慣れぬ地での生活は、幼いたちには少なからず負担があった。しかし幸いにも、屋敷の人間たちは誰もが彼女たちを可愛がり、世話してくれた。自分たちの主、ウォクスが大陸を越えてまで迎えに行った子供。彼等にとってはそれだけで十分な理由だ。そしてたちも、その厚意を遠慮することなく受けていた。
海に囲まれた孤島の――しかも結界に守られた屋敷だけではあったが、たちの好奇心を満たす娯楽は幾つもある。様々な物の中でも、が惹かれたのは本だった。他者の思いやアイデアがふんだんに盛り込まれた紙の束を、弟妹の面倒を見ながら毎日読み耽った。あまり遊び回れない彼女の事情が、その背を後押ししていた。
の体は、弱い。長く外を歩き回ると体調を崩し、発作に近い症状が表れた。弟のアルトにも似た症状がたびたび見られたが、の異常に比べて格段に緩い。
これは、彼女の血筋の為だとウォクスは考えた。は〈人ならざる力〉を強く受け継いだために、外気――その中のエアルの影響を強く受けるのだろう、と。
「本当に、すごい。これは〈満月の子〉に匹敵するやも……」
ウォクスはひとり驚喜した。
虚弱な彼女の診察をしながらデータを積み重ね、彼は自身の研究の糧にしていた。その成果を纏め、帝都にいる同志・アレクセイに届けることがここのところの彼の仕事だ。
そしてその研究に、また確実な兆しが齎されていた。
以前シュヴァーンの心臓魔導器を正常にさせたの力。それは、エアルを吸収する始祖の隷長の力に似ていた。過剰なエアルを、幼い少女が自らに引き受けたのだ。
普段からはその力を無自覚のうちに用い、エアルを体内に溜め込んでしまうのだろう。そして幼いがゆえに力をコントロール出来ず、溜まったエアルの処理が追いつかない。
だとしたら、彼女はとうにエアル許容量の限界に在っても可笑しくなかった。
――無自覚でエアルを溜め込むように、無自覚でそのエアルを処理している瞬間があるのではないか?
ウォクスは考えた。そしてより一層注意深く、少女の観察を続けることにした。
あの少女は、生まれながらにして人と始祖の隷長の狭間に在る。上手くいけば私は、始祖の隷長の神秘を掴めるかもしれない。これは光明だ。
アレクセイへの手紙も、自然と熱のこもったものになっていった。
ウォクスからの手紙は、アレクセイの心にもまた光明を齎した。
始祖の隷長に近いかどうかはともかく、少女の力が稀有なものであることは間違いない。エアルを自ら溜め込むなど、人間に許された芸当では無かった。その溜め込んだエアルを、魔導器のように強大な力へ変化させたり――始祖の隷長のように、聖核を形成させることに使えたならば。
膨らみかけた期待をアレクセイは瞬時に押さえつける。まだウォクスの見解に踊らされる時ではない。あの男自身もアレクセイに報告しながら、期待と相応する不安を抱えて研究を続けているはずだ。まだ、確証はないのだから。あくまで可能性のひとつなのだからと。
自らウォクスの屋敷に赴き確認したい思いもあったが、彼の騎士団長という立場がそれを許すはずはない。
アレクセイは悩んだ。
「――失礼します」
その時、執務室へとやって来た男がいた。戦や対立で多くの部下を亡くしたアレクセイにとって、数少ない馴染み深い顔のひとつだ。
この男にまた頼もう。
アレクセイはひとり頷いた。
◆◆◆
アレクセイからの言伝。
渡すように頼まれた品。
一通りの確認を終えてから、シュヴァーンは改めて古びた屋敷の扉に向き直った。
ウォクスと子供を送り届けてから、半年が過ぎた。もう会うことも無いだろうと高を括っていた自分に呆れる。
ひっそり溜め息をつく彼に、軽やかな足音が近付いてきていた。
「いらっしゃいです!」
明るい少女の声に、シュヴァーンは顔を上げた。夜明け色の髪をリボンで飾った、件の子供の姿がある。だ。兄弟たちは別所にいるのか、一緒ではないようだ。
「お久しぶりです! 旦那さまからお聞きしてました、騎士のお兄さんが来るって」
は、シュヴァーンの来訪を心から喜んでいるようだった。きらきらと輝く無垢な笑顔が眩しい。シュヴァーンを先導するかのように少女は扉を開き、彼を振り返りながら歩き出した。
すれ違う屋敷の使用人にもは必ず声を掛け、微笑む。廃墟から救い出したときとは別人のような明るさだ。すっかり少女は、屋敷の一員として溶け込んでいた。
案内されるがままに応接間へと通される。貴族にしては相変わらず飾り気のない部屋だった。骨董や装飾で部屋を満たすわけでもなく、必要なものしか無いといったふうだ。唯一花瓶に生けられた花がある程度――その花も、野原で子供が積んできたかのようなありきたりなもの――で、応接と言うよりは会議でも開くような場所だ。
貴族らしからぬ、飾り立てようとしないウォクスの無頓着さには、シュヴァーンも共感していた。
そしてその部屋でウォクスは、椅子に陣取ってシュヴァーンを待ち構えていた。
「遠路はるばるようこそ、シュヴァーン殿」
穏やかではあるが、疲れの滲むぎこちない笑顔だった。ウォクスは立ち上がると、案内の務めを果たしたの頭を撫でた。それから「お客さんにお茶を淹れてあげておくれ」と彼女の背を押した。頷き、が部屋を出ていく。
掛けるように促され、シュヴァーンはウォクスと向かい合う形で腰を下ろした。型に乗っ取ったやり方で、シュヴァーンは淡々とウォクスに言伝てを告げる。アレクセイの見解、指示、口で語れぬ分は預かった手紙で。そしてさっさと用件を済ませようと、休まずにシュヴァーンが口を開いた時だった。
つたないノックの音と共に、ドアが小さく軋みながら開く。
小さな少年と少女が、を挟むようにして立っていた。先ほどは見掛けなかった彼女の兄弟たちだ。そして、ふたりと共に慎重に歩み寄ってくるの手には、淹れたての紅茶が入ったカップの乗った盆がある。
ウォクスとシュヴァーンが書類を広げるテーブルの隅にようやく盆を置くと、彼女は目に見えてほっとしていた。
「ありがとう、」
「どういたしましてです」
紅茶を受け取りながら笑うウォクスの姿は、あまりにも普通の男だった。嬉しそうに茶を飲み、子供たちに「おいしいよ」とまた微笑む。研究のためとはいえ、幼い子供の世話を焼くうちに情が移ったのかもしれない。ほんの少しだが、印象が変わった。
考えながらシュヴァーンもゆっくり紅茶を啜った。そして固まった。
――薄い。
受け取った時から何となく察してはいたが、薄い。見た目通りの薄い紅茶だった。
横目でたちを確認する。不安そうな、しかし何処か期待に満ちた何とも言えない表情があった。やはり彼女たちが淹れたものらしい。
こんなに味の遠い紅茶を淹れるなど、ある意味才能だ。
次いでシュヴァーンはウォクスを見た。あの男の紅茶もさぞ薄いだろう。しかし男は「おいしい」と返していた。
「シュヴァーン殿?」
伺うようなウォクスの声。もちろんシュヴァーンには全て判っていた。空気を察し、要求通りに動くことには仕事柄慣れている。
シュヴァーンは口を開いた。
「……いえ。美味しい紅茶だと思って」
ふたりの大人の小さな嘘は、結び付いて本当に変わる。
そして彼らの思惑通り、たちの表情は満面の笑顔となったのであった。
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