助けられた少女の名前はと言った。弟はアルト、妹はリィーナ。幼い姉は、弟妹の無事に安堵すると、ウォクスたちに向き直った。
「助けてくれて、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、はっきりとした声で告げる。泣きはらした顔の痛々しさはまだ引いてはいなかったが、大分落ち着きを取り戻したようだ。
荒れたカルボクラムの地を抜け、ウォクスが一息をつく。
「いやぁ、良かった、良かった。アレクセイ殿、シュヴァーン殿。ご協力、誠に感謝致しますよ」
「気が早いなウォクス。まだ魔物彷徨く外の地だぞ」
「ここまで来たら無事同然でしょう?」
何も言わずにシュヴァーンは、アレクセイとその友人のやり取りを見ていた。最中も、周囲への警戒は怠らない。それが仕事だった。少なくとも、ぐずった子供をあやすことではない――。自分の手を握る少年たちには悟られぬよう、ひっそりと息を吐いた。
「さあ、早く屋敷に帰りましょうか」
穏やかな笑顔を浮かべるウォクスに抱き上げられ、は申し訳無さそうに頭を下げる。小さな手がウォクスの服を掴んでいた。
日が頭上を過ぎていた。ウォクスの屋敷までは大陸を越えねばならず、それなりの距離があった。着くのに早くても1週間。行きに比べて荷物が増えたこともある、もっと掛かると見た方が懸命そうだ。
不意に右側から呻き声が聞こえた。シュヴァーンの右手を握って離さない少年が、またぐずつき始めている。理由は定かではないが、限界だった。
「……子守は貴方がしてくれないか」
ぐったりしたシュヴァーンの呟きに、ウォクスは大層可笑しそうに笑って頷いた。
◆◆◆
貴族とはいえ、ウォクスの身分はさして高いものではない。しかし幸い彼は、身分というものに拘りがなかった。如何にして己の家柄を誇示するかに偏る貴族たちの中で、ウォクスは異質だった。
ウォクスの興味は魔導器にあった。古代の人々が残した文明の遺産――歴史書よりも雄弁にいにしえの偉業を語るそれに、ウォクスは骨の髄から魅了されていた。
――魔導器なら、救えるかもしれない。
興味が研究へ繋がるのにもさして時間は掛からなかった。
彼の研究を、家の者は誰もが後押しした。身分にとらわれず誰にも平等であるウォクスは、知らず知らずのうちに必要な人心を掌握していたのだ。
ウォクスの研究は、とある“悲願”を目標とするアレクセイの耳にもすぐに届いた。
「私はね、アレクセイ殿。人を助けたいんです」
アレクセイがどういう立場にある人間かを知っていながら、弁えることなくウォクスは語った。
「足を無くした子らがまた大地を駆けることができるように。か弱い体を持ったせいで遊べない子らが、外へ飛び出せるように。きっと魔導器ならば出来るはずなんだ……」
彼の脳裏に浮かんだのは、心臓が弱かったゆえに先立った妹の面影だった。窓越しの空しか知らぬまま、死の概念も判らぬまま、その生涯を終えた無垢な家族。魔導器の希望にすがろうとしたのも、元は、彼女を救うためだった。
それから間を置かずに両親までも亡くしたウォクスにとって、魔導器の研究は、失った隙間を埋める要になった。食事すら忘れ部屋に籠り、使用人たちは大層気を揉んだそうだ。
しかし家族を失った悲しみが和らいだ今も、ウォクスという男は魔導器に夢中だった。魔導器を体の器官の代わりに使えたならば――たとえば生まれつき弱い心臓と、確かに動く魔導器の心臓を取り換えることが出来たならば――きっと、それは人類の希望になるのではないか。
「自覚はしています。不安定で不確定で、危うい考えだと。けれど魔導器も私たち人間も、元は同じエネルギー……エアルで“生きて”いるんです……。私はひとりでも、きっと、負の要素を取り去ってみせる」
ウォクスは幸せだった。彼の研究を止めるものは誰もいなかった。希望的観測だけで人を躍らせるのではなく、危険性も慎重に把握して行動する彼の直向きさは、周囲の心を飲み込んでいた。
しかし同時に彼は不幸でもあった。アレクセイと接触した彼の真摯が、瞬く間に狂気へと変わっていこうとも、誰ひとりとして彼を疑わなかったのだから――。
◆◆◆
イリキア大陸の東に、小さな島が浮かんでいる。帝都ザーフィアスとは山脈と海を挟み、遠すぎず近すぎないそこが、今のウォクスの住み処であった。
子供たちは真新しい服を与えられ、旅をするうちにすっかり彼等に懐いていた。道中でウォクスは暇さえあれば子供たちと会話し、よく面倒を見ていた。そんなウォクスたちの護衛がシュヴァーンの仕事であり、アレクセイからの命令だった。
子供のうち、アルトとは体が弱いらしかった。気丈に振る舞っていた分の疲れのせいか、特には辛そうだった。一度帝都に立ち寄り、医師にも見せたが、芳しくはない。
だが「ウォクスの屋敷に行けば大丈夫だろう」とアレクセイは言う。ウォクスは魔導器研究家でありながら、一流の医師でもあるのだ。帝都には無い、ウォクス独自の設備が屋敷にはあるらしい。
――人間の身体に魔導器を埋め込むような奴だしな。
シュヴァーンは妙に納得していた。無意識のうちに、服の上から心臓を押さえる。戦いすぎたろうか。息苦しさに、自嘲めいた笑みが漏れる。やり過ごそうと、ひとり俯いた――しかし。
「……だいじょうぶ?」
小さな声に、シュヴァーンは顔を上げた。
テントで眠っていたはずのが、不安そうな顔でこちらを見ていた。危なっかしい足取りで、火の番をしているシュヴァーンに近付いてくる。
「胸、いたいの……?」
「テントに戻れ」
「でも……」
シュヴァーンの冷たい声に身を震わせながらも、少女は引かなかった。恐る恐る、距離を詰めてくる。
下手に怒鳴れば泣き出すか、テントの中の弟妹まで起こし兼ねない。シュヴァーンは悩んだ。
はふと足を止めた。そして、シュヴァーンへそっと手を翳す。凍えた手の平を焚火に向けるような動きだった。
その時――彼の心臓は、じんわりと熱を持った。ふわりと僅かな光が彼から舞い、少女の手へと導かれていく。
息苦しさが嘘のように消えていた。
何が起きたのか判らない。言葉なく動揺するシュヴァーンに、は、怯えながらも笑ってみせた。
「よく、なりました?」
シュヴァーンは答えられなかった。
言葉を失う騎士を後に、はひとりで納得し、ようやくテントへ戻っていく。
少女の行為は、治癒術とは違った。証拠に、術式らしきものは全く浮かばなかった。
心臓魔導器に影響を及ぼしていたエアルを、彼女が引き受けたのか? しかも自覚して? まさか、シュヴァーンの身体がどういうものかさえ、理解していた――?
考えようとして、シュヴァーンは止めた。自分には関係のない、どうしようもないことだと言い聞かせながら。
俺の任務は護衛。それだけだと――。
なんとなしに空を見上げる。
結界の無い夜空は、幾ら経験しても慣れない。
頼りなさげに輝く星の遠さに、シュヴァーンは目を細めた。
明日には屋敷に着くだろう。そして仕事は一段落。彼はまた、ダングレストとザーフィアスを行き来する蝙蝠へと戻る。
あと、少しだ。
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