雨が降っている。テントに叩きつけられる水滴の音。静かとは言い難かったが、不思議と落ち着いた。雨音は何とかの調べ、という記憶を思い出しながら、はベッドから起き上がった。
――なんの調べだったっけ。まあ良いか。
雨が降っていると、やれることは限定される。外に出られないというのはにとって些かストレスだった。こういう時は貰った本でも読んでいようと、机に向かう。法力に関する参考書のようなものたちだ。
は未だに法力に疎い。感覚的に扱える時もあるが、ほとんど使えないに等しかった。
チップやアンサーが実践で教えてくれたり、一緒に参考書を読んでくれる場合もある。今日は二人とも朝から忙しそうだったと記憶しているので、は大人しく一人で座学すると決めた。
「おっと」
ころり、と机の上を一つの指輪が転がる。慌ててそれを受け止めると、手に取った。
鉄製の指輪だ。どうして鉄かというと、これをくれた人が鉄の扱いに長けていたからである。
レオ=ホワイトファング。
イリュリア連王国、第二連王。
チップに連れられてイリュリアを訪れた時に、運良く出会えた人物だ。
レオは戦いの際、鉄を扱っているのだとは聞いた。鉄のクロス――武器を実際に伸び縮みさせて見せられ、大いに驚いた。
「すごい! イカしてるー!」
「そうだろう、そうだろう」
「スーパーミラクルかっこいいー!」
「はっはっは、そんな本当のことを言われてもなぁ!」
そんなの反応を気に入ったのか、レオは王様という立場にありながら、の話を親身に聞いてくれ、「時間がある」と言って、鉄の扱い方を教えてくれた。その際にプレゼントされたのがこの指輪である。
法力を使うことでこの指輪の形を変化させる練習をするように、と。
は本を閉じ、指輪と向かい合った。手本は何度もレオが見せてくれた。あとは自分の力を信じるのみである。
「どんな形にしよっかな~。うーん……。レオが見せてくれたみたいにクロスにしよう」
小さな十字架をイメージして、法術を行使する。キンッと音がして、指輪に反応が現れた。うずうずとゆっくり指輪が形を変えていく。ずっと法力を注ぎながら見守っていると、辛うじて指輪は十字架へと形を変えた。中心にホールが残っているし、十字もかなり短く、変わった手裏剣と言われた方が通じるような形だったが。
それでもにとってこれは大きな進歩だった。興奮を抑えながら、今度は指輪の形へと戻す。ゆっくり十字部分が引っ込んでいき、ホールが広がり、元の指輪になった。
「やった!」
指輪を机に置き、両手をあげる。後はこれをもっとスムーズに短時間で行えるようになればいい。
――それが難しい……。
レオが鉄の扱いに長けていることを分かっていても、の法力は実に緩慢であった。繰り返し、繰り返し。掴みかけている法術の感覚を反芻する。繰り返しには意味があった。少しずつ指輪は変化するたびに十字架に形を近づけていく。まだ数十秒かかるが、形の丁寧さに関しては満足のいくものになりつつあった。
不意に腹がきゅうと鳴った。
そう言えばそろそろ昼食の頃合いだ。今日は手軽なもので済ませようと台所に向かう。チップとアンサーの分も一応作っておこう。
「お手軽と言えば、サンドイッチかな!」
貯蔵カバンから材料を適当に取り出すと、るんるんと鼻歌交じりに調理を開始する。そろそろ食パンを買い足しておかなくては、と思いながらは食パンの耳を切り落とした。切り落とした耳はこんがり揚げて砂糖をまぶしてしまう。少し貧乏くさいかもしれないが、は揚げたパンの耳が好きだった。今日のサンドイッチの具材はトマト、レタス、それから少し厚めに切ったハム。卵も入れようと思ったがそれよりも「早く食べちゃいたいしね」と本音を零した。
「ヴェノムさんのお店行きたいな~」
我ながら独り言が多いとは思っている。それもこれも気を紛らわすためだった。雨音はすっかり遠のき、テントから覗いた空はからりと晴れている。
いつものように二人を呼びに行くのではなく、サンドイッチを抱えて、二人のいるテントへと向かった。何だか今日は早く二人の顔が見たい。雨で少しナイーヴになっていたのかもしれない。
『ぷれじでんと』テントには、仕事が一段落したらしいアンサーと、考え事をしているふうのチップがいた。
「軽めだけど、お昼ご飯どお?」
「ああ、助かります」
「ちょうどいいタイミングだぜ」
テーブルの書類の山を掻き分けて、チップがスペースを作る。あれをほとんどアンサーが片付けているのだと思うと、彼の心労がつくづく心配だった。エナジードリンクを飲みながら寝る間も惜しんで仕事に励む姿を見ているから余計にだ。
「アンサー、ちゃんと寝てる?」
「今日は寝た方ですよ」
「何時間?」
「ええと……」
「言い淀む時点で足りてないんじゃないの? やっぱり何とか仕事分散させなくちゃ……」
「でも私がやるのが結局一番早いんですよね」
「そんなに急ぎの仕事ばかりなの!?」
「ははは、まあ、お頭がもう少し分別ついてりゃここまでじゃないんですが」
当のお頭はというと、のんびりグリーンティーを用意している。ちゃんと三人分。
チップが事務を投げっぱなしだとは聞いていたがここまでだと流石に黙って見ていられない。だがチップを説得して机に向かわせるのは恐らく無理に近い。チップはそういうことに向いていないのだ。だからと言ってチップが何もしていないわけでもないのはも知っている。
だったら方法はひとつ。
「私にもそろそろアンサーのお仕事手伝わせてよ。教われば出来るはずだから」
「良いんですか? 法力の勉強とかあるでしょう」
の指をさしてアンサーは言った。そこには、置いてくるのを忘れた鉄の指輪がはまっている。
「法力の勉強もするよ。けれど、アンサーの負担も減らしたい」
「良い子ですねぇは……。お頭に爪の垢煎じて飲ませてやりたい」
「良い子も何もの方が年上なんだし、そのぐらい当然でしょう?」
「そう言えばそうだった」
すっかり忘れていた様子のアンサー。
サンドイッチを広げながら、はアンサーに言う。
「私だって東チップ王国民のひとりなんだし、役に立ちたい!」
「おーおー、良いじゃねえか。その方が絶対アンサーも助かるだろ」
湯呑みを並べながらチップが笑って頷いた。
それを見ては少し憤慨した様子で訴える。
「チップもたまにはこう、書類に目を通すとかした方がいいの!」
「たまにだろ? やってるやってる」
「……じゃあ、しばしば」
「増やすなよ」
いただきます、とチップはサンドイッチを手に取った。
「確かに今のままじゃマズイとこもあるかもな。追々直してくぜ」
「誤魔化されてる気がするの」
「誤魔化してねーよ。一応、俺も大統領だ。考えることは考えてる」
その肝心の考えを口にすることなく、チップは食事を終えた。「ごちそーさん」との頭を撫でてくる。やはり誤魔化されている気がしてならないだった。
アンサーはもとより期待していないのか、腹をくくっているのか、何も言わない。ゆっくりサンドイッチとお茶を交互に口に運んでいる。
の睨みに些か居心地の悪さを感じたのか、チップは、彼女の手から鉄の指輪を取り上げた。
「そういや、コレの練習はどうだ? 上手く行ってるか?」
「ちょっとずつ進歩はしてると思う。けど、まだスムーズじゃない」
「そっか」
言いながらチップは法術を行使した。鉄の指輪が一瞬で小さな手裏剣へと姿を変える。は面食らった。
「ち、チップも鉄の錬成ができるの!?」
「レオほどじゃねえが、これも法力だからな」
「うう……すごい」
「まあ、試しにやってみろよ」
すぐに形を戻して、チップはに指輪を返した。
言われては、チップのように手裏剣へ形を変えることを目指して法術を使った。じわじわと十字に尖り始める指輪。そのスピードは実に緩やかだったが、最終的に、手裏剣と言って差し支えない形に変えることができた。
「ゆっくりだなァ……」
「これでもスピード上がった方なんですけど!」
「まあ、ほぼ独学で来た割には出来てる方か……。次、戻してみろよ。もうちょいスピード意識してな」
スピード、と呟きながらが法力を行使した瞬間、パチッと何かが弾けるような音がした。音と共に手裏剣は指輪へと形を戻しながら、何故か吹き飛び、アンサーへと向かっていく。
目を丸めたチップとが自然と彼の方を見た。
食事を終えたアンサーは微動だにせず、飛んできた指輪をぱしりと片手で受け止める。
「……いや、なんで飛ばしたんですか。危ないでしょう」
「と、飛ばすつもりはなくて……」
「スピードに意識を囚われすぎたんでしょうかね」
溜息を吐きながら、アンサーは指輪をに返した。
「ですが実際、良い感じに変形できたんじゃないですか? 私にぶっ飛んできたことを除けば」
「た、確かに!」
「やったな!」
ぽんとチップに背中を叩かれ、はうんうんと嬉しそうに頷く。
そこにアンサーが再び言い添えた。
「私にぶっ飛んできたことを除けばですけどね」
はまるでダメージを負ったかのように背中を丸める。
「うっ……」
「許してやれよ……」
「許すも何もまず怒ってませんよ」
どうやらアンサーはからかっていただけらしいと気づいて、はほっと胸を撫で下ろした。しかしアンサーを危ない目に遭わせたのは事実でもある。
ぺこりとは頭を下げた。
「ごめんね、アンサー。ぶつからなくて良かった」
「良いんですよ。自分に当てないよう気をつけてください」
「うん。ありがと」
「あの程度じゃ私には当たりませんから」
得意げに眼鏡をくいっと上げるアンサーを見て、は笑う。確かにアンサーだったら当たらない、という妙な安心感がある。何て言ったってビジネス忍者。ただの人間ではないのだから。
それを聞いて、チップは何を思ったのか、の手から指輪を再び回収した。え、とが瞬きしている間に、チップはほぼノーモーションで指輪を投げつける。……アンサーに向けて。
瞬時に気配を察したアンサーは「危ねぇええええ!」と叫びながら身をひねり、指輪を避ける。
指輪はそのままテントの壁にぶつかるかと思いきや、瞬間移動したチップの手によって受け止められた。
「まだまだだな、アンサー」
「お頭今かなり本気でやったでしょうが! 当たったら痛いなんてもんじゃありませんよ!」
「掴めよ」
「掴めるかァ!!」
一瞬のことでは理解するのが遅れた。戻ってきたチップに再度指輪を返され、ぽかんとする。
「チップやっぱりすごい……」
けらけら笑うチップと、怒るアンサー。
「……うん、仲良しで良いことなの」
二人を見つめながら、その微笑ましい関係性に顔を綻ばせるだった。
両手で握り締めた鉄の指輪は、穏やかに熱を持っていた。
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