見たくはなかった。
顔に走る歪な傷跡と、その中心にある魔導器。彼女本来の右目は、どうやって失われたのか。
考えたくはなかった。
何年前だったろうか。彼女たちを助けに行ったのは。6年前か。いや、もっと前だったか。湿ったカルボクラムの空気が、これから行われるであろう非道を苛めるように自分たちを取り巻いていたのを思い出す。
きっと“これ”を指していたのだ。
(俺の、せいなのか)
少なくともあの場にいた人間の中で、止めることができたのは自分だけだった。けれど止めなかった。まさか、こんなことになるなんて思わなかったんだ。
何も言えずにシュヴァーンは、ただただを見つめていた。
目の当たりにしていながら、信じられなかった。きっと望まぬ形で魔導器を受け入れたであろう、眼前の少女の有り様を。
シュヴァーンは無意識のうちに胸を押さえた。失われた心臓の代わりとして埋め込まれている魔導器は、シュヴァーンの動揺を敏感に察し、強く脈打った。
は、泣くわけでもなく、シュヴァーンたちを責めるでもなく、ふわりと笑ってみせる。
「お久しぶりです」
その瞳――残された彼女本来の左目は、屈託ない笑みに劣らぬ澄んだ色で、二人の騎士を迎えた。魔導器の義眼は無機質な燐光を伴い、その奥には緩やかに巡る術式が見えている。
律儀に頭を下げるに、騎士たちはただ視線を向けるだけだ。
「この義眼魔導器は、ヘルメス式を応用して私が作り上げたものです」
の肩を抱くウォクスは、真新しい玩具を自慢する子供のように笑って話し始めた。
この男の中には、を人間として認識する良心すら無くなっているのだろう。
嫌悪を越えて、ぞっとした。
「まだの潜在術式ありきで機能していますが、彼女の術式が完全に義眼魔導器と同調・同化すれば、そのデータを基に常人への応用タイプを作れるでしょう。武醒魔導器とは比べ物にならない身体強化を齎しますよ」
「その“比べ物にならない”とは如何程のものかが気になるな」
「ちゃんとお見せ致しますよ。さ、こちらへ」
ウォクスが踵を返し、アレクセイたちを誘導する。
その間もは、何も変わらないかのように自然なままだった。淑やかに重ねられた両手をスカートの正面に添え、ウォクスに続く。うっすら微笑んでいるかのように穏やかな表情だ。
しかし。たまたま視線を落としたために、シュヴァーンは気付いてしまった。
――の手は、震えていた。
少女は耐えていた。己の身に降りかかった異常を堪えていた。そのために、必死に虚勢を張っているのだ。
シュヴァーンは呆然とした。雷に体の芯を脳天から貫かれたようであった。胸を締め付ける感情を取り払おうと、必死に頭を回転させた。これは何だ。死んだはずの俺が感じるものなどないはずだと、感じるのを止めようと、必死に。だが、叶わない。
がひっそりと手を握り締めたのが目に入る。
息が詰まった。
シュヴァーンの脳裏に浮かぶものがあった。
いつの日か屋敷を訪れた時のことだった。はにかみながらシュヴァーンを迎え、シュヴァーンを困らせる弟妹をたしなめた、ただの少女だったの姿だ。
あの時、は確かに幸せだった筈だ。
あんなに輝く笑顔で――家族に囲まれ――彼女を迎えた張本人が――ウォクスがいて――。
そのウォクスが、まさか彼女を壊すなんて――。
いや――そもそも彼女たちが此処に来ることになった理由は――!
混乱を一通り整理したシュヴァーンは、ひとり納得した。己の心の氾濫の真理を突き止めた。
(――俺はずっと、この子を救ったつもりでいたのか?)
この子がこの屋敷に来なければならなくなったのが誰のせいか知っていたのに。少し考えれば判ったろうに。忘れていたと言うのか。
道化ですら無い。
シュヴァーンは目を伏せた。口元には引き吊ったような自嘲の笑みが浮かぶ。声が漏れそうになるのを、彼は必死に抑えた。
正面を切って笑ってやろうかとも思ったが、すぐに思い直して踏み止まる。
顔を上げたくない。
の姿から、シュヴァーンは出来る限り目を逸らしていたかった。
ウォクスの先導は、屋敷の地下へと続いた。
石の壁に囲まれた地下空間には、最低限の照明だけが灯されている。
いつの間にかはいなくなっていた。「彼女は一足先に用意しています」聞いてもいないのにウォクスが説明をした。
地下室のひとつに、アレクセイとシュヴァーンは通された。数々の魔導器と山積みの資料が視界を圧迫する。しかしウォクスなりに整頓はされているようで、彼は迷わずに何かを見つけた。
ウォクスがひとつふたつとその何かを操作すると、一枚の板がアレクセイたちの目の前に現れる。ぷっ、とその板の表面に一筋の光が走ると、次第に映像が浮かび上がってきた。
映ったのはだった。広い空間に、一人ぽつんと佇んでいる。
どういう原理か判らないが、これは別所の様子を映し出すことのできる魔導器らしい。
「これから彼女の力をしっかりお見せしますね」
言いながらウォクスは壁に手を当てた。そこにあったボタンを彼が押すと、映像に変化が生じた。
だけだった空間に、影が蠢く。彼女の四方を、放たれた魔物たちが囲んでいた。何が起きるかは想像するまでもなかった。
魔物が目掛けて跳ねる。それをは受け止めた。ギンッと金属同士が噛み合うような音がする。魔物の牙が、の手にする大鎌に阻まれて立った音だった。
少女は身の丈よりある魔物を、身の丈よりある得物で真一文字に両断した。閃く三日月が、鮮やかな血を纏う。
只の少女の枠には収まらぬ力と技だった。
次々と襲い掛かる魔物を、ほぼ一撃で彼女は葬っていった。しかし――。
魔物の猛攻は幾度となく彼女を傷付けた。石畳に己の血を散らしながら、魔物の血と混ざりながら、は戦い続けていた。武器を振るい、立ち回る度に、赤い雫が宙に舞う。
「……これ以上は命を落とすのでは」
たまらずシュヴァーンは口を開いた。アレクセイも考えていることは同じだったようだ。呼び掛けながら視線をウォクスに向ける。
「ウォクス。もう――」
「見てください、二人とも! あれを!」
ただならぬウォクスの歓声にアレクセイとシュヴァーンは再度映像に向き直った。
血塗れのが、四肢を落とした魔物と相対しているところだった。今まで魔物たちを一撃で仕留めてきた――苦しめないようにという殺し方に思えた――彼女らしからぬ光景だった。
は魔物が抵抗できないことを確かめると、そっと手を翳した。魔物を中心に輝く術式が浮かび上がる。魔物はもがくように体を震わせるが、それを支えるものは無い。
術式が光を増すと、信じられないことが起こった。
「これは――」
魔物の体が術式に呼応するように輝き、細かな光の粒子となっていったのだ。その光はの手へと導かれ、吸い込まれていく。右目の魔導器が燐光を放ち、その燐光は彼女の体を包み込む。
遂に魔物は完全な粒子となり、消えてしまった。跡形もなく――。
言葉にならなかった。
呆然とするアレクセイたちに、ウォクスは楽しげに笑って話した。
「見ましたか? は魔物をエアルに還しただけでなく、己が力として取り込んだのです! 彼女は、エアルの仕組みに直接作用しているんですよ!」
「まさにリゾマータの公式……」
「そうです! まだ意識して実行するには及ばないようですが、魔導器との同調が進めば、魔導器から幾らでも命じることができますよ。今はエアルをすぐに使ってしまいましたが、溜め込み、丹念な術式で以て行使することで魔核まがいの結晶を生み出すことも――」
アレクセイとウォクスが白熱していく中、シュヴァーンだけは映像に釘付けだった。心は酷く冷めていた。冷めすぎて凍えたのか、震えを伴うほどだった。
力を行使したはその場に頽れ、動かなくなっていた。先の術で出血は止まっているようだが、完全な治療とは言えない。部屋に魔物がまだいる可能性だってある。
しかしウォクスはアレクセイとの話に興じ、既に魔導器の映像に見向きもしていなかった。
シュヴァーンは再度震えた。凍えた心の奥に、どす黒い炎が燃える。
「ウォクス」
「はい? 如何なさいました、シュヴァーン殿」
「彼女は、この地下の何処に」
ああ、とウォクスは頷いた。のことを思い出したらしい。あれだけ執心し、身勝手な実験を迫っておきながら。
一瞬であろうとウォクスがを忘れたことが、シュヴァーンは許せなかった。
表情なき仮面の下にあるシュヴァーンの心境を知るわけもなく、ウォクスは答える。
「この部屋の二つ前の通路ですよ。他とは違う光照魔導器が目印です。良ければ迎えに行って、側の部屋に入れておいて貰えますか」
聞き終わるか否かでシュヴァーンは部屋を出ていった。
シュヴァーンは怒っていた。
自分には何の資格も無い。
死人には何も無い。
何も出来ない。
しかし、ウォクスは許せない。
あの場で刃を振るいたかった。
あの男を仕留めたかった。
あれは生かしておいてはいけない男だ。そう断言できる。
だが、叶わないのだ。
アレクセイはシュヴァーンとは別の力を持つウォクスを必要としている。生きることを止め、アレクセイの人形に成り下がった自分が手を下せる相手ではない。
それを考えれば、ウォクスはシュヴァーンよりよほど“生きて”いた――。
考えが最悪な場所に至った頃、シュヴァーンは目指す部屋へと辿り着いた。
prev
Top
next