かつて、人ならざる者と交わった人間がいた。
そうして、人ならざる力を授かった子が生まれた。
人ならざる力には二つあった。ひとつが、エアルとは違うエネルギーを用いた術技を操ること。もうひとつが、人ならざる者へと姿を変え能力を増すこと。そして、その人間の子孫たちは、今も人ならざる力を受け継いでいるのだという。
出来の悪い夢物語のような伝承だ。しかし、火の無いところに煙は立たないと言う――。
アレクセイの知る男の中に、ウォクスという変わり者がいた。
そのウォクスが言うには、“人ならざる者”とは始祖の隷長のことらしかった。どんな生き物も始祖の隷長となる可能性を秘めており、限りなく始祖の隷長に偏った状態に在った者と人間が交わり、特異性を持った子が産まれたのではないか、と。
「私たちが魔導器を介して必死にエアルを使っているというのに、彼らは魔導器を使わず、その一段階上にある術を使っている……。クリティア族とは似て非なる潜在能力ってとこでしょうか。しかしまぁ、姿を変えるなんてね! 一度人間としての体を術式で分解して再構築する訳ですよ。どんな術式を考えて……そうそう、ただの再構築ではなく強化が施されるわけだし、そうなれば必要なエアルの量も尋常じゃあない。高濃度のエアルが生体に及ぼす影響を考えると……やはり彼らはエアルではなくマナを使いこなして……っと、あんまりはしゃぐとアレクセイ殿はともかく貴方は不快でしょうから止めておきますか。ね、シュヴァーン殿」
「……お構い無く」
振り返ってきたウォクスから僅かに顔を逸らすようにしてシュヴァーンは返す。
実際、ウォクスの言う通りだった。この男の陶酔しきった言葉は、気持ち悪い。内容も興味あるものではないし、話の振り方も馬鹿にされているような気がして、苛つく。他にも理由は沢山あったが、並べても虚しいだけだ。
黙るシュヴァーンの心境を知ってか知らずか、ウォクスはまた視線を前方へ戻す。
「にしても凄い壊滅ぶりだ。地震だけでこんな都市が出来上がるんですかねぇ」
何処と無く楽しそうなウォクスの声。大層耳障りだった。
先日の“地震”で失われた都市・カルボクラム。わざわざこんな場所に足を運んでいるのもウォクスのせいだった。この都市の外れに、先から話に挙がっている魔物の子孫――魔物と口にしたときウォクスには“始祖の隷長だ”と訂正されたがシュヴァーンにはどちらでも良かった――とやらが住んでいたらしい。アレクセイが同行するぐらいだ、信じ難いが、きっと事実なのだろう。
(魔物と交わった人間か。俺だったら関わりたくもない)
シュヴァーンは気を紛らわそうとするようにカルボクラムへ視線を向けた。
崩壊という表現がぴったりなこの都市の現状は、つい最近まで人間が住んでいたなどとは想像もつかないほどである。家の外壁らしきものたちはどれも似た色に劣化し、瓦礫だらけの地は足を置く度に粉塵が舞い上がる。その粉塵が中途半端に湿った空気にあてられて、服や肌に吸い付いて離れない。異常なまでの風化が、このカルボクラムを侵していた。
ウォクスは、この都市がどうしてこうなったかを知っている。その上であんなことを呟いているのだ。
――悪趣味な男め。
内心悪態をつきながらも表情を動かさず、瓦礫に足が取られないように配慮しながら、シュヴァーンはアレクセイとウォクスの後に続いた。
瓦礫が少なくなり、道らしい道が途絶える。しかしアレクセイたちは歩を進め続けた。木をかき分け、獣道を押し進む。カルボクラムから大分歩いたはずだ。もう二人が求めるものなど、地震と共に崩れ去ったのではないだろうか。
「あっちほど派手にやられているとしたら、資料も見つかりませんかねぇ。全部ぐちゃぐちゃになってるかもなぁ」
「その時はその時だ。……君が聞いた話通りだとしたら、この先か」
「ですねぇ。雨が降る前に早く見つけたいところですが――」
視界が開けた。林を抜けた先には、空間があった。その空間の中心に、ひとつの小さな屋敷があった。ここに至るまでの林は、この屋敷を取り囲んでいたらしい。まるで人目を忍び、ひっそりと屋敷を守るように。
ウォクスが駆け出す。目を輝かせ、まるで子供のようなはしゃぎようだ。歓声を挙げながら、屋敷に近づいていく。
地震のせいだろう、屋敷の壁にはヒビが入り、今にも崩れそうだ。扉の蝶番が歪んでぐらついている。しかしウォクスは臆することなく中へと入っていった。
アレクセイもそれに続いてしまい、シュヴァーンも後を追いかけなければならなくなった。
屋敷の中は想像ほど荒れていなかった。いくつかの食器や花瓶などが床に転げ割れてはいたが、カルボクラムに比べたら生易しいものである。ガラクタを踏みつけながら、シュヴァーンは黙々と進む。
「シュヴァーン」
前方を歩いていたアレクセイが、ふと足を止めてシュヴァーンを振り返っていた。シュヴァーンが歩み寄ると、今度は目の前の扉を指して話す。
「手伝ってくるか?」
「は……?」
意図が判らず、とりあえずシュヴァーンはその部屋を覗く。
部屋の中では、ウォクスが膝をつき、何かと相対していた。もう少し中に踏み入り、部屋を見てみる。
「大丈夫かい? ほら、怖くないよ」
ウォクスが語りかけているのは、あどけない少女だった。まだ年の頃は10歳程だろうか。肩ぐらいまで伸びた髪を飾るリボンも、ふわりとした薄青のワンピースも、あちこちが土埃で汚れてしまっている。その背に動くものがあった。少女より更に幼い少年と少女が、ぴったりとワンピースの少女に寄り添っている。恐らく弟と妹だ、顔立ちがよく似ている。
本当にあれが、魔物の子なのか? 人間の子供となんら変わりがないようだが。
シュヴァーンは呆然と子供たちを見ていた。
後ろ手に弟妹を庇いながら、少女はじっとウォクスを見つめていた。大きな瞳は涙で滲んで揺れている。
「大きな地震だったからね、大層怖かったろうね……。でも大丈夫。私はウォクス、君たちを助けに来たんだよ」
「たすけ……?」
「そうだよ。……ほら」
怯える少女に、ウォクスが懐から何かを取り出して見せる。小さな銀色のペンダントだった。何ら変哲の無いものに見えたが、それを見た少女は息を呑んだ。
「お母さんの…ペンダント……」
「君たちのお母さんから預かってきたんだ。君たちの救助と一緒に、これを渡して欲しいと言われてね……」
ウォクスが差し出したペンダントを、少女は震える両手で受け取った。ぎゅっとペンダントを握り締めると、少女はゆっくりウォクスを見つめる。そして恐る恐る口を開いた。
「あの……お、お母さんは……」
「……ごめんよ、私がもう少し早く彼女に会えていたなら……」
「え……?」
掠れた少女の声に、ウォクスは辛そうに目を細める。
「辛いかもしれないが聞いておくれ。君たちのお母さんは、怪我が酷くてね……死んでしまったんだ」
少女の体が強ばった。溢れんばかりの涙が目尻に浮かび、きらきらと光を返している。健気に涙を堪えながら、嗚咽を殺しながら、必死に言葉を紡ぐ。
「お母さん、でも、助けてもらえるよう、おねがいして、もどってくるって、お母さん……」
「ごめんよ、本当に……」
「お母さん、お父さんいなくても、お母さんがいるからって、ずっといっしょって……」
「ああ。一緒にいられるようにと、君たちのお母さんはそのペンダントを私に託したんだ。大切な君たちを助けるために、必死に……」
涙を堪える少女の肩に、ウォクスがそっと手を添えた。少女はびくりと一度震えて、それから、遂に大声を上げて泣き出してしまった。泣きじゃくる少女を労るようにウォクスは抱きしめ、背中を擦る。姉の様子を心配するように、弟と妹は少女を見つめていた。まだ“死”というものを理解するには幼いらしい。
一連の悲劇を見せつけられ、シュヴァーンは沈黙していた。
アレクセイは俺に何を手伝えというのか。お世辞にも子守りは得意とは言えない。それに――何だ、この違和感は。
「あれは本当に、母親の形見か?」
本当に形見だとしても、何故ウォクスが持っている?
シュヴァーンの疑問に、アレクセイが口を開く。
「あれは確かにウォクスが子供たちの母親から預かったものだ」
「何時の間に……」
「先日の“魔物”討伐任務の際にな」
いまいち合点のいかない様子のシュヴァーンに、アレクセイは続ける。
「私がウォクスの幻想めいた見解を信用したのは、その時に“人ならざる者”を見たからだ」
その言葉でシュヴァーンは悟ってしまった。
死んだ母親。
人ならざる姿に変わる一族。
魔物討伐。
預かった形見。
「まさか……」
殺した、のか。
アレクセイはそれきり何も言わなかった。
廃れた屋敷に、少女の泣き声が響く。それを慰め続けるウォクス。ただただ様子を見つめるアレクセイ。
そのうち、落ち着きを取り戻したらしい少女がウォクスの手を借りて立ち上がった。真っ赤になった目と、まだ僅かに零れる涙が痛々しい。ふらつく少女をウォクスは優しく抱き上げた。それから、扉の傍に立つアレクセイとシュヴァーンを見やり、言った。
「アレクセイ殿、シュヴァーン殿。この坊やとお嬢さんを頼めますか?」
穏やかなウォクスの微笑みが、おぞましい。
シュヴァーンは無言で頷き、部屋の中へと入った。戸惑う子供に手を差しのべる。何も知らない子供は、疑いもせずにシュヴァーンの手を握る。自分たちから親と故郷を奪った人間が目の前にいるなどとは、思いもしないだろう。
とうに全ての心を捨て、生きることすら止めた筈の胸が、どうしようもなく痛んだ。
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