ウォクスの行った研究とその成果は、アレクセイの計画に確かな進歩を齎した。
 あの少女の力ならば、〈宙の戒典〉に代わる“鍵”となりうる。
 彼の布石は予測以上に活き、駒は着々と揃い始めていた。

「……それから、一般的な武醒魔導器よりも身体強化能力を向上させることも成功したんです。先に見ていただいた通り、常人では致命傷レベルの攻撃も凌ぎます。只の少女でも立派な戦士ですよ」
「そうか……。ウォクス、彼女は完成と言って良いのだろう?」
「はい、あとは魔核に記述した術式からの能力操作を確認すれば」
「理論的には問題ないという話だったな」

 アレクセイの問い掛けに、ウォクスは自慢げに答える。

「ええ、まあ。それこそ、彼女が彼女の力をコントロール出来ずとも、此方から誘導してやれます。そういう風に組んだ術式ですから」

 それは一種のマインドコントロールと呼べた。彼女の意思を無視して力を行使する――既に人への扱いではなく、まるで魔導器を扱うようなもの。
 それで良い。
 道具に意思は要らないのだから。

「十分だ。計画には彼女を使おう……」

 アレクセイのその言葉に、ウォクスは頷く。
 このために彼は研究を重ねてきたのだ。世界を救うというアレクセイの志に共感し、世界の未来の為に、己の現在を犠牲にしてきた。モラルも倫理も擲ち、禁断の行為にまで手を伸ばした。そしてその非道なまでに純粋な狂気が、今ようやく実を結んだのだから。
 これは喜ばしいことなのだ。
 ――しかし。
 ウォクスのの表情は何故か暗く、優れなかった。


 「計画については改めて連絡する」そう告げて二人の騎士は帰っていった。
 二人を見送った後、ウォクスは地下室にとって返した。闘技場の側の、の為に用意した部屋に向かう。
 充満していたであろうエアルの光は失せ、部屋には簡素な寝台と……白い狼の姿があるだけだ。

……」

 彼女の血筋に由来する力。エアルをあらゆる形で用い、自らの姿さえ変える力。その証拠が、この白狼だ。
 義眼魔導器を埋め込んでから行えるようになった、エアル吸収による治癒時に発現した姿だった。傷を治そうとする魔核の術式と潜在術式が干渉して起きているらしい。魔導器がもう少し馴染めば、この反応も無くなるだろう。

「あと少し、もう少しの辛抱だよ

 もう少ししたら君の贖罪は終わるんだよ。何てったって、君は世界を救う鍵になるのだから。その為に今まで頑張って来たんだからね。私もその為に、沢山の実験と考察を繰り返し、挫折を乗り越えてきた。
 ウォクスは思い返した。
 初めは動物。次は人間の死体、生きた人間。故意に繋ぎあわせたり引き剥がしたりして欠陥を持った体に、魔導器を与え、自分の意向通りに働くか。働かなければ投薬か何かで体を補修した。それでも駄目ならば体のエアル構造を狂わせ、魔物にして片付けた。魔物は便利だった。飼い慣らすにも、研究を試すにも、咎めるものは誰もいない。

「元が人間だと、ただの魔物より倒しやすかったようだね。まあ、気付いていないだろうけど」

 もうどれほど前だったか、彼女たちの話を聞いたのは。
 迎えに行ったのは。
 魔導器を与えたのは。
 がウォクスに齎したものは限りなく大きい。
 そしては、幾度とない極限状態を味わうことで、魔導器と体を深く繋げていった。
 生きる為に。
 生かす為に。
 私の願いを果たす為に。
 そしてもうすぐ、アレクセイ殿が、君を使って――。
 ――使って?

「……あれ、可笑しいね。何も間違っていない筈なのに」

 どうして私は、アレクセイ殿にを使わせたくないと思っているんだろうね。
 ウォクスは思い当たった。
 ――これは、独占欲。
 折角出来上がった作品を、“世界なんかの為に”渡したくはない。
 自分が望む形にようやく辿り着いたというのに。
 生けるリゾマータ、始祖の隷長、意思を持った魔導器。
 人の新たな力となるもの。
 奪われたくはない。
 私のものなんだ。
 しかし、あの力はアレクセイの計画に無くてはならない。
 ならば、ウォクスがすべきことはひとつ。
 ――同じ力を持つものを、もうひとつ造り出せば良い。
 幸いにも、当てはあった。


◆◆◆


 姉が無理をしていることを、アルトとリィーナが気付かぬわけがなかった。
 いくら幼いと言えど、に似て聡い子供だ。が夜な夜な何処かに向かうことも、自分たちには何かを内緒にしていることも、知っていた。しかし姉がそれに触れてほしくないということも、同じくらい深く感じ取っていた。

お姉ちゃん、何してるんだろうね」
「最近、だんなさまもお姉ちゃんもリィーナたちとケーキ食べないね」
「だね。騎士さまたち来たときが久しぶりだった」
「つまんないよねぇ」

 大好きな姉と遊びたい。
 だから、スフィナとの勉強だって頑張っているのに。
 お姉ちゃんと一緒にいたいのに。
 二人はベッドの上で跳ねながら、稚拙なやり取りを繰り返す。

「お姉ちゃん、リィーナたちのこと嫌いになったりしてないよね」
「大丈夫だよ、ぼくら、お姉ちゃんが大好きなんだもん! それに、ほら、ペンダントくれたよ」
「そうだね!」

 アルトが掲げたのは、が普段身に付けている母の形見のペンダントだった。数日前に彼女はこれを外し、アルトとリィーナに託していたのである。
 過酷さを増す実験の中でも、自分は母と共に兄弟たちといられるように、と――。
 二人はペンダントを見て笑いあった。

「そうだ。もうすぐお勉強だよ」
「うー、めんどくさいねー」

 アルトはペンダントをポケットにしまうと、一足先にベッドから降りた。ぱたぱたと部屋のドアに駆け寄り、ノブに手を掛ける。

「あれ?」

 ノブを握るより先に扉が開いた。
 アルトは開いた扉の先を不思議そうに見つめる。遅れて側に来たリィーナも、外を見上げた。
 姉よりずっと年上の女性が、二人を見下ろしていた。スフィナである。少しだけ冷たいものが、彼女の目の奥で光る。アルトとリィーナは無意識のうちに身を寄せあった。

「スフィナさん……?」
「どうしたの?」

 スフィナは優しく微笑むと、二人に告げた。

「今日のお勉強は無しですよ。旦那様とお姉ちゃんが呼んでいます」

 幼い弟妹はあっさり警戒を解き、スフィナの手を握る。
 勉強をしなくていい上に、お姉ちゃんと旦那さまと一緒だなんて。
 うきうきと心躍らせながら、アルトとリィーナは歩いていく。様々な憶測をかわしながら、スフィナの先導に従って。
 歩くうちに、二人は目指している場所に思い当たるものがあった。
 旦那さまの部屋だ。
 普段は決して入ってはいけない部屋。
 ますます二人は浮き足だった。

「スフィナさん、入っていいの?」
「良いんですよ。旦那様がそう仰ったから」
「やったぁ!」

 小さな探検気分だ。扉を開いたスフィナに離れずついていくアルトとリィーナ。そして更にスフィナが開いた扉の先――地下への階段を見ると、アルトとリィーナは顔を見合わせて笑っていた。

「わくわくするねぇ」
「足元に気を付けてね」
「はぁーい」

 スフィナに案内されるがままに、幼子たちは地下へと招かれていった。
 かつて姉がそうだったように。
 薄暗い石造りの通路は洞窟のようだ。自分たちの足音が大きく響く。進むほどに、嗅いだことも無いような鼻を突く匂いが増していき、ようやくアルトとリィーナは一抹の不安を覚えた。
 しかしスフィナは進む。仕方無しに二人は彼女を追いかけ続けた。
 ひとつの扉の前に辿り着くと、スフィナの足は止まった。かちゃり、と簡素な音を立てて扉を開きながら……彼女はゆっくりと二人を振り返り、笑った。

「さあ、頑張りましょうね。二人とも」

 張り付けただけの薄っぺらい笑みで。
 凍りつく間もなく、アルトとリィーナは扉の向こうに押し込まれてしまった。
 慌てて二人は扉にすがり付いた。叩いても引っ張っても何もない。びくともしなかった。

「アルト、リィーナ」

 振り返った二人は、怯えた顔から一転、安堵の色を滲ませた。
 そこにいたのはウォクスだった。

「旦那さま!」
「びっくりしたよぉ!」

 駆け寄る二人を受け止めながらウォクスは笑った。

「スフィナは荒いからねえ、ごめんよ。二人にお手伝いをして欲しくて呼んだんだ」
「お手伝い?」
「なんの?」
「お姉ちゃんのお手伝いを、ね。頼まれてくれるかい?」

 お姉ちゃん。その単語にアルトとリィーナの顔は輝いた。ウォクスを見上げながら、嬉々として喋りたてる。

「する! お手伝いいっぱいする!」
「そしたらお姉ちゃん、つかれなくて、また遊んでくれるよね?」
「きっとね」
「ぼくね、お姉ちゃんと読みたい絵本あるの!」
「リィーナは一緒にお菓子つくる!」

 他愛のない、至極全うで当たり前な、幸せの滲む話。子供たちの願いに、ウォクスはただただ微笑んで相槌を打つ。
 一通り話し終え、アルトとリィーナは満足したようだった。

「ねえ旦那さま! お手伝い何したらいいの?」
「ぼくたちがんばるよ!」

 二人の申し出は、ウォクスの笑みをより一層深くさせる。
 ――それが崩壊の始まりだった。

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