エステルとリタが向き合って座っている。場所は、階梯への仕掛けに関わっていた月のモチーフがある部屋。そこでは、リタが必死にエステルの力の制御について調べているのを見守っていた。何となく、狼にまた姿を変え、「埋もれてもいいです?」と子供のように輝く瞳でエステルに乞われ、つい二つ返事で応じて彼女の背凭れに徹しつつ。
システムに幾つか術式を記述してから、リタはを見た。
「うーん、、あんたの意見というか感覚も聞きたいんだけど」
「私のが役に立つかな?」
「あんたは自分の姿かたちを変えるほど高度なエアルの還元と再構築をこなしてる。聞いてみても悪くはないかなって」
「そっかー……ふむふむ」
はリタの言う通り、感覚を頼りに提案し、時に手を加える。それを見たリタが更に変換を重ね、時には戻す。正直言って作業は難航していた。リタとの渋い顔、険しい顔。あまり明るくはない表情の移り変わりに、エステルは柳眉を下げる。
「あまり無理しないでくださいね」
一番その台詞を言われるべきであるエステルに言われてしまって、リタのみならずも“早く何とかしてあげたいのに”と焦り始める。
そこに――、
「……何やってんだ、こんなとこで」
ユーリがやってきた。
「うるさいわね、邪魔すんな!」
リタはその手に火球を掲げながら勢いよく振り返ったが「なんだ、あんたか」すぐさま火球を消した。もしユーリでなければあのままぶつけられていたのだろうか。怖いことはあまり考えないようにしよう、とはすぐ思考をリセットした。
「なんだじゃねえだろ。何やってんだ一体。……もそのまんまだし、何かまずいのか?」
「私は自由自在なだけ。そんでもって、システムはね……」
ユーリの視線を受けて、狼は首を振り、リタを見た。促された魔導士が、システムとにらめっこを続けながら答える。
「今はちゃんと制御されてるし安定もしてる。宙の戒典とアレクセイのシステム、どっちも大したもんだわ。しゃくだけど」
「なら何が問題なんだ?」
ユーリの疑問はもっともだ。もシステム調整に関わっていなければ同じ質問をしていただろう。だが、展開されたシステムとエステルの関係を見ているうちに、彼女は、リタが思い悩んでいる点を把握することができていた。
苦虫を噛み潰して最後の欠片までじっくり味わったような顔と、暗い声音で、リタは答える。
「抑制の有効範囲が思いの外、限定されてたのよ。結界魔導器を中心に抑制結界が展開してて、その中は安定してるんだけどそこから出られないの。さすがに宙の戒典一本で複数の聖核の代わりをするのは無理があったみたい」
「狭すぎるよねぇ……範囲……」
も項垂れ、交差させた前足に頭を乗せた。
ユーリは瞬きしながら再び問いかけてくる。
「それって遠出が出来ないってことか?」
リタとが揃って頷くも、彼の疑問に答えたのはやはりリタだった。
「ついでに言うと、帝都の結界魔導器もシステムの一部だから使ってる限り、帝都は無防備。だからなんとかして自由に行動できるための方法を探しているわけ」
「宙の戒典をエステルが持ち歩くんじゃ駄目なのか?」
最近幾度となく助けられた、デュークから預かった剣の名をユーリが挙げる。特殊な技術を使わず、ただ持ち主の意志のままにエアルを鎮めてきた皇帝の証。あの代物ならば問題を打破できるのではないか。
しかし、リタがその可能性に目をつけていない訳がなかった。
「あれ、本質的には暴走したエアルを抑制するのが目的みたいだから。エステル自身をどうこうできないと思う」
「デュークもそうだったしな」
「私の力が何とかできたらいいんだけれどなぁ、私も鎮める系みたいだし……」
落ち込み、耳まで垂れ下がったの頭をエステルが苦笑しながら撫でる。
その微笑ましいさまを見て、暗かったリタの表情に再び闘志が沸き上がった。いちいち悩んでいても仕方ない。思いつく限りの手段を尽くすまでだ。
「とにかくリタ・モルディオの名に懸けて絶対に何とかしてみせる。エステルを囚われの身に逆戻りなんてさせない。二度と物扱いになんか……」
「わかった、頼むぜ」
ユーリは全く心配しておらず、リタの技術に全幅の信頼を寄せていた。そして、そのリタと相対するエステルへの励ましも忘れないかった。
「大丈夫、心配すんな。こっちにゃ天下の天才がついてんだ」
「はい、わたしもリタを信じてます」
あとのことも。そう言い添えて、狼をまたひと撫でし、皇女は微笑んだ。どうやら狼姿の仲間を随分気に入ってしまったようで、ぴったりくっついて離れず、その毛並みを撫でる手も止まることが無い。
部屋が薄暗くなっており、相当日が落ちたことに気付いたリタは、ユーリに言った。
「明日には間に合わせるわ。あんたはさっさと寝てなさい」
「へいへい。おまえらも無理しすぎんなよ。エステルもな」
あっさりと部屋を出て行ったユーリを見送り、再びリタと、エステルはシステムとの静かな戦いを始めたのだった……。
……そしてその結果は――辛いものとなった。リタたちの出した苦渋の決断。エステルが健気な微笑みのまま結果を聞いていたために、殊更その辛さは増してしまう。明朝、仲間にも伝えることになるが、リタはただエステルに謝ることしかできなかった。
「ごめん、エステル、ごめん……」
「いいえ、リタ。リタが謝ることなんて何もないです」
成り行きを全て見ていたは、笑みを浮かべるエステルと、半泣きのリタの会話に胸を痛めた。鋭く熱い鉄の針で心臓を抉られるような痛みと苦しみだ。暴走したエアルに体内を焼かれるよりも、今の方が辛い。
抑制には成功した。だがその手段があまりにも厳しかった。
満月の子の力の発動を抑えるためエアルとの干渉は出来うる限り避けねばならず、魔導器を使う限りエアルは必須。そのため、抑制の手段としてリタは、レイヴンの心臓魔導器と同じ手段を選んだ。生命力を動力にし、エアルの刺激を受けず術式を行使する方法。だがこの方法では満月の子の力のみならず、あらゆる術技に関しても抑制が働くため、術を使うだけでエステルは生命力を削ることになってしまう。誰かの怪我を見過ごすことのできない優しい皇女がこれ以上旅に同行するには、危うすぎる抑制法であった。きっとエステルのことだ、生命力を削られると知っていても仲間の為に術を使うに違いない。
だからエステルはこれ以上、旅についていくことができない。
……悲しい決断だった。
エステルを部屋の前まで送り届けたリタは、涙をこらえながら客室へと向かった。エステルは、てっきりもそれに続くものだと思い、狼を見つめていた。が、白狼は、一向に動く気配を見せない。
「、みんなと休まないんです?」
首を傾げるエステルへ、は、小さく唸ってから口を開く。
「……エステルを一人にするの、何かイヤなんだ」
騎士たちに聞かれては叱られるやもしれない。それでもは正直に伝えた。
突然旅の終わりを宣告された仲間の心境を想うと何かせずにはいられなかった。ほとんど役に立てなかったこともあって、はおずおずと申し出る。
「お部屋の床で良いから、一緒にいていい?」
「ベッド、余裕ありますから。大丈夫ですよ」
白狼を部屋の中へと促しながら、皇女は笑んだ。
ほっとしたは部屋の中に入り、以前そうしたように部屋中を見渡す。美しくきらびやかな装飾、調度品。そこに感じられる奥ゆかしさと気品。本当にエステルへぴったりの部屋だ。
もう夜も遅いというのに、肝心のエステルは眠る様子が無かった。机に座り、じっと考え込んでいる。何を、と聞くまでもない。力のこと、旅のこと、これからのこと。エステルは寝ようにも寝られないのだ。
だとしたら尚更寄り添っていなくては。
思ったは、エステルの側で体を休めることにした。ゆったりと伏せて、思いつめる仲間の顔をずっと見つめていた。
――気が付くと夜が明け、朝になっていた。
エステルは結局一晩ずっと考え込んでおり、それを見守るもまた、色々と考えを巡らせていた。
「、眠れましたか?」
「うん、ちょっとは」
眠れなかった、と素直に言ってはエステルに心配をかけてしまう。細やかな嘘を吐き、は人の姿へと戻った。
窓からのぞく空は晴天と呼ぶに相応しい。時間が時間なので、今頃仲間たちは街の入り口に集まり、そしてリタからエステルの事情を説明されていることだろう。
はエステルを見た。
「……エステルは、どうしたい?」
聞かなくてはならないと思った。
一晩彼女が悩みに悩んだ結果を、今すぐ知りたいと思った。
エステルは、ゆっくり瞬きすると、真っ直ぐにを見つめ返す。
「このままお別れだなんて、やっぱり嫌です」
の予想通りの答えだった。嬉しい反面、その決断は常に命を危険に晒すと同義であることを忘れていなかった。
「そのままじゃ、エステルの命がなくなっちゃうかもしれないよ。術を使うなって言っても、エステルは皆を治そうとするでしょう?」
「それでも、決めたんです」
「そっか。……そうだよね」
念を押したうえで、は、エステルへ向き直る。
「私もエステルとここでさよならするのは嫌だから、ちょっとした準備、してたんだ」
「え?」
瞬くエステルに、がにっこり笑う。
エアルが暴走していた時はともかく、必要でもないのに狼の姿を維持し続けていたのには、なりの理由があった。エステルの力を知り、自身の記憶が蘇ってから、考えに考えて練り上げたひとつの『おまじない』。
「エステル、手、出して」
言われるがままにエステルはへと手を差し出し、その手のひらへは何かを載せた。
エステルは首を傾げながら、今しがた手のひらへ置かれた物を確かめる。
……手作りらしい革紐のペンダントだった。見たことのない宝石が、少し粗目に削られて紐を通されている。何だか淡く輝いて見える結晶は、白っぽいような、青っぽいような、とても不思議な色をしていた。
「これ、どうしたんです? 」
「私が蓄えたエアルの塊みたいなもの」
「エアルの塊って……」
「聖核とも魔核ともちょっと違うけれど、エステルが術を使うときに役立つようにしたんだ」
狼としてエアルの嵐に晒されていたときから、の中に蓄積されたエアルが形になった。それは自身も知らぬうちに行われていたことで、気が付けばこの結晶はの元にあり、凝縮されたエアルが形を成したものだと判ったのだ。
リタがエステルの生命力を動力に抑制する方法を編み出した後、はその結晶を役立てられないかと一人密かに策を練っていたのだ。
「エステルが術を使うときに、生命力より先にこの結晶へコンタクトするようにしてある。何て言えばいいんだろう……。結晶が割り込むっていうか、とにかく生命力を削るより先にこっちの塊から削れるようにしたの。でも充填されているエアルに限りがあるから、何度も術を使ったら多分結晶がもたない。だから、本当に大変な時だけ使うようにしてほしいなって」
「つまり……私の生命力を削らないように、作ってくれたんです?」
「う、うん、そんなとこ――」
が言いかけるや否や、エステルがへと抱き着いてきた。反射的に受け止めたは、「どうしたの?」と慌てふためく。
の肩あたりにエステルは額を押し付けながら、か細い声でこう呟いた。
「ありがとうございます。わたし、まだ旅が出来るんですね」
「あくまで、無理しない範囲でだけどね」
「それでも嬉しいです。ありがとう、」
離れたエステルは両手でペンダントを握りしめ、涙ぐみながら何度もへと礼を述べた。
照れくさくなったはそれ以上感謝されないようにと、いそいそと歩き出す。
「早く行こう、エステル。皆に置いてかれちゃう」
「はい!」
似て非なる力。そしてその抑制もままならなかったふたり。
今は、失われた記憶を取り戻し、奪われていた意識を取り戻し、二人の少女は互いに手を取り合う。
――この時からの身体には、取り戻した記憶の中ですら無かった“異変”が起きつつあった。それを仲間に語ることなく彼女は行く。
結晶の本当の能力も。それを産むに至った理由も。
嘘は吐かなかったが、真実を明確に語ることだけは避けていた。
……街の出口では、既に仲間たちが全員揃っていた。どうやらリタからエステルの力の抑制についても聞いてあるらしく、と共にエステルがやってきたのを見て大層驚いていた。
「エステルはもう十分ひどいめに遭ってきた。もう休んでいいのよ」
「ありがとう、リタ。でも……みんな命がけで戦おうとしている。世界の命運をかけて……。それを知って私だけ戦わないなんでできない」
はずっとエステルに寄り添い、その決意に耳を傾けた。
先ほどが託したばかりのペンダントを首から下げ、結晶を握りしめながら皇女は続ける。
「わたしにも出来ることがある。仲間の為に出来ることが。お願いです、みんな、わたしも連れて行ってください」
「駄目だ……と言いたいとこだが、自分で考えて自分で決めたんだ。オレは反対しないぜ」
ユーリは実に彼らしい言い回しでエステルを歓迎した。
「そうね。一度言い出したら聞かない子だし」
「連れてってやろうや。仲間に置いてけぼりにされるのは、ちっと切ないぜ?」
ジュディスは笑み、レイヴンは頷く。
カロルとパティも、見るからに嬉しそうだった。
「うん。エステルが辛くないように、みんなで助け合おうよ」
「一緒にあの大悪人、ぶっ飛ばすのじゃ」
「私もエステルのサポートする。ばっちりとね」
も仲間たちに続いて声をあげる。
そして残るはリタだけ。誰よりも強くエステルを案じる、皇女の一番の友。心配を隠し切れないまま、彼女はエステルの顔を見つめた。
「……ひとつだけ約束して。絶対に、絶対にぜーったいにひとりで無理しないこと、いい? や、破ったら絶交だからね!」
「はい!」
このメンツ相手に無理無茶禁止は意味ないだろ、とユーリが苦笑したり、照れて背を向けるリタの顔を覗き込もうとしたカロルが鉄拳を食らったり。いつも通りのにぎやかな調子になったところに、見覚えのある人影がふたつ近づいてきた。
「良かった、間に合ったようですね」
爽やかに微笑む金髪碧眼の青年。ヨーデル・アルギロス・ヒュラッセイン。かつてユーリが救った次期皇帝候補だ。隣にはフレンが立っている。
ヨーデルは、本来ならば帝国が率先し出撃するべきでありながら船の調達が遅れ、ユーリらがアレクセイと一足先に対峙しようとしていることを深く詫びた。もちろんユーリ含め全員、そんなことは気にしていない。自分たちのけじめをつけるためにアレクセイに会う、それだけなのだ。
だがこのヨーデル殿下は、聡明であると同時にとても寛容であった。
「代わりと言っては何ですが、こちらのフレンを連れて行ってください」
「殿下!?」
誰よりもアレクセイとの決着を強く願っているであろうフレンの心境を察して、そう告げるほどに。
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