無機質な寝台の上に横たわる、子供の姿。細かな痙攣を繰り返す体と四肢は太いベルトで台に固定され、身動ぎさえ出来そうに無い。真上にある灯かりによって照らされた横顔が、の瞳に否が応にも入ってきた。
ぐりんと上を向いた瞳は血走り、涙が溢れている。ひくつく鼻からは赤混じりの体液が流れていく。半開いた口は、声を塞ぐために詰め込まれたらしい布がはみ出していた。
寝台の側には、恐らく魔導器であろう機械があった。魔導器から幾つも伸びるコードが子供の体中に繋がれており、魔導器の魔核が燐光を放つたび、子供の体は大きく跳ねた。
そしてそれを見守り、魔導器を操作するのは――ウォクス。
状況に不釣り合いなほど輝く瞳で、楽しそうに、寝台の子供を眺めて笑っていた。何か喋っているらしいことは口の動きで判った。しかし、声は届かない。判らない。痙攣する子供。匂いの正体が、子供の漏らす体液と漂う薬品の混ざったものであることには気付いた。ウォクスは笑っている。子供より子供のように。
心の底から。
の精神は遂に限界を迎えた。
「ああぁぁあああぁぁ!」
寝台の子供は痙攣さえしなくなっていた。死んだ。死んでしまった。
叫びながらは道を引き返した。覚束ない足取りで、彼女は何度も転んでは膝を打ち付けた。冷たい石畳から蔦でも生え、絡まってきているかのようだった。ありもしない蔦を払いながら、はまた立ち上がる。痛みよりも恐怖が彼女を駆り立て、頬を濡らす涙と漏れる嗚咽がその背を急かした。
旦那さまが子供を殺した。
殺してしまった。
なのにあんなに笑っていた。
旦那さまは、楽しんでいた!
「なんで、なんでぇ!」
誰も答えてくれはしないと判りながらもは叫び続けていた。
幼い弟妹の姿が脳裏を過る。あどけない寝顔の、いとおしい肉親たち。今も部屋でぐっすりと眠っているはずだ。
このままではあの子たちが危ない――は、そう思った。何を目的にウォクスがあんなことをしているのかは判らないが、判らないからこそ危険が及ぶ可能性は大いにあった。
逃げなくてはいけない。
ここから。
ここから。
「何処に行くんだい」
体が震えた。
耳に馴染んだ優しい声が、彼女を凍り付かせる。上手く息を吸えず、呼吸が疎らになっていった。歯の根が噛み合わず、かちかちと鳴った。
怖い。
けれど。
もう一度優しい声がする。
「何処に行くんだい、」
悲しい覚悟を決めて少女は振り返った。
を見下ろす銀縁の眼鏡の向こうに、硝子より空虚な輝きの眼差しがあった。笑っている。
この光景に見覚えがあった。
カルボクラムを襲った地震。恐ろしい力。失われた街。死んでしまった母。ずっと待ち続けていた。辛くて淋しいけれど助けを信じていた。
そんな時、この人は来てくれた。こんな風に笑って、手を差し伸べてくれた。
――あの日、騎士さまと一緒に来て、私たちを助けてくれた時よりもずっと深い笑み。
「さあ、おいで」
咎めるでもなく、訊ねるでもなく。ウォクスはそう言った。伸びてきた手は力無いの手を掴み、無理矢理に立ち上がらせると、再度、最奥へと先導し始めた。
拒絶は許されない。
逃れられはしない。
どうしてあの日、この笑顔の奥の狂気に気付けなかったのだろう――。
尽きぬ後悔は、絶えぬ涙と共に零れ落ちていった。
◆◆◆
寝台には何もなかった。「スフィナが片付けたのさ」ウォクスはさらりと呟いた。
片付けた。物を扱うような物言いが、の胸を澱ませる。大量の薬品に誤魔化されてはいるが、何かが腐ったような匂いがまだ充満していた。
「、そんな顔をしないでくれ。私は怒っちゃいないよ。そろそろ話そうと思ってはいたしね。だからスフィナに君を呼んでもらおうと思って向かわせたら部屋にいないなんて言うから……まあよく来たね」
ウォクスは饒舌に語った。もちろん言葉を返す気力がにある筈もない。は、自らこの研究室に来たと思っているだろう。そしてそれを後悔し続けているだろう。ウォクスらに“誘われた”のだとも知らずに。
声を堪えてウォクスは笑った。
「私はね、。君の体を何とかしてあげたくて必死なのさ。これは嘘じゃない。そしてそのためには、君を助けるために私が立てた仮説を裏付ける実験が必要なんだ」
は何も言わない。そこでウォクスは、訴え方を変えてみることにした。もっと、直接的な形で。
「君を助けるために、あの子供は犠牲になってくれたんだよ?」
びくり。が震える。虚ろな眼差しに光が戻った。動揺が見てとれる。わななきながら彼女は口を開いた。
「私の、せい……?」
「、私が魔導器の研究をしているのは知っているだろう? 君を助けるために、私はその魔導器を利用しようと思うんだ」
「私を……?」
「そう。そのためには試作した魔導器を、君と同じ年頃の子たちで試してみるのが一番なんだ。それで、ああいう風に子供たちを招いて何度も研究を重ねているんだよ」
ウォクスの言葉には戦慄した。
「私の、せいで、他にも、あんな子が、私の、せいで?」
「仕方ないんだよ。命の価値には優劣がある。君の稀有な力は守られるべきで、その為には死んでしまう人間がいるんだよ。あの子供はそうだった。君は悪くないよ。優先されるべくして優先された命なんだ」
「うそ、うそ……!」
頭を抱えては首を振った。泣き声でウォクスの言葉を必死に掻き消そうとする。しかし聞きたくないものであればあるほど、その耳には届いてしまう。
「君はたくさんの命の犠牲の上にいなければならないけれど、大丈夫だよ。私が君の体を良くしてみせるからね、心配しなくていいよ。私の腕を信じなさい。死んだ奴なんか気にしないでいいんだよ。もうすぐなんだ、あと一押しなんだ。だからね、きっと大丈夫」
ウォクスは何度も重ねた。は悪くない、と。それが一番彼女を追い詰めると知っていたからだ。恐怖を煽り、確実な見せしめを以て平常心を奪い去り、逃げ場を無くしていく。
石床にへたりこむを、わざとらしくウォクスは心配してみせた。「大丈夫かい?」紳士的に微笑む。ウォクスが伸ばした手を、はただただ見つめる。死人のように青白いその顔は、ウォクスを人として見てはいなかった。魔物と相対した時の方がもっとましな顔をしているだろう。
「もう、やめて……」
「何をだい」
「誰、も、ころさないで……」
「どうしてだい」
「私、なおら、なくて、いい……!」
発作が起きたのだろう。の呼吸は浅く、早いものになっていった。
掠れた訴えにウォクスは笑ったまま答える。躊躇ない切り返しに、は泣きながら頭を下げた。床に額を擦り付けるように、低く、低く。拙い呼吸が彼女の胸を締め上げる。きつく、きつく。
ウォクスはを見続けた。発作が治まらず、酸素を取り込めずに喘ぎ始めるのを確認してから、ウォクスは静かに口を開いた。
「判ったよ、。約束しよう」
「ほんと……?」
「ああ、本当にだよ」
は思わず顔をあげる。それが合図だった。
ウォクスの左手が、動けぬの首を捉えた。抵抗する力さえないの気管を喉ごと締め上げ、押さえる。は悲鳴を上げようとしたが、しかし、掠れた息が漏れただけだった。恐怖が体を縛り付ける。
壁にの体を押し付け、ウォクスは笑った。
「微調整は、君につけてからでなくちゃね」
ウォクスのもう片手が、伸びてくる。
まさか。
指が、の右目に近付く。
まさか。
眼球に指が触れる。
まさか。
ウォクスは笑みを絶やさない。
まさか。
食い込んでくるものがある。
まさか――。
は叫んだ。
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