ジュディスの声には心の中で頷いた。
 ――きっとそう、そうだよ。だからこのままじゃ危ない。

「エステル、大丈夫だ! 仲間を信じろ!!」

 ユーリが呼びかけ、エステルを励ます。
 ――うん。きっと何とかなる。だってこっちには天才魔導士もいるしね。

「あいつのシステムが使えるかも……!」

 リタがすぐさまエステルを縛るシステムを調べ始めた。アレクセイの作り上げたシステムは完璧といって過言はないものだった。干渉術式に対する調整データ、余剰エアルの隔離に必要な術式、何よりエステルとの同調も整っている。……しかし。

「肝心の聖核の代わりをどうしたら……」

 は一瞬、自分の身体を利用することを考えた。だがそんな提案、いくら緊急事態とはいえ彼らが許すはずない。
 もはや言葉を口にする余力もない狼は、静かに、荒ぶるシステムへと滑り込み、抗うエステルの心身の苦痛を和らげようと試みた。術式よりもエステル自身へと力を伝え、出来うる限り衝撃を相殺するような“おまじない”を紡ぐ。エステルに強いられている負荷を、エステルに同調することで少しでも分かち合い、軽減出来るように。
 かつてリタは言った。カルボクラムでエステルが起こしたエアル酔いを、が軽減したのではないかと。
 だとしたら、今もきっと、それに似たことができるはず。
 その力に直接触れたエステルは、一瞬驚いたように目を見開き、を――白狼を見た。

……?)

 エステルが、そう小さく口を動かしたのが見えた。は頷いた。

(大丈夫、だいじょうぶだからね)

 喉元まで溢れてきた血を飲み下し、おまじないを続けながら、仲間を見守る。

「この剣使ったらどうだ!? アレクセイが使ってた奴の本物だろ!?」

 システムを調べていたリタに、ユーリが宙の戒典を掲げながら提案した。「やってみる!」リタの瞳は希望に満ち、エステルと色の違うそれもやはり美しくて、は何だか暖かな気持ちになった。
 ジュディスがエアルの流れを読み取りつつの手伝いを申し出、カロル、パティも続く。レイヴンは心臓を押さえて苦しそうだったが、何か出来ることはないか、とその目で訴えていた。
 次々に仲間たちがエステルを囲むように球体の側へと集っていった。仲間の顔を見渡しながら、エステルは狼狽える。

「みんな、もう……」
「言ったろ。信じろって。〈凛々の明星〉はやるときゃやる。そんな顔するなって」

 真正面のユーリが、そう言ってニッと笑ってみせた。
 旅の間、何度も見た笑顔。頼もしくて、少し悪戯っぽくて、優しい笑み。
 自然とエステルの顔にも笑みが浮かぶ。

「……はい!」

 その最中にもリタを中心にエステルを救う準備は進められていた。
 システムの調整。仲間のスタンバイ。すべてを終えたリタが、ユーリを振り返る。

「ユーリ、剣を!」
「っしゃあ!」

 応じたユーリが宙の戒典を高く掲げる。仲間たちひとりひとりを術式が繋ぎ、宙の戒典を要としてシステムの暴走を抑える。
 エアルとエアル、術式と術式、そして一行の意志が作用しあい、仲間の解放の為に願い、力を込める。
 そうして――エステルを苦しめるおぞましい赤の球体は、閃光とともに破壊された。

「やったぁ!」
「成功なのじゃ!!」

 宙で解放されたエステルがゆっくりと倒れていく。このままでは地面とぶつかってしまう、とが慌てて動いたが、杞憂だった。倒れ込んできたエステルをユーリがしっかりと受け止めている。
 しかし、激戦で疲労したユーリの身体もまたゆっくりと後方へ傾いでいった。結局は、静かにユーリの背中と床の間に滑り込むことに決める。

「……おかえり」
「……ただいま」

 衝撃なく抱擁と言葉を交わす仲間二人を、は自慢の毛並みで受け止めながら見守っていた。
 安堵したユーリと、涙を浮かべるエステル。二人の戦いを見るしかなかった時はあんなに苦しかったのに、今はとても晴れやかな心だ。
 じっと動かない二人を、尚もは見つめる。
 仲間たちも、ユーリとエステルを取り囲むように近づいてきた。エステルの安否を改めて確認したリタらの顔も、また朗らかで、暖かな笑みが浮かんでいる。
 二人分の重みを受け止めるのがとても嬉しくて、今はさほど怪我を気にせずに済んでいるということもあった。だからは、自分が狼であることを忘れ、エステルの帰還への喜びを抑えきれずに、つい口を開いてしまった。

「……私からも、おかえりなさい、エステル!」

 喋ってしまってから、きょとんとしたエステルの瞳とぶつかり、狼はしくじったと思った。真っ直ぐな視線に耐え切れずおろおろと目を泳がせ、ばつが悪そうに頭を下げる。今はユーリとエステルの頑張った分の時間なのに、うっかり割り込んでしまった。とても疲れているエステルに無闇に声をかけてしまった。そんな罪悪感から激しく落ち込んでしまう。
 黙り込んでしまったの顔を真正面から覗こうと、ユーリから離れ、エステルがゆっくりと動いた。
 大きな狼。どこか間の抜けた、警戒心の無い犬っぽい顔つき。白い毛に僅かに夜の青色が混じっている狼を、皇女はとっくに仲間のひとりであることに気付いていた。ただ確かめる時間が無かったために、多少の困惑はあった。
 狼の頭をそっと撫で、エステルは首を傾げる。

「……、で良いんですよね?」
「う、うん。……色々あって、こういう姿になれるってことが判って……。驚かせちゃったよね」

 すっかり自分を背凭れにしてくつろぐユーリはともかく、エステルとこの姿でちゃんと話すのは初めてだ。はエステルが怯えるのではないか、取り乱すのではないか、と様々な不安を抱えていた。
 耳がぺたりと垂れ、すっかりしょぼくれた狼。尻尾も力なく床に落ちて、元気がない。
 ユーリやリタたちは、静かにとエステルのやりとりを見守っている。
 静かな空間。誰の言葉でもない、エステルの言葉を待っての沈黙だ。
 ……ふふ、とエステルは思わず笑い声を漏らした。

「確かに、驚きました。バクティオンでも、今も」
「だ、だよね」
「でも……」

 更に顔を逸らそうとするへ、エステルはゆっくりと両腕を伸ばした。そして、狼の首に腕を回し、そっと大きな頭を抱き締める。豊かな毛並みに頬を寄せながら、花の乙女は呟く。

「優しいのおまじない、ちゃんと届いてましたから」

 柔らかく暖かな狼の毛にもまた、エステルは確かなの存在を感じていた。
 ――バクティオンで、傷つきながらも追いかけて来てくれた姿。
 ――フィエルティア号が吹き飛ばされたとき、必死に呼びかけ続けてくれていた姿。
 どの時も、の姿は既に変わってしまっていたけれど、その声と行動は間違えようもないのものだった。
 まだ不安そうなへ、エステルは心から告げる。

「それに……とってもふかふかで、気持ち良いです」

 満面の、花が咲くような笑みと共に。
 の耳が立ち、尻尾がゆっくり揺れ始める。喜んでいるのだ。記憶が戻ってからのという人間は、とても判りやすくなっていた。
「ほんと?」見た目とは裏腹に子供のようなあどけない問いかけ。
「ほんとです」顔を寄せたまま答えるエステル。ふと、白い毛並みのところどころに赤いものが滲んでいるのが見え、彼女はそっと治癒の術を唱えた。
 は、それに気付いて慌てて口を開く。

「エステル、疲れてるのに術を使ったら……!」
「いいんです」
「えっ?」

 瞬くに、エステルは悪戯っぽく――年相応の笑みを浮かべてこう言った。

「友達の大怪我ですから。曰く、わたしの力で治すときは急を要する時……でしたよね」

 ぽかんとするに、エステルはにこにこと微笑み続ける。
 片方だけ合点がいかない様子を察したユーリは、寄りかかっている狼の尾をぽんと叩いた。

「随分前に、エフミドの丘ん時におまえが言ったんだろーが」
「エフミド――……」

 ユーリとエステル、ふたりの視線を受け、はゆっくりと記憶を巡らせた。
 ……まだ記憶も戻らず、内気と消極的な性格が強かった頃。ユーリたちの旅に同行して間もなく立ち寄った、海が望める丘の名前がエフミドだった。カロルとリタが先に休んで、が自身の怪我を手当てしようとした途端に血相を変えてエステルが駆け寄ってきたのだ。すぐさま治癒術を施そうとした彼女を、慌てて制したことを思い出す。そしてこう言い添えた。
『エステルの術は凄いけれど、疲れるのも早いから急を要する時に使うように』と。
 ――あの時、か。
 は懐かしさと嬉しさのあまり、瞳を潤ませていた。忘れもしない。あの時エステルは、こんな自分のことを“友達”だと言ってくれたのだから。

「……ありがとう、エステル」
「どういたしまして、

 白狼の瞳からこぼれる涙を、皇女はそっと指先で掬い、拭ってやる。
 その光景を見つめていたジュディスが、くすりと笑う。

「泣き虫な狼さんね」
「あやすお姫様もお姫様よ」

 ぶっきらぼうに応じるリタの目にも、輝くものが溢れていたのだった。



 大切な仲間を、遂に取り戻すことが叶った。
 しかし世界を揺るがすアレクセイの野望は、ユーリたちに容赦ない現実を叩きつける。
 全てが解決したわけではない。問題はより深刻さを増しているのだと、海上に現れた巨大な環が示している。
 それでも彼らは、再会の喜びを噛み締めずにはいられなかった――……。

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