はとても眠かった。昨晩遅くまでミミックの調整を行っていたからだろう。
 ミミックはカバンであり疑似生命体。人間が食事や休息を必要とするように、メンテナンスを必要とする。ひとりでも大丈夫だとチップやアンサーに伝えるために生み出したはずの武器であるミミックが原因で体調管理を怠ったとなれば、本末転倒だ。
 しかしこれは忍びが技を磨くのと同じようなものである、とは結論づけていた。異論は認めない。

「ご飯できましたよ~」

 が『ぷれじでんと』テントへ向かうと、チップはおらず、アンサーが忙しそうに通話の対応をしていた。

「もうお仕事中だった?」
「ああ、大丈夫ですよ。ちょっとした野暮用です。これが終わったら食事いただきますね」
「うん~」

 三人分の食事を作ることにすっかり慣れていた。ただ、チップは出掛けていることも多く、一食余ってしまう場合も多い。そんな時は近くの住民をつかまえて食事に誘う。の作る料理はちょっとした評判だった。
 だが今日は誰かを連れてくる必要もなさそうだった。が自分のテントに戻ると、チップがいた。食卓について、片手でミミックの相手をしながらを待っている。

「アンサーは来ねぇのか?」
「通話終わったら来るって~。先に食べてていいよ」
「んじゃそうするわ」

 いただきます、と両手を合わせて、チップは食事を始めた。
 ミミックも彼の食事が始まると、邪魔をしないようにと隅っこの指定席へと戻っていった。
 も遅れて食卓につく。

「そう言えばさ、どうしてここでご飯食べてくれるの?」
「お前の飯が美味えから」
「悪い気はまったくしないけど、でも、手間じゃない? だいじょぶ?」
「手間なのは三人分食事作るの方じゃねえか?」

 不思議そうにを見つめるチップに、そうじゃなくて……とが再び聞き返そうとした時。
 ちょうどアンサーがやって来た。

は、我々が気を遣っているのではないかと聞きたいんでしょう」

「おっ、お疲れさん」チップが片手を上げて言うと、指先で眼鏡をくいと戻しながらアンサーは溜息を吐いた。

「お疲れさんじゃねえですよ。ほぼアンタのせいですから」
「まあまあ飯でも食って落ち着けって」
「アンタが作った訳じゃないでしょうに」

 アンサーも食卓につくと、話が戻る。

「んとね、聞きたいことはそういうことなの。私、迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないも何も、お前はこの方が良いんだろ? ならそうするまでさ」

 チップの全て見透かした発言には面食らう。
 初めには、自分に出来ることのひとつに『料理』を挙げた。そしてチップとアンサーはその世話になろう、と言ってくれた。以来、のテントには三人用の食卓が置かれ、出来る限り一緒に食事を行うようになっていた。遠征しがちなチップも、通話に追われるアンサーも、融通をきかせてとの食事に参加してくれている。
 はそのおかげで寂しさを感じることなく日々を円満に過ごせているが、ふと、気になってしまったのだ。
 ――二人の面倒や迷惑になっていやしないか、と。
 一度抱いた憂いがずるずる胸中を巡り続け、その結果、は思い切ってふたりに尋ねてみたのである。
 そして、そんな憂いを杞憂だというように、チップは、にかっと歯を見せて笑っている。

「美味い飯が食える。楽しい食事ができる。悪くねぇ」
「私も同意見です。の料理には癒されますよ」

 アンサーも微笑んで頷いてみせた。
 そんな二人の反応を見て、は、真っ赤になった。

は、自分が身勝手な子だとばかり思ってた……。違うのね?」

 少し涙目である。よほど心配していたのだろう、とチップとアンサーは思った。
 二人が頷いて返すと、「よかったぁ」と安心したようには胸を撫で下ろす。その様は数百年を生き永らえてきた長命者ではなく、年端もいかぬ子どものようであった。
 常々チップらは思っていた。は、自身が語る年齢より随分と幼く、あどけないものだと。
 安心して朝食を食べ始めたところを、悪いと思いつつアンサーは尋ねた。

、あなたは年齢のわりに幼いところがありますよね」
「え? が?」
「そうです。そうやって自分のことを名前で呼ぶところとかも……」

 言いにくそうに指摘するアンサーに、はけらけらと笑った。

が自分をって呼ぶのはね、忘れないようにするためだよ!」
「忘れないように……?」
「うん」

 チップとアンサーと交互に見つめてから、は語る。

「私は私のことをいっぱい忘れちゃってる。それでもチップとアンサーは私を助けてくれて、一緒にご飯を食べてくれるぐらい良くしてくれる。そんなふたりに……正しくはアンサーにかもだけど、せっかくつけてもらった名前、忘れないようにしてるの。私は。記憶を取り戻しても、実は違う名前だったとしても、だって、そのことが消えないように、忘れないように、って自分で繰り返して刻み付けてるの。二人がくれる幸せな生活を、今の日常を、絶対ぜったい忘れないように。もう二度と記憶を無くさないように。……そういうことなの」

 茶碗に落としていた視線を上げて、が笑った。

「確かに子どもっぽいかもしれないけれど、って名前が気に入ってるからいいの!」

 アンサーは、自分なりに一生懸命考えて彼女に名前を与えたことを、今でも覚えている。名前を嬉しそうに享受した彼女が泣いていたことも。子どものようにはしゃいでいたことも。チップも同じだ。
 何だか感慨深くなり、アンサーはひっそり目頭を押さえた。
「飯冷めるぞ」というチップのお小言に「わかってます」と小さく返す。チップは既に食事を終えていた。

「ごちそうさま、。今日の飯も美味え」
「良かったよかった! お口に合って何よりでした」
「本当に美味しいですよ」
「うふふ、ありがとう!」

 基本的に外見通りの振る舞いが多いの、少し違う一面を垣間見た瞬間だった。
 テントの隅で、成り行きを見守っていたミミックが嬉しそうに身震いしていた。



 ミミックは疑似生命体である。自立式カバン型の、いわばホムンクルスに近い何かである。
 とてもふんわりとした呼称になってしまうのは、製作者のが「どうやって」このミミックを作り上げたのかがまったくもって謎だからだ。このふんわりとした疑似生命体を、チップとアンサーは同様に受け入れていた。
 この手足を持つ動くカバンは、ちょこまかと忙しなくのテントを駆けまわっていた。彼(?)にとって動くことは喜びに等しかった。主人であるはというと、眠っている。昨晩、遅くまで自分を直してくれたことが理由であることをミミックは理解している。

、ちょっと良いですか?」

 そう言ってテントにやって来たアンサーに気づくと、ミミックは素早く彼の元へと駆け寄った。
 右手の人差し指を立てて、しっ、という仕草をすると、アンサーも理解したように同じ仕草をした。「は眠っているんですね」察したアンサーにこくこくと頷くミミック。

「ミミックくん。の傍を離れたくないかもしれませんが、少し良いですか?」

 チップとアンサーはの大切な人。それだけでミミックが頷くには十分な理由だった。
 アンサーの後をついて、ミミックはのテントを出る。向かう先は『ぷれじでんと』と入り口に筆文字で書かれたテントだった。アンサーの主な仕事場でもあると記憶している。
 アンサーは書類の山を指して言った。

「これらの処理をお願いできますか」

 こくりと頷き、ミミックはがばりと口を開いた。書類を束ごとに取り、口の中へ放り込む。彼の中に存在するブラックホールの如き胃袋が、書類たちを瞬く間に紙片、更には塵へと化していく。ミミックの容量は果てしない。生まれてからこの方――まだ生を受けて新しいが――、カバンの中が満杯になったことは無かった。
 そしてミミックは、解体した書類から新たな知識を解析・蓄積していく。

「そうだ、この辞書も処理してみますか?」

 嬉々として頷き、ミミックは、その口の中に分厚い辞書が放り込まれたのを確認した。
 知識が増えるのは良いことだ。ミミックは思う。
 むしゃむしゃと音を立てて辞書を食べるミミックを、アンサーはぼんやり眺めていた。

「本当に不思議なカバンだ……。より既に賢いかもしれない」
「!」

 アンサーの呟きに、ミミックはぴたりと動きを止めた。
 飛び上がってアンサーの傍らからペンをひったくると、書類を裏返し、こう書き始めた。

『ご主人はもっと賢い』
「そうなんですか?」
『たとえば、ご主人はああ見えてバイリンガル』
「そうだったんですか!?」
『ただ法力の使い方が感覚的すぎるだけ』
「そうですね、それは同感です……」

 そうでしょう、そうでしょう、と言いたげにミミックは頷く。
 アンサーは、この感情豊かで情緒あふれるカバンに、疑似的なものではない生命の存在を感じつつあった。どこにあるか分からない耳でこちらの言葉を理解し、どこにあるか分からない目でこちらの行動を認識する。実に不思議で奇天烈で、しかし謎の愛嬌のあるカバンだ。
 ミミックと会話(?)しながら、アンサーはふむと考えた。

に法力通話を覚えさせたいですね、そろそろ」
『ご主人と通話する?』
「いえ、その……ミミックくんとが揃えば、私の仕事をいくらか手伝ってもらえるんじゃないかと思いまして」

 ミミックははしゃいだ。多忙なアンサーの手助けになりたい、ともよく口にしていた。まさかだけでなく自分にもその手助けができる可能性があるとは思わず、嬉しかったのだ。
 そこに、風と共にチップがやって来た。
「お頭!」恐らくまた何かやらかされたらしいアンサーのやや怒っているふうの口調。それをチップは意に介さず、ミミックに歩み寄ってきた。

「聞いてたぜ、ミミック。お前とで補佐官補佐になるかもしれないってな?」
『せめて末席補佐官はいかがでしょう』
「欲張るねぇ。そこはアンサーと相談しな」

 ミミックをちょんと小突いてチップは笑った。

「そういやの様子はどうだ? 寝不足っぽかったけどよ、ちゃんと寝てるのか?」
『今お休み中。昨日、自分を遅くまでメンテナンスしてくれていた。それと……』

 ミミックは新しい紙を手に取って書き記す。

『チップとアンサーのために、また献立を考えていた。とても楽しそうで止められなかった』

 ミミックは昨晩のことを思い出す。遅くまで、くたびれたミミックの整備をしてくれたのことを。その後、楽し気に献立を考えていたのことを。最近暑くなってきたからとか呟きながら、貯蔵カバンの中身を確認しつつ、うきうきで献立を書いていた後ろ姿を。ミミックが寝入っても、しばらく机の灯りが消えなかったことを。
 チップとアンサーは瞬きした。

「あいつ、マメに献立なんて考えてたのか」
『同じものが繰り返したらつまらないだろうと言っていた』
「お母さんですか、……」
『二人のことは「孫のようにかわいい」と言っている』
「母親どころかおばあちゃんかよ!」
『二人の好きなものをも把握しつつあるおばあさんです』

 チップは声を上げて笑った。

「はははは! いつの間にか胃袋掴まれちまってたわけだ、俺たちは」
「いつの間にも何も、一発で掴まれてたでしょう」
「ああ、そういやそうだったな」

 アンサーまで楽しそうに笑い始めるので、ミミックも何だか楽しくなってきた。
 笑う二人の周りを、ミミックはぐるぐる回りながら両手をあげて万歳を続けていた。

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