はそれから、什造と共に街を歩いた。求人情報誌を購入したり、従業員を募集している店を探すに、什造が何故かついてきた為である。
「歩いてたらお腹もこなれてきたです~」
「ですね、什造さん」
はひっそり考え込む。
一人きりではないことは心強かったが、什造が自分に同行してくれる理由が判らなかった。訊ねたら訊ねたではぐらかされそうな気がする。それに、質問することによって什造の――恩人の気分を害してしまってはいけない。それだけは、あってはならないことだ。
(でも私、什造さんがついてきてくれることに甘えてるだけな気もする。それも良くないよね……)
自分への情けなさは、溜め息となって表れる。
什造は恐らく、自分より年下だろう。小柄な体格と中性的な顔立ちのせいもあって、まだ十代半ばに見える。若くして喰種捜査官となり社会に貢献している彼を、は心から尊敬した。
抱えた求人情報誌の重みが、を急かす。
早く再就職先を見つけなければならない。には頼れる者がいない。親戚は高齢だし、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。下手に自分の不運に巻き込んでしまいたくはない。
自立することは、彼女が自分に課した責務だった。
「チャン、23歳でしたっけ」
不意に、什造がを見上げながら問い掛けてきた。
ハッと我に返ったは、慌てて頷く。
「え? あ、はい……」
「僕よりオネーサンですねー」
ニコニコと笑いながら、指折り数えつつ、什造が呟く。
「僕が19ですからー、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。チャンは、4歳オネーサンです!」
「じゅ、19歳!? てっきり16歳くらいかと思ってました……。ごめんなさい」
「謝らなくって良いですよ、何にもチャン悪くないです」
笑みを絶やさずに什造はそう言い、再びに問う。
「そんなに僕、小さく見えますか?」
「あ、えっと、何て言いますか……その……」
は荷物を抱え直しながら、視線を泳がせた。明らかに什造の質問にどう答えるべきか悩んでいる。しかし本能的に彼女は、什造に“嘘”が通用しないことを察していたらしい。
「真っ白で綺麗だから、什造さんが若く見えたんだと思います」
故に、素直に感想を述べた。
答えを聞いた途端、什造の顔から笑みが消えた。ぽかんと口を開き、目を丸め、を見上げる。
は恥ずかしそうに、頬も耳も赤くして俯いた。「す、すみません」消え入りそうな謝罪の声。什造の凝視に困った挙句、が漏らしたものだった。
「……不思議なヒトですね、チャンは」
――良い人ぶった“あの目”じゃなく、ちゃんとそのままの目で僕を見る。本当に不思議なヒトです。
什造は、また笑った。
「ありがとーございますです」
「え? いえっ、此方こそ……」
戸惑ったままのを他所に、什造はひとりご機嫌だった。鼻唄混じり歩きながら、彼はを振り返る。
「就職先探しお付き合いするですから、バンバン行きましょ~」
「あ、はいっ!」
「レッツゴーですー!」
「ゴー、です!」
什造が右手を掲げて声高らかに宣言すると、も真似て拳を掲げる。左手で器用に情報誌を抱えながら。
――ノリも良いですね、チャン。
ますます什造の笑みは深くなったのだった。
◆◆◆
20区じゅうの求人情報を求めているうちに、すっかり日が落ちていた。
そして二人は、再びファミレスにやって来た。今度は夕食を摂るためである。勿論会計は持ち。「手伝っていただいたお礼です」と譲らなかったのだ。
什造も流石に“二度も世話になるのはいけないのでは”と財布を取り出したものの、空っぽの中身を確認するなり、の厚意に甘えることにした。
「――今日は本当に有難うございました」
食事とデザートを平らげ、ふぅと満足げに息を吐く什造に、は今日何度目か判らないお辞儀と共に礼を述べた。
「什造さんが一緒に来てくださったお陰で、何とか次の仕事見つかりそうです」
「僕、くっついてっただけで何もしてないですよ?」
什造が首を傾げると、「そんなことはありません」とは即答する。
「誰かが一緒にいてくれるって、それだけで心強いんです」
「……そーなんですか?」
「そうなんです」
会計を終え、什造を振り返ったの顔には笑み。心底嬉しそうなそれ。
什造も悪い気はしなかった。
のんびりファミレスで寛いでいた間にすっかり日が落ち、東京の街を夜闇が包み込んでいる。
「あ、月出てる」
空を見上げながら、呑気にが呟く。
什造も空を仰いだ。金色の月が雲の間から顔を覗かせ、控え目なその光を街へ落としていた。
「夜道に女の子ひとりは危ないですねぇ……。そーだ! 僕、お家まで送りますよお」
「えっ、いいんですか!?」
「はい~。ご飯とデザートのお礼も兼ねてです。行きましょー」
什造がの右手を掴む。溜まりに溜まった求人情報誌は、の左肩に提げられたトートバッグの中に全て収納されていた。
ゆるりとが、什造の手を握り返す。
「有難うございます、什造さん」
「此方こそお昼に夕飯に有難うですよ。お財布サミシイ感じだったので大助かりです」
二人は手を繋ぎながら歩いた。すっかりそれが当然かのような様子だ。は嬉しそうに笑いながら横道を指し「近道なんです」と入っていく。什造も共に続く。
「こっち通るとぐんと楽なんですよ」
「すごくヒッソリした横道ですねえ」
「でも本当に近くなりますよ。10分ぐらい変わるので、遅くなった時はよくこの道とか、前に什造さんに助けてもらった道とか使うんです」
「なるほど、詳しいですねチャン」
「何年もいると自然に覚えますよ。滅多に人に会わないのも気楽で――」
不意にの声は途切れた。歩みも止まり、つられて什造の足も止まる。
「チャン?」
「……いえ、何か私……もっと人通りある場所通るべきだったなって」
目を伏せながら、彼女は呟く。先程まで浮かんでいた笑顔は見る影もない。
「危機感無さすぎですよね。この間“喰種”に襲われたばかりなのに」
つい何時ものクセで。
そう言いながら泣きそうになるの顔を、什造は静かに見上げた。
「確かにチャン、他の人に比べたらおっとりさんです」
「什造さん……」
「けど。大丈夫ですよ、そうそう“喰種”に襲われることは無いです」
什造の視線がゆっくりと、から逸れて行く。
「……フツーなら、ですが」
呟く彼の視線は、道の先に向けられていた。
――いつの間にか、一人の男が立っていた。その男の背丈や顔立ちに、は何処と無く見覚えがあった。
「え、店長……?」
月明かりに照らされた顔は、間違いなくの勤めていた書店の店長だった。しかし剣呑な、何かに飢えたようなギラギラとした眼差しは、見慣れた店長の姿とは不釣り合いだ。
「……ずっと我慢してたんだよ、さん」
荒い呼吸を繰り返しながら、店長は声を漏らす。
「君の美味しそうなニオイ、たまらなくて、毎日毎日気が気じゃなかった」
「え、っ?」
「君が“喰種”に襲われたって聞いたときはビックリしたよ。でも君は無傷で、助かったんだって言うじゃないか。ラッキーだよ、良かったよ! こっちは“白鳩”に目をつけられないようにいっつも我慢して我慢して信頼しきってくれた奴をじっくり頂くためにさ、俺が工夫して頑張ってんのを横取りされちゃたまらない」
不気味につり上がった口の端から、涎を垂らしながら店長がを凝視している。
「しかも職場の奴等は“君を辞めさせろ”とかバカなこと言うんだよ。でもよく考えたら、これはラッキーだよね? 辞めた人間なら、もう本当に喰われても良いよね? しかも美味しそうなのがもうひとりいるんだもん。すごいよ。たまんないよ。もう良いよね? 良いよね? 良いだろ? 良いだろ? なあ、ああ、さん」
ぼたぼたと、涎がアスファルトに落ちる音がする。荒い吐息はまるで耳元で繰り返されているものかのように大きく響いていた。
「食べさせて、くださいよおおお!」
遂には店長の目が、真っ赤に染まる。
赫眼――間違いない。
「やっぱり“喰種”だったですね」
けらけらと什造は笑った。凍りつくを他所に、何処からか取り出したクインケ・サソリ――には小さなナイフにしか見えなかった――を手で弄びながら歩み出る。
「チャンについてって正解でした」
「え、什造さん、知ってて……?」
「何となくヤな予感したですよ」
を背に庇うように位置取りながら、什造が言う。
「チャンは“喰種”に好かれちゃうみたいですねえ」
「え、え、嘘……」
「店長さんは僕が何とかしますから、テキトーに支部に連絡お願いしますです」
戸惑いに足を縛られたままのにそう告げ、什造は嬉々として店長に突進していった。
店長も尾赫を生やし、什造に向けて突き出した。
什造は笑った。赫子をすれすれのところで体を捻って回避する。それと同時に赫子を足場に跳躍し、店長へ肉薄するとサソリを振るった。
店長の顔が無数の斬撃によって刻まれ、鮮血を散らす。
什造の離れ業に、店長は絶叫した。
「ギァァアア! こ、このクソガキィィ!!」
目をやられたのか、店長は闇雲に赫子を振り回した。ビルの壁、アスファルトの地面が抉れ、粉塵を起こす。狭い空間、夜闇で陰る視界が更に制限されてしまう。
「什造さん!」
は叫んだ。自分が間抜けなばかりに、什造を危険な目に遭わせてしまった。恩を仇で返すような真似をしてしまった――。
泣きそうになるへ、土煙の中から什造が呼びかける。
「大丈夫です~。寧ろこのぐらいのが、やりやすいですよお。だから連絡のほう、お願いしまあす!」
「は、はいっ!」
は震える手で携帯を取り出した。入院している間に教えてもらった〔CCG〕支部への電話番号をアドレス帳から探し、すぐに発信ボタンを押す。
「た、助けてください! いま“喰種”に襲われて――……!」
必死にが通報している間も、什造は笑いながら戦っていた。什造の連撃と身のこなしは、店長を圧倒した。
あんなに長かった赫子は賽子のように細切れにされ、アスファルトに散らばっている。店長の怒号は次第に命乞いへ変わり、命乞いは悲鳴に変わり、遂には喉笛を切り裂かれ、ひゅうひゅうと空気が漏れる音がするだけになった。
それでも什造は手を休めることなく“解体”を続けた。
の通報で篠原たちが駆けつけた頃には、店長はとうに絶命しており、ヒトの形を留めていなかった。
「什造さんに怪我が無くて良かった……」
場の空気に不釣り合いなほどおっとりしたの呟きに、什造だけは楽しげに笑って返した。
「チャンもご無事で何よりです」
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