白湯に近い紅茶の満たされたカップが空になった頃、シュヴァーンとウォクスの話も一区切りをつけた。
 ふう、と盛大に息を吐いたウォクスが、シュヴァーンを見る。

「シュヴァーン殿、どうか今日はゆっくりしていって下さい。部屋を用意させますから」

 シュヴァーンは申し出を断ろうと口を開きかけ、しかし、止まった。
 窓の外、木の囲いと結界に守られた屋敷の庭で遊ぶたちに視線を移す。紅茶を淹れる大役を務めた子供たちは気ままに庭を駆けていた。
 はああしている間にも、エアルを身の内に溜めているのだろうか。限界を迎える前に、どうやってそれを消化しているのか。それは、シュヴァーンを此処へ向かわせたアレクセイも気にしているところだった。
 運が良ければ、この目でその見ることが出来るかも知れない。
 シュヴァーンは改めて口を開いた。

「……お言葉に甘えさせて頂こう」

 その返答に、ウォクスは嬉々として立ち上がった。

「良かった、あの子達も喜びますよ!」

 まるであの子供たちの親のように、情に満ちた顔。たちから親を奪った張本人が浮かべるにしては、随分と違和感のある表情だった。


◆◆◆


 時間を持て余したシュヴァーンは、ウォクスに促されるがままに屋敷を散策していた。歩けば歩くほど、貴族らしからぬ質素な内装が目に写る。使用人の数も、見た限り片手で足りる程度だ。古びてはいるものの屋敷の隅々へ手入れは行き届いており、屋敷自体が骨董品のような雰囲気を放っていた。
 庭に出ると、まだ子供たちが遊んでいるところだった。揃えられた芝の上を駆ける弟妹を、少し離れた木陰の下でが見守っている。見るからに具合の悪そうな顔だった。
 ウォクスを呼んでくるべきだろうか。踵を返しかけて、シュヴァーンは踏みとどまった。

「おねえちゃん……?」

 姉の不調を感じ取った弟・アルトがに歩み寄る。それに続いて、妹のリィーナも彼女に近付いてきた。

「だいじょうぶ? つらいの?」
「大丈夫だよ、そんな顔しないで」
「でも……」
「ふたりとも、お姉ちゃんは大丈夫だから。元気だして?」

 笑う小さな姉は、弟と妹の手を握った。そしてゆっくり目を閉じる。代わりにゆるりと小さな口を開く。
 少女は、歌を紡ぎ始めた。
 聞いたことのない言葉だ。少なくとも現在のテルカ・リュミレースで使われている言語ではない。だがその旋律には、何処か懐かしさを覚えた。胸の奥が切なく痛む。
 子をあやす母親のように慈愛ある歌声に、呼応するものがあった。
 を中心に、ほのかな光が走る。光は、穏やかに姿を変えた。

「これは……」

 小さな光の球が、辺りを舞っていた。ふわりふわりと雪のように不規則な揺らぎで、優しく宙に漂っている。幻想的なその様に、シュヴァーンは一瞬で意識を捉えられてしまっていた。
 おそるおそる光る雪に手を伸ばしてみる。手のひらに降りた光は、仄かに輝き続けていた。握り締めると容易く砕け、粒子となって消えていく。
 まさか――これは。
 シュヴァーンの中で思い当たるものがあった。
 溜め込んだエアルを放出する瞬間。それは正しく、これなのでは無いか。

「シュヴァーン殿!」

 覚えある呼び声に振り返ると、そこにはウォクスがいた。肩で息をし、ずり下がった銀縁の眼鏡を指先で上げながら。

「こ、これは……の……!?」
「恐らく……。彼女が歌ったときに、一瞬だが術式のようなものが見えた」
「そうですか……! 遂に、そうですか!」

 ウォクスは震える声で叫んだ。光のひとつを手に取り、まじまじと見つめ、また歓声を上げる。

「これは……エアル? いいや、マナだ……! マナの結晶……! そうか、そうか! 溜めたエアルをあの子は、当然のように……!」

 まだ結晶のたゆたう中、ウォクスはたちに駆け寄って行った。もうシュヴァーンの存在など眼中に無さそうだ。
 突然やって来たウォクスに、たちは驚きながらも笑って迎える。

「どうしたの? 旦那さま」
! この光はどうしたんだい? 君がやったのかい?」

 ウォクスは屈み、の肩を掴んだ。その勢いに少女は一瞬身を固くする。素早く怯えを悟ったウォクスは、慌てて言い直した。

「ああ、責めているわけじゃないんだ、。私は嬉しいんだよ!」
「うれしい……?」
「そうだよ! そしてこの光のことを知りたいんだ! どうか私に、話してくれないかい!?」

 怒られているわけではないと判って安心したらしい。はそっと頷いた。弟と妹の手を握ったまま、ゆっくりと話を始める。

「私のお母さんも、お母さんのお母さんも……みんな、歌をうたったり、おまじないをしたりしてたんです」
「さっきと同じような光が生まれるような歌をかい?」
「うん。でもこんなに光るのは、私が歌ったときだけなんです。お母さんたちはね、キレイって言ってくれたし、元気がでるし、アルトも調子がよくなるって」

 つたない子供の話から察するのは労を要したが、ウォクスにとっては十分な情報が得られたようだ。彼の表情には、覆い隠せぬ狂喜が浮かんでいる。
 大人が被るその皮に、あどけない少女が気付ける筈もない。

「うたうと私も元気になるんです。でも、そのとき、どうしてもキラキラするんです」
「そうか、そうか。……ありがとう。お陰で助かったよ」
「ううん、どういたしましてです。……あの」

 不意には表情を曇らせた。こちらを窺うような眼差しで、ウォクスを、シュヴァーンを見上げながら。

「私のこと、お母さんたちはほめてくれたけど……街の人たちはちがったの」

 瞳の奧に、傷付いた少女の心が垣間見えた。何があったのか口で語らずとも、十二分に伝わってくる。

「旦那さまと……お兄さんは……私のこと、きらいになりませんか?」

 姉の緊張に同調するように、両脇で黙っていた弟たちの表情も曇った。
 特殊なものを、人は恐れ、爪弾く。この子供もその例に漏れぬ経験をしたのだろう。
 だが――。シュヴァーンは思った。
 幸いなことに、この子供はひとりではない。寄り添う家族がある。そして――ウォクスたちがいる。

「大丈夫だよ、。嫌いになんかならない」

 ウォクスは彼女を突き放したりはしない。彼女の力を求め、わざわざ大陸を越えてまで迎えに行ったほどなのだ。自身の研究のために。

「君のその力は、尊いものなんだから」

 だから、彼女の恐れるものはやって来ないだろう。
 それが幸せなのか否か、シュヴァーンには断言出来なかった。ウォクスは研究の為なら何をしでかすか判らない。しかし少なくとも、少女は今、ウォクスの言葉に笑みを浮かべて喜んでいる。
 ――“今は”幸せなのだろう。
 が自分を見上げていることに気付き、シュヴァーンははたとした。少女は、ウォクスだけでなく、シュヴァーンの返答を待っているのだ。
 仕方なしにシュヴァーンは口を開いた。

「俺も、嫌いにはならない。大丈夫だ」

 第一、何の感情も俺には無いのだから。
 そんなシュヴァーンの言葉の真意を知ることもなく、は嬉しそうに笑った。そしてその日中、少女の笑顔が絶えることはなかったのであった。

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