――痛い。
は目を覚ました。
視界の霞が徐々に晴れ、部屋の全貌を認識する。内装からして、屋敷の自室に間違いなかった。部屋には自分ひとりっきりで、開け放たれた窓から差し込む陽が、昼間であることをに教えてくれる。
ゆっくりと体を起こし、先の痛みを探った。ずきり。鼓動と共に痛みが蠢く。自然と右目のある場所を押さえて、そこが痛みの中心だとは気付いた。右目。右目。考えてから然程経たずに、思い出す。
そうだ。私は首を締め上げられて、この右目を――。
蘇った恐怖が身体を凍えさせた。どっと脂汗が吹き出て、芯から震えた。それをやり過ごす間もなくが考えたのは、弟と妹のことだった。
抉られたはずの右目には痛み以外の違和感もなく、視界も今まで通りに見えている。後回しでも大丈夫だろうと算段し、ベッドから飛び出した。
あの子達に会いたい。
磨り減ったの精神は、唯一の肉親を、唯一の安らぎを求めていた。
幸いにも人の気配は近くにあった。話し声が聞こえる。は走っていた。
「アルト! リィーナ!」
叫びながら、陽光差し込む居間の扉を開いた。そして安堵する。
の愛する弟と妹は、何時もと変わらぬ姿でそこにいた。二人は姉の姿を認識すると、満面の笑みを咲かせて駆け寄ってきた。
「おねえちゃん!」
「おねえちゃんだ!」
涙を堪えながら、姉は二人を受け止めた。
「良かった、良かった……ふたりとも……」
思わず零れた呟きに、アルトは不思議そうに首を傾げ、リィーナは心配げに姉を見上げた。
「どうしたの、おねえちゃん」
「だいじょぶ? まだ、おケガいたい?」
「え?」
怪我? は瞬きした。いつ怪我をしたのか。思い当たるのはあの地下でのことくらいだが、右目は無事のようだし。肉親の安否を確認できた今、全て夢だったのではないかというほどに馴染んでいて――。
――――“馴染んで”?
は再び凍えた。
弟妹をそっと引き離し、居間を見渡す。テーブルに手鏡があった。それを踏んだくるように手に取ると、彼女は、鏡の中の自分の顔を覗き込んだ。
そして言葉を失った。
「なに、これ……」
の右目は、無かった。正しく言えば、彼女の生まれ持っていた右目は無くなっていた。代わりに、淡い青緑色の球体が、それこそ眼球とすり変わって在った。仄かに光を放っているようにも見えるそれは、よくある魔導器の魔核に似ていた。そして、その右目らしきものを中心に、の顔には歪な十字の痕が刻まれていた。癒えぬ切り傷をわざと引っ掻き回して傷ませたような、汚くて、痛ましくて、大きな大きな傷痕。それは鼻筋を跨ぎ、左目の下にまで及んでいた。
叫びすら出なかった。
理解が出来なかった。
「、起きたんだね」
呼び声に、不自然なまでに身体が揺れる。おそるおそるは振り返った。
「だんな、さま」
幼子のように拙く、たどたどしい声になった。
アルトとリィーナの頭を撫で、ウォクスは笑っていた。
言葉を詰まらせるに、ウォクスは穏やかに告げた。
「お話と診察があるから、一緒においで」
大きな硝子窓から差し込む温もりが、肌を刺す。陶器のように温度を通さなくなった身体を、は自然と抱き締めた。
悪夢は終わっていなかった。
◆◆◆
緊張を誤魔化すように冷たい指先を必死に擦り合わせながら、は座っていた。向かいにはウォクス。この間まで慕っていた男が、この間までと変わらぬ笑顔でいた。
「アルトとリィーナには、君が夜中に外に出て魔物に襲われた、と伝えてあるよ。その際に右目を潰してしまい、私が代わりになる義眼の魔導器を与えたという設定さ。ひしゃげた傷痕も懸命なスフィナの治癒術でようやくそのくらいまで回復できた、ということでね。すんなり信じてくれたよ、良かった良かった。で、あの子達に無駄な心配を掛けないように話を合わせておくれよ?」
は小さく頷いた。
「もちろん君が見たことも内緒だからね、話せはしないだろうけど。後はそうだなぁ、その目のことをちゃんと説明しようか!」
の反応は無いに等しいほど微かなものであったが、ウォクスは嬉々として語り始めた。
「今まで私は偉大な先駆者の技術を倣って、身体の機能を補ったり代わりとなる魔導器を作ってきた。義手や義足、それだけじゃない、何と、心臓の代用品まで作れたんだ! だから義眼くらいどうってことないんだけれどね。、君に与えたそれは特殊な物なんだよ」
「特殊……?」
「そう。君の無意識にエアルを収集してしまう力をコントロールし、今までより効率よくエアルをマナエネルギー化するための補助を行う。主にそのエネルギーは君の身体機能に優先されるように仕込んだつもりだ。体内潜在術式が一定ではなく可変式故に完璧とまでは行かないが、今までより格段に安易かつ安全に日常生活を過ごせるはずだよ」
どうだい? と尋ねられ、は注意深く自身の体の調子を探った。
胸のつっかえが軽い気はする。そういえば走っても息が上がらなかった。何時もなら咳き込んでも可笑しくはないのに。身体的には確かに改善されたらしい。だが、それを上回るほどの重圧が、彼女の精神に課せられていた。
この眼が私のからだを治すためのものだとしたら、つまりこれは、あの子供みたいな子がたくさんいて。その積み重ねが、この眼に全部あって、私のからだにも罪が染み出していってるんだ。
無意識のうちに右目に手を伸ばしていた。
こんなもののために――!
怒りに似た激しい感情がの胸を焼いた。指を伸ばして、作り物の眼球に触れる。
こんなもののために死んだ人間がいる。決して少なくはない数の人たちが。殺されてしまった。
ぐ、と指先に力を込める。……しかし、それ以上は動けなかった。
右目を奪われた時の恐怖と痛みが、を縛り付けていた。癒えきらぬ十字の感触が、それを駆り立てる。あまり覚えていないはずなのに、体には嫌というほど染みていた。
いたい、こわい。
体が震え、歯の根が上手く噛み合わずに鳴っていた。滝のように噴き出す汗。あの時のような発作は無い。それが逆におぞましかった。
――どうしてこんなことになってしまったんだろう。私はただ、皆で普通に幸せに暮らしたくて、そうしてきただけのはずなのに――。
人並みだと思っていた願いは、高望みだったのね?
涙が溢れた。
「君は悪くないよ、」
静かに泣き出したへ、ウォクスは優しく呟いた。
「君のために必要だったんだ。尊い犠牲という奴だよ」
彼女を同じ穴蔵に陥れるために。
は顔を上げた。硝子玉のように虚ろな眼差しだった。
彼女は堕ちた。
引き込まれてしまった。
「私のせいで……私のせいだ……私がこんな体だったから…………私が、いるから……」
旦那さまだって、あんなにお優しかったのに。
きっと私のせいなんだ。
私が旦那さまに会ってさえいなければ。お母さんではなく、私が死んでいたならば。こんなに辛いことは起きなかっただろうに。
私がいるから。
私がいたから。
私さえいなければ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
磨耗した精神は、正常な判断を下せずにそう結論づけた。人形よりも従順なウォクスの“作品”が生まれたのだ。
彼の思惑通りに。
飛び出しかけた笑い声を引っ込ませ、ウォクスは神妙な面持ちで彼女を見やる。
迷える子羊に道を指し示す指導者のように。
「私は君が悪いとは思わない。けれども君がそんなに己を責めると言うのなら、責めずにはいられないと言うのなら――君の親として、共に贖罪の術を探そうじゃないか」
壊れた少女は頷き、遂に狂人の手を取った。
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