什造の活躍により、は無傷であった。什造にも怪我はない。しかし“喰種”との戦いの最中、什造が幾らか浴びてしまった返り血を見て――什造の戦いかたでは無理もないことだが――、は我に返り、途端に顔を強張らせた。

「什造さん、血が……。私のせいでごめんなさい」
「でーすーかーらぁ、チャンは何も悪くないですよ」
「でも、ごめんなさい」

 ハンカチで什造の顔についた血を拭いながら、は謝罪を繰り返す。「困ったです」悄気た彼女を見て、什造が頬をかきながら小さな声でそう漏らしたものの、聞こえていないのだろう。
 二人のやりとりを見守っていた篠原が、そっとに声をかけた。

「何度も災難だったね」
「いえ、什造さんが守ってくれましたから……。本当に何とお礼を申し上げたら良いのか……」
「いやいや、これが喰種捜査官の仕事だから。無事で良かったよ」

 篠原が笑うと、も気丈に笑い返した。しかし眼鏡の向こうの瞳は涙で滲んで揺らぎ、今にも雫が溢れそうになっている。
 黙ってに顔を拭いてもらっていた什造が、ぽつりと呟いた。

「こんなにしょっちゅう喰種に会うとなると、チャン、お仕事探し大変ですねぇ」

 確かにその通りだった。

「……本当にどうしよう」

 答えるの声は暗い。
 こうも間を置かず“喰種”に襲われるとは、運が悪いとしか言い様がない。その度に助かっているのは不幸中の幸いだ。しかし、ここまで来ると彼女はこれからも“喰種”に襲われる可能性が高いと思われる。
 何故“喰種”がを狙うのか判らない。もしかしたら彼女は、何か“喰種”にとって特別に惹かれる何かを持っているのかもしれない。そういった事例が今までにも、ごく希だが存在した。
 たとえば篠原のパートナーである什造もまた、喰種に狙われやすかった。やはり“喰種”を惹き付ける何かがあるのだろう。什造の実力ならば生半可な“喰種”は返り討ちにあい、解体されるのが落ちだ。
 だがは単なる一般人。いつも什造が守ってやる訳にも、自力で撃退する訳にもいかなかった。非力な女性の身では、助けを求める間に殺されてしまう可能性の方が高い。
 かつて“喰種”に救われたことといい、は特殊だ。彼女自身、知らぬうちに“喰種”に狙われる理由を作っているのではと勘ぐってしまいそうなほどに。には何らかの対処をすべきかもしれない。このままでは再就職は愚か、日常生活を送ることすらままならない状態だろう。
“喰種”がに固執する理由は兎も角、彼女を保護――あるいは監視――する必要があるのではないか。だけをフラフラ歩かせては、いつか、他の人間を巻き込む危険もある。
 篠原は悩んだ。

「何か良い方法が無いもんかねぇ……」

 そんな上司の呟きを耳にした什造が、ニッと笑う。まるで、その“何か”に心当たりがあるかのように。
 笑みを浮かべたまま、什造がの手を掴んだ。ずっと什造についた返り血を拭うことに集中していたが、我に返り肩を震わせる。

「什造さん……?」
チャン、なるだけ早いうちに、アレ用意してください。ショーメーショ? じゃなくて、クツレキ、じゃなくて……」
「り、履歴書ですか?」
「そーです! それです!」

 什造が何度も頷いて答えた。
 しかしは訳が判らず、戸惑い顔のままだ。

「いーから用意してくださぁい」

 駄々をこねる子供のように、の手を離さずぶんぶん振って訴える什造。
 暫く思案していた篠原が、ようやく部下の思い付いたものが何かを察してハッとした。

「なるほどな。だけど本人の意志を確認しないことには……」
「ダイジョーブです。チャン結構度胸あるです。心配性過ぎなとこはありますけど、普通の人より“喰種”慣れしてます」
「いやいや大丈夫な要素が全く無いし、その話の流れだと実戦やらせようとしてないか?」
「だってそれが手っ取り早いです~」
「訓練も積んでない一般人がいきなり戦えるわけないでしょうよ、ジューゾー」
「じゃ~僕が教えますよ! 何とかなります~」

 当のを置いてけぼりに、什造と篠原の話は進む。流石にも戸惑い、「あのぅ……?」と話に割って入った。

「一体、どういうことなんでしょうか?」

 篠原と什造が顔を見合わせた後、同時にへと視線を移す。
 ニコニコ楽しげに笑う什造。やや苦笑ぎみの篠原。二人の眼差しの妙な暖かさが、の緊張をほんの少し和らげた。
 苦笑を浮かべたまま、篠原は彼女に言った。

「また今度、ウチに来てもらっていいかな」


◆◆◆


 あの夜から三日後、は履歴書を手に〔CCG〕20区支部へやって来た。きっちりとスーツを着込み、髪をひとつに束ね、その姿は面接に挑む就活生そのものだ。実際、似たようなものではある。
 篠原から「スーツを着て、履歴書持参で20区支部を訪ねるように」と連絡があったのだ。
 ――一体、何だろう。
 緊張に体を強張らせつつ、は一歩踏み出す。
 ドアを潜ってロビーに入るなり、「チャ~ン」とゆったりした呼び声が響いた。

「いらっしゃ~い、です」

 什造である。スリッパをぱたぱたと鳴らしながら、什造はの元まで駆け寄って来た。わざわざ出迎えてくれたようだ。
 まじまじとの姿を見つめ回した後、彼は腕を組み、楽しげに呟く。

「ピシッとしてますねぇ。大人のオネーサンですー」
「あ、有難うございます」
「ふふ~。さあさあチャン、こっちですよぉ~」

 すっかり癖になったのか、この方が早いからか、それともそうした方がが安心することを知っているのか。什造は、言うや否やの手を引いて歩き出した。
 その控えめな温もりはの緊張を解してくれた。だが同時に、くすぐったい淡い情が胸中を満たす。それは、ある意味緊張よりも厄介で、ずっと鼓動を早めていく。
 先導されるがままに、は、ひとつの部屋へと通された。大きめの窓から穏やかな日差しが注ぎ、心地いい。白を基調とした空間となっている。コの字で設置された長机と、揃いの椅子が数脚。どの椅子に座っても見える位置にホワイトボードが置いてあった。どうやら会議室らしい。
 しかも、てっきり面接官がズラッと並んでいるかと思いきや、部屋で待っていたのは篠原ただひとり。彼はやって来たたちを見て微笑んだ。

「いらっしゃい。まあ、掛けて」

 呆気に取られるに、篠原は笑って促した。

「ごめんね、他に部屋が空いてなくってさ」
「いえ、大丈夫です」

 椅子ごと自分の方を向いてくれた篠原に、も慌てて椅子を動かし向き直る。
 そして何故かの隣に、ガタガタと椅子を引っ張ってきた什造が腰を下ろす。背凭れのある方を正面にし、そこに組んだ腕を乗せ、体を預けながら、足をぶらぶらと揺らしている。

チャンから甘くていいニオイがします~」

 すんすんと鼻を鳴らしながら什造が呟く。
 その声には我に返り、慌てて鞄を開けた。彼女が一番に取り出したのは、什造が嗅ぎ付けたものの正体。ラッピングされたお菓子の袋だ。

「そ、そうでした。カップケーキ焼いてきたので良かったら……」
「ありがとーございまぁす!」

 が言い切るよりも早く、什造はカップケーキの袋を確保し、掲げる。
 篠原はやれやれと首を振った。

「ジューゾー、今から大切な面接をだな……」
「え~? だってほぼ決定だってハナシじゃないですかぁ」
「もうケーキ食べちゃってるし……。騒がしくて申し訳ないね、ちゃん」
「い、いえ」

 満足げにカップケーキを頬張る什造の姿に和みつつ、は改まる。

「あの……“ほぼ決定”というのは、どういうことなのでしょうか」

 の問いかけを受け、篠原も改まって口を開いた。

「実は、什造発案でちゃんをウチの支部で雇えないかという話になったんだ」
「な、なるほど。ですからスーツで履歴書をってお話だったんですね」
「そう。だけど、君の経歴やら何やら、既に上の方で確認してくれてて。やっぱり“喰種”に何回も襲われてることとか配慮してくれたんだろう。……私の判断で決めていい、と返ってきてさ」
「決める、というのは、やっぱり」

 何となく話の内容を察して浮き立つに、こくりと篠原が頷いた。

「君さえよければ、ここで働いてみないかい。ちゃん」

 は輝かんばかりの笑みを浮かべた。がばっと勢いよく立ち上がると、深々と頭を下げ、歓喜に満ちた声で答える。

「是非とも宜しくお願い致します!」
「お願いしまぁーす」

 何故か隣の什造まで篠原に答えている。
 篠原は笑いを堪えきれなくなったのか、ぷっと吹き出した。

「今更そんなに畏まることないよ。あと什造、何でお前まで頼んでるの」
「だってー、チャンを支部にって最初に思い付いたの僕ですモン」

 和やかな雰囲気のなか、が再び着席する。それから改めて篠原は、彼女に仕事についての説明を始めた。
 仕事内容は支部内の事務・雑務が中心だ。内容が“喰種”に関わるというだけで、採用の手続きも、仕事も、にとっては一般的なものと同じように感じた。普通の人ならばたとえ書類上とはいえ“喰種”に関わりたくもないかもしれないが、幾度となく“喰種”に襲われたにとって、それらは全く問題ではなかった。
 寧ろ再就職先が見つかったことが喜ばしかった。ここならばきっと、自分のことを気味悪がる人も少ないはずだ。後者は完全な希望的観測だったが、さして気にならない。

(何より、ここには什造さんがいる)

 は嬉しさに紅潮したままの顔で什造を見た。什造は黒くて大きな瞳でをしっかり見据え、にっこりと笑った。

「良かったですねえ、チャン」
「はい。有り難うございます」

 その後、什造から“再就職祝い”と称して駄菓子をプレゼントされ、は20区支部を後にしたのだった。
 新しい仕事、貰った駄菓子、什造と篠原の厚意。
 は今日起きた全ての出来事に感謝し、ひっそりと涙ぐんだ。
 私、まだ頑張れる。
 空では日が傾き始めていたが、まだ明るい。夜になる前に帰らなくては。
 慌てては、自宅――ちょっと年期の入ったマンションのワンルームだ――を目指して駆け出した。

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