――怖いゆめを見る。
 お父さんもお母さんも私の体がおかしいことに気づいて気味悪がっている。
 お兄ちゃんだけだ。お兄ちゃんだけが私の味方だ。
 お兄ちゃんは私の怪我を心配してくれる。体を心配してくれる。
 だけど、だけどね。
 その笑顔が、何だか、ちょっとおかしい気がするんだ。
 ――お兄ちゃんは、味方で良いんだよね?


、大丈夫ですか」

 体を揺さぶられて、はハッとした。目を開けると、心配そうにこちらを見つめるアンサーと目が合う。
 ――本当に私を心配してくれる目。
 は気が緩むのを感じた。アンサーは“違う”んだと知って安堵する。

「酷くうなされていたので、起こしましたが……まずかったですかね」
「ううん、ありがとう。助かったよ」
「なら良いんですが。いや、良くもないか」

 眼鏡を人差し指であげながら、アンサーは呟く。

「よほど夢見が悪かったんでしょう。汗だくだ」
「うん、ちょっと、昔のこと見てた」
「記憶が戻ったんですか?」
「……ちょっぴりだけ」

 汗を拭いながら、は笑う。いつものように、明るく、朗らかに。
 その笑顔に言及することを躊躇って、アンサーは何も言えない。

「今日もお仕事頑張るぞー! ねえねえ、お夕飯は何が良いかな? ちらし寿司? チップ喜ぶもんね! それとも肉じゃがにしようか? あ、お魚とってきて煮つけにしようか!」
「あとでお頭に聞いたらいいですよ」
「うん、そーする!」

 いつものように、明るく、朗らかに、笑っている。
 それでも行動までいつも通りにとはいかないようだった。
 書類の束を抱えてぼんやりし、アンサーに呼びかけられると慌てて動き出したり。
 魚を釣りに行った時は、いくら竿が引いても引っ張らずにいたり。
 料理はかろうじて失敗することなく振る舞われたが、しかし、どこかぼんやりとしていた。
 ぼーっとテーブルを見つめるに、チップが首を傾げる。

「どうした、? 調子悪いのか?」
「え? なんにもだよ! いつも通りのだよ!」

 いつもよりずっと少ない量の食事をとって、は「ごちそうさまでした」と手を合わせた。三人分の食器をまとめて運び、片づけを始める。
 勘の鋭いチップにそんな空元気が通用するはずもない。
 終始心配そうなアンサーに視線を向けると、チップは尋ねた。

、何かあったんだろ? 知ってるな?」
「夢見が悪かったと言っていました。尋常じゃないうなされ方だったので、まだ引きずっているのではないかと……。昔の夢だ、と話していたので、恐らく記憶に関わることでしょう」
「記憶ねぇ……」

 チップは何か思うところがあるようだった。またお得意の『勘』が働いたのだろうか。
 しかし詳しいことは何も言わず、

「アンサー。しばらくのこと見てやれよ」

 そう言って風に紛れて何処かへ行ってしまった。止める間もない。
 アンサーは仕方なく、チップに言われた通りにすることにした。
 片づけを終えたが戻って来る。

「チップは?」
「またどっか行きましたよ」
「そっか~」

 短い会話。いつもだったらそれで終わってなんら差し支えないのに、今朝方見たうなされるの姿を思い出して、アンサーはどことなく気まずくなった。

「……あの、
「なあに?」
「くれぐれも無理はしないでくださいね」

 当たり障りない言葉をセレクトしたつもりだったアンサーだが、向けられたはきょとんと目を丸めている。

「……どうして?」
「どうしてって、今日一日あなた様子がおかしいでしょう。まだ夢のことを引きずっているとしか……」

 そこまで続けて、アンサーは言葉を止めた。止めざるを得なかった。
 がほろほろと涙を零し始めていたのである。
 はっと我に返ったアンサーは、慌て始めた。何かまずいことを言っただろうか、触れてはいけなかっただろうか。普段花のように笑ってばかりの少女が見せる涙に、どうすればいいのか全く見当がつかなかった。今まで読んで記憶してきたどの文献にもこういう時の対処法など載っていない……。
 は涙を零し続けながら、いびつな笑みを浮かべた。

「アンサー、話してもいい? チップにも話せばいいのかなあと思ったんだけど」
「……それであなたが泣き止むのなら」
「ありがとう」

 涙を拭いながら、は話し始めた。

「家族の夢を見たの。は昔から、怪我も傷もすぐ治った。包丁で指を落としかけた時もくっつけって思ってくっつけてたら次の日にはくっついてた。ぼこぼこに殴られても次の日にはけろっとしてた。だからお父さんもお母さんも気味悪がって私を嫌ってた。叩かれることもあった。蹴られることも。よくあるようなお家だった。もうずいぶん昔のこと。よくあることだったの」
「そうです、ね」

 アンサーは何も言えなかった。自分も恵まれた環境で育ったとは言い難い。の「よくある」に同意だけはした。
 の涙は少しずつ止まり始めていた。

「でもね、お兄ちゃんだけは私の怪我を心配してくれた。私の体を心配してくれた。いつも笑ってくれてた。『おまえは特別なだけだよ』『お前は他の人とちょっと違うだけだよ』そう言って笑ってくれてた。私が鈍くさくて怒らせてしまっても、『ごめんな』って最後には謝ってくれた。お兄ちゃんだけは私の家族だった。家族……」

 急にの声は萎んでいってしまう。
「どうしたんですか?」アンサーが労わるような声音で尋ねると、は顔をくしゃくしゃにして答える。

「今日見た夢でね、お兄ちゃんが笑ってたんだ。が怒らせてしまっても、ずっと笑ってたんだ。その笑ってる顔がどうしてか怖く感じたの。何か、おかしいって感じたの。そうしたら不安でたまらなくて、わからなくなったの」

 は目を擦った。

「アンサーが起こしてくれた時、私を心配してくれる顔をしてた時、アンサーは“違う”って感じた。お兄ちゃんと違うって。本当の本当に心配してくれてるって、そう分かった時、じゃあお兄ちゃんは、お兄ちゃんの笑顔は何だったんだろうって思ったら……訳がわかんなくなっちゃって」

 折角止まり始めていた涙が、再び零れ始める。は何度も目を擦った。

「お兄ちゃんは私の味方じゃなかったのかなぁ……」

 は嗚咽を漏らしながら盛大に泣き出した。
 アンサーはただただ戸惑った。しかし、の方がもっと戸惑っているのだと自分に言い聞かせる。彼女はせっかく思い出した家族の記憶によって、数百年に渡る兄との行き違いに気づいてしまったのだ。それが何なのか、どういうことなのか。の話だけでは憶測すら立てられない。

(お頭だったら多分、分かるんでしょうけれど)

 勘の化け物であるチップが早々に退散したことを恨みつつ、アンサーは席を立った。
 ひっくひっくと泣きじゃくるの側で屈むと、ハンカチを取り出す。

「とりあえず、目を擦るのは止めなさい。腫れてしまいますよ」
「うぐっ、でもっ……」
「あまりに断片的で、あなたの傷つきを把握することも、お兄さんがあなたの味方だと断言することも出来ませんが……」

 強張ったの手にハンカチを握らせて、アンサーは言った。

「安心してください。私はあなたの味方ですよ」

 は唇を震わせて、ハンカチに顔を埋めた。
 背中を丸めて盛大に泣き出す少女の背中を、アンサーは優しくさする。ふらついて危なっかしいので、抱き締めて頭も撫でてやった。ゆるゆると身を預けてくる少女を、泣き止むまで辛抱強く支え続けた。
 ……テントの外、入り口側ではチップが立っていることも知らずに。

「そこは『私』じゃなく『私とお頭』だろーが……」

 退散したように見えて、チップはずっとアンサーとを見守っていたのである。
 しかし、落ち着くところに落ち着いたのを確認すると、今度は本当に何処かへと行ってしまった。

「ありがと、アンサー……」
「どういたしまして」

 泣き腫らしたの顔は美しいとは言い難かったが、憑き物が落ちたようにさっぱりとしていた。
 何も分からないままでも役に立ったようで良かった、とアンサーはほっと胸を撫で下ろす。

「ハンカチ、洗って返すね」
「いいですよ別に」
「洗って返す! じゃ、おやすみ!」

 そう言っていつもの調子に戻ったは、自分のテントへとそそくさと走って行ったのだった。
 アンサーもほっと息を吐き、立ち上がる。

「今夜は良い夢が見られると良いですね、

 そんなアンサーの呟きが届いたのか、翌日のはすっかり元気を取り戻していた。
 たとえ思い出した家族の記憶が辛いものであったとしても、には未来がある。長命者だとするならば、恐らくチップやアンサーより途方もない未来が。その未来が出来る限り彼女が笑って過ごせるもので満ちているようにと、アンサーは願わずにはいられなかった。
 そして途中で逃げた――実際は違うのだが――チップをほんの少し恨んだ。

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