ウォクスは笑った。泣き腫らしたの顔を見つめながら、優しく話す。

。私に協力出来ることは何でもしよう。兄弟の面倒とか、何でもだ。君が大事なものは私にとっても大事なものだからね。だから私の願い事も聞いてはくれないかな」

 はその言葉と笑みを信じることにした。それしかなかった。
 流されるままに、は初めて武器と言うものを手にした。始めに持ったのは、よくある片手剣である。鋼の刃はずっしりと重い。何度か振ってみたが、「違うなあ」と見守っていたウォクスは顔を歪めた。

「お母さんとは向き不向きが違うんだろうね。君の身体データから私が最適なものを絞り出そう」

 そうして渡されたのは、身の丈よりある大きな鎌だった。先のようにが振り回すと、ウォクスが今度は満足そうに頷いた。これだ、と。
 次には地下に連れていかれた。体液を溢して子供が死んだ場所とは違う場所だった。回りが黒い鉄の格子に囲まれた広い空間、檻だった。
 檻にひとりきりでは佇んでいた。ウォクスはいつの間にかいなくなっていた。
 ぼんやりしていると、向こうにある暗い穴が蠢いた。それが何かを確かめる前に、その暗い穴は目掛けて飛び出してきた。真正面からの激突。コンクリートの床に打ち付けられ、は小さく呻いた。
 そこで彼女は、自身を取り戻し、現状に気付いた。
 命の危機――。
 穴だと思っていたものは生きていた。魔物であった。影に四つ足が生えたような奇妙な魔物。四つ足の影は、倒れ込んだにのし掛かり、襲い掛かる。黒く鋭い爪が、容赦なくの皮膚を裂いた。慌てては鎌を振ってみたが、上手く当たらない。何度も爪を受けながらも、駄々っ子のように鎌を振り回すうちに、運良く魔物の頭を柄の先が叩いた。
 傷の痛みと恐怖に引き吊りながらもは立ち上がった。逃げ回りながら何度も助けを求めた。

「旦那さま! 旦那さま、助けて! 旦那さま!」

 肝心の旦那さまは何処にいるのかさえ判らない。せっかく戻ってきた正気も、また何処かへ行ってしまいそうだった。
 魔物は、を追い掛けた。獲物を追い詰める狩猟者のように。死の恐怖を携えて、確実にを弱らせていく。己の優位を感じ、彼女を弄んでいるのだ。
 追い掛けっこの終わりは唐突だった。跳んだ魔物が大きく口を広げ、その牙がの細い腕に食い込む。

「いやぁぁああ!!」

 激痛は熱を伴っていた。腕を食い千切ろうと魔物が首を振る。の身体は腕ごと振り回された。肩が変な音を立てていた。
 腕がなくなっちゃう。
 死んじゃう。
 死んじゃう――!
 少し前まで“死ねばよかった”とさえ思っていたはずの彼女には、まだ正常な部分があった。生きる本能があった。堕ちて尚、堕ち切れずに在ったのは、彼女の中にある肉親への想いだった。
 何も知らぬ弟と妹が、何も知らぬまま幸せにいてくれるように。
 罪有る私が、罪無き弟妹を巻き込む訳にはいかない。
 私が頑張れば、ふたりは大丈夫、だから。
 魔物に弄ばれたのはごく一瞬だったが、には途方もなく長い時間に感じられた。
 巡りめぐった思考が僅かな光を成す。
 その光は右目に灯り、熱となった。熱は衝撃となり魔物を襲う。黒い体毛は烈風を喰らって千切れ、その下の肉をも削ぎ落とす。光と熱にもまれ、細かな粒子へと化していく――。
 に噛みついていた魔物は、彼女の腕に顎先だけを残し、その体と命を失った。
 右目の光は消え、の中の衝動も収まった。同時に体を襲う脱力感に、彼女は頽れた。
 右目が痛い。頭が痛い。体が痛い。
 もう魔物がいないことを祈り、は意識を手放した。


◆◆◆


 魔導器を発展させ、魔導器で体の機能を補うというウォクスの思考自体は、当初から変わっていなかった。
 ただ、補うだけの魔導器では、足りなくなってしまった。アレクセイへの助力としても、彼に芽生えた新たな知的探求心を満たすにも。
 そこにが現れた。常人よりもエアルに適応し、許容し、活用する存在。
 ウォクスの好奇心は増した。
 アレクセイは〈満月の子〉を生み出そうとして失敗した。ならば私は〈始祖の隷長〉を生み出せはしないか、試してみよう。
 ウォクスにとっては、どちらもエアルを扱う存在であることは変わらない。違うのはエアルの消費が多いか少ないか。の能力は後者、始祖の隷長に近いものだった。エアル還元の効率が今までのどんな術式よりも優れていた。
 の能力を磨き、より完全なものに仕上げることが出来れば、自在にエアルを操るという魔導器科学の至高〈リゾマータの公式〉をも掴めるに違いない。
 その為にはの体にある潜在術式を安定させることが第一だった。誰にでも判る一定のものでなければ、公式に起こせない。
 ウォクスはその安定を図るための魔導器を作り上げた。始祖の隷長たる力に相応しいよう、自身の力をサポートし、コントロールするための鍵。
 それがに与えられた義眼魔導器であった。
 仮定と実験を重ね、完成した魔導器は、ウォクスの予想とは異なる形で最良の結果を見せた。

「これは驚いた。魔導器を馴染ませようと潜在術式を進化させたというのか? 魔導器の術式にまで及んでいる……。生命力の神秘か、はたまた人ならざるものの力がなせる技か……」

 魔物との死闘の後、は実験用の寝台に運ばれていた。
 気を失ったままではあったが、は生きていた。そのの体を調べながら、ウォクスはぶつぶつと呟き続ける。

「ヘルメス式を脱したのは正解だった。自身が既にエアルを収集する魔導器のようなものなのだから。組み込む鍵は必要最低限で良い。可変する術式か……。そうか、。本当は君の体はこの魔導器が欲しかったんだね。じゃなかったら、こんな風に受け入れたりはしないだろうね」

 横たわるは浅い呼吸を繰り返す。ウォクスは徐に、側にあった光照魔導器――かつて彼が彼女に送ったもの――を翳した。
 淡い光がに近付けられる。ふわりと光は一瞬強くなると、魔導器から緩やかに抜け出していった。光はエアルに還り、の体に溶けていく。エアルの光は、引きつった傷と血の跡が残る彼女の体を癒していった。
 見るからに浅くなる傷口を見て、ウォクスは笑う。

「ふふ、やっぱりだ」

 始祖の隷長にはまだ及ばずとも、はエアルに強く適応した存在らしい。その証拠に彼女は、直接採取したエアルを体の治癒にあてた。
 ウォクスの望む結果を、は次々と生み出した。
 彼女は生ける公式。
 彼女は生ける魔導器。
 彼女は私の至高の作品。
 ウォクスは笑いが止まらなかった。

「あは、あははは! あはははははは!」

 昏睡するの側で、子供のように無邪気な声を上げていた。
 きっと我が盟友、アレクセイも喜ぶだろう。の力が安定し、私が理解した時、彼の更なる力となる。私の目的は、目標は達成される。
 ウォクスの笑い声は尚も響く。
 魔導器や術式の効果を確かめるには、いくらでも方法があった。しかし“最良”の選択肢はこれだった。
 顔にわざとらしく傷を残したのも、何も告げずに魔物と戦わせたのも、を縛り付けるため。
 人を支配するための一番の楔、恐怖を植え付けるためだった。
 年頃の少女は顔に癒えぬ傷を負った時、どう思ったのだろう?
 傷ついた少女は獣の前に投げ出され肉を千切られた時、どう思ったのだろう?
 魔物にも死にも勝る暗闇を知った時、どう思ったのだろう?
 賢いこの少女は、自分が死んだときに“次”は“誰”になるのか気付いている。
 だから逃げない。
 逃げられない。

「守りたいものがあるせいで逃げられないなんて、可哀想だね、!」

 形だけの哀れみの言葉は、無機質な石の壁にぶつかり、霧散していった。

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