「なあ。ちょっくら散歩しねぇか?」
夕食が終わり片付けも一段落したころ。チップがに提案してきた。
この後特にやることもないし、とは頷いた。
「うん。どこ行くの?」
が嬉々として尋ねると、にやりとしてチップは指を立てる。
「良いもん見に行くんだよ。アンサーも来るだろ」
「決定事項ですか……。まあ良いですけど」
眼鏡を上げながらアンサーが席を立つ。
チップがテントを出ると、とアンサーはその後に続いた。
いつものようにチップが走り出し、アンサーはを背負って追いかける。「今日はアンサーにおんぶされる日なのね」「すっかりおんぶにも慣れてしまいましたね」そんなやりとりをしながら。
チップが向かっていたのは川の近くだった。急に止まるものだから、アンサーも急ブレーキをかける。が振り落とされないようにしっかり押さえながらだ。ほっとが一息ついてから、アンサーはを下ろしてくれる。
「ほら見ろ、」
チップが指さした先には何もない。ただ川が流れているだけだ。は首を傾げる。「よく見てみろ」とチップに言われ、は目を凝らした。
……ふわり、と、小さな光が揺蕩っている。
よく見れば茂みの近くで、いくつもの光がほわほわと浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。
は歓声を上げる。
「ホタルだ……!」
「おう、ホタルだ!」
の反応を見て、チップは嬉しそうに頷いた。どうやら“良いもん”とはホタルのことだったらしい。
「お頭も随分とロマンチックなことを考えますね」
アンサーが苦笑すると、チップは瞬きした。
「ロマンも何も、ジャパンじゃ夏の風物詩だぜ? ジャパニーズのにゃ良い刺激になると思ったんだよ」
「左様で」
「おいおい、何だそのスカした返事は」
「お気に召しませんか? ジャパニーズスタイルの返答ですよ」
二人がささやかな諍いを繰り広げている間も、はホタルに夢中になっていた。
ふわふわ浮かぶ。きらきら光る。そよそよ風が吹いている。
ホタルの光を見ていると、は何だか懐かしい気分になった。頼りなげに輝く光を愛でるのはとても穏やかな心地になる。
いつの日だったかも、こんな風にホタルを見ていたような気がする――……いや、確かに見ていた。
気が遠くなるような旅のさなか、人目を忍んで歩いていた時。ふと、川辺に立ち寄った。すると、ちょうど時期だったのだろう、ホタルが舞っていた。彼らの寿命はもって二週間ほどだったと記憶している。自分の命を分け与えることができたら、なんて思いながら、はホタルを眺めていた。
――あの日はひとりだったけど、今はひとりじゃない。
まだ何か言い争っているチップとアンサーを振り返りながら、は笑った。
「ねぇ、なに仲良く話してるの? 仲間外れにしないでよ~」
の言葉に、真っ先にチップが反応する。
「オマエな、これのどこか仲良しに見えるんだ?」
「はちょっとばかし陽気すぎるきらいがありますね……」
アンサーも溜息を吐いていた。
しかしの空気を読まない介入のお陰で諍いはそのまま終了する。たまには空気を読まずに動くことも肝要だとは思った。あまり読まな過ぎると迷惑になるので、ほどほどにだが。
「まあまあ、ケンカしないでホタル見よう? 、誰かとホタル見るなんて本当に久々だよ! 何十年ぶりかわかんない! もしかしたら百年ぶりかも」
「はは、そりゃ喧嘩してる場合じゃねえな」
「せっかくのの憩いの時間に水を差しかねません。ゆっくり眺めるとしましょう」
チップとアンサーの優しさに笑みを深めつつ、はホタルたちへと視線を戻した。
――誰かと何かをするって、本当に幸せなこと。
二人は、を救ってくれてから当然のように一緒にいてくれる。暇さえあれば、時間さえ合えば、常に行動を共にしてくれる。気遣いではなく、二人がそうしたいからしているというだけであって、それがまた有難がった。誰かにとって、共に過ごしたい存在でいられることが嬉しかった。
拾った手前の責任みたいなもんだ、とチップは言うだろう。
危なっかしくて目が離せない、とアンサーは言うだろう。
それでも良かった。は誰かと時間を共有できる喜びでいっぱいだった。
しかし、そんなのどかな時間も急に終わりを告げる。
「……アンサー、を頼む」
「分かりました」
チップが急に真剣な顔つきで踵を返す。
が何か尋ねるより先に、アンサーがを引き寄せる。
風に紛れてチップの姿が消えた。
……一回、二回、三回、間を置いて四回、五回。チップの刃が月明かりで煌めいた。
チップが瞬間移動でアンサーたちのもとに戻ってくるのと、何かが倒れる音を聞いたのはほぼ同時だった。
は心臓をバクバクさせながら、アンサーを顧みた。
「ね、ねえ、何だったの、今の」
「夜盗か何かですね。恐らく狙いはでしょう」
「? 私?」
ええ、と頷き、を解放してからアンサーは言う。
「この辺の治安は完璧とは言えません。夜盗、人攫い、ギア……。少し王国を離れるとそういったものがうようよといます。の声を聞いて、良いカモがいるとでも思って寄って来たんでしょう。まあ、まさかお頭と私つきだとは相手も思わなかったらしい。運が悪かったですね」
まだ若干震えているの手をアンサーは握ってくれていた。
顔色一つ変えずに戻って来たチップを見上げながら、はぽつりと呟いた。
「チップ、強いね……」
「現存する人類のなかでは第二位の実力ですから」
「そうなの!?」
「ちなみに一位はツェップのガブリエル大統領です。は会ったことがありませんね」
「ほえー……」
今目の前にいるのは人類で二番目に強い男。そんなの、ほぼ最強に違いないではないか。そこら辺の賊が敵うはずもない。
はチップを畏れ、ひそかに尊敬の念を抱いた。
「運が良けりゃ生きてるだろ」
つまりは仕留めるつもりだったのだ、と思うと、の肝は冷えた。
頼もしくも危険な男の世話になっているのかもしれない。だが、少なくともにとって悪い人間ではない。
今はそれだけで良かった。
「守ってくれてありがとう!」
「民を守るのは大統領の務めだからな」
にかっと歯を見せて笑うチップはいつものチップだ。
には自分を狙ってきた夜盗を可哀相に思うほど深い情は無い。むしろ、チップやアンサーに手間をかけさせてしまった申し訳なさがあった。しかしそれを口にしたところで、二人は全く意に介さないだろう。
そういう二人が、は大好きなのである。
「じゃあ、戻るか」
「そうしましょう」
「うん!」
今度はチップに背負われて、はテントまで戻った。
テントに戻ると、川の近くと違って少し暑さがこもっているような気がした。何かないだろうか、と考えて、は「あっ!」と閃く。
「ねえねえチップ、アンサー」
各々のテントに戻ろうとしているところを、は呼び止める。
「良かったら夏の風物詩、食べてかない?」
チップとアンサーは顔を見合わせ、に向き直ると、仕方ないと言いたげな笑みで頷いた。
が用意したのはかき氷。一体どうやって用意したのかはチップ、アンサーには皆目見当がつかないが、ふわふわの氷を器一杯に盛って、は二人の前に並べた。「シロップが用意できなくってコレしかないのだけど」とは赤い苺のシロップを氷に回しかける。どうやらお手製らしい。苺の果肉がところどころに残っている。ジャムか何かのリメイクだろうか。
「練乳いる?」
「練乳?」
「あま~い牛乳のシロップみたいなやつ。コレ!」
どんっとがチューブ状のものをテーブルに置いた。それが練乳らしい。
アンサーは遠慮しておいたが、チップは嬉々として練乳を手に取った。かき氷の上にシロップの要領でぐるりと回しかけると、満足そうに頷く。
「良いねぇ良いねぇ! いただきますっと」
「いただきます」
は頬杖をついて二人の食べっぷりを眺めた。
二人ともやはり暑かったのだろう、かき氷を食べるスピードが早い。しかしあまり急いで食べ過ぎるのも良くはない、とが忠告しようとした時。
一歩遅かった。
「うおおお……」
「ぐぬぬぬ……」
氷で一気に口や喉の神経が冷やされた影響で、頭痛が起きたらしかった。
あまりにもタイミングが良かったので、は思わず腹を抱えて笑ってしまった。
「もう、二人とも急いで食べるからだよ!」
「だって氷だろ? チンタラしてたら溶けちまうじゃねえか」
「迂闊でした……」
頭を押さえながらチップが反論する。
アンサーは流石に頭痛のメカニズムをよく知っているらしい。しょぼくれた声で反省を口にしている。
は笑いながら口を開いた。
「あのね、おでこ冷やすとちょっと和らぐよ。器を当てて冷やしてあげて。あとゆっくり食べれば痛くならないよ」
「おう……」
言われた通り素直にかき氷の器を額に当てるチップを見て、はまた笑った。
結局アンサーも同じようにしたので、更に笑った。
この「かき氷を食べて頭が痛くなる」というのも、にとっては夏の風物詩だ。
二人がまんまと見せてくれるとは思わなかったが、嬉しくて、おかしくて、しばらくは笑ったきりだった。
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