が20区支部で働き始めてしばらく経った。
 捜査官補佐として、主に事務仕事を担当している。しかし什造が彼女を気に入っていること、もまた什造を慕っていることもあり、ほぼ什造の投げ出した書類仕事を片付ける日々であった。
 捜査官補佐というか、これでは鈴屋什造補佐ではないか――……!
 色々と心配になった篠原が一度確認したところ、彼女は、什造から頼まれた仕事以外もしっかりとこなしていた。その手際も良く、グロテスクな現場写真にも怯むこともなく書類を片付け、職場の先輩たちへの気配りも欠かさない。ちょっと強面だったり無愛想な相手にも臆することなく柔和な笑みで接していく。気が付くとデスクに菓子と飲み物が置かれ、『ああがまた置いてくれたんだな』と誰もが納得する。
“喰種”に襲われ続けたせいか、は、胆が据わっているようだ。
 差し入れの話を聞いて、篠原はひっそり懐かしさを覚えた。かつて“喰種”との戦いで亡くなった部下も、よく菓子を持ってきてくれたりしたものだ。と比べると、活発で明るい女性だった。
 ――もしアイツが生きてたら、気が合ったかもな。
 考えながら歩いていると、デスクで事務仕事に専念するの姿が目に入った。その活気みなぎる横顔から察するに、働けることが心底嬉しくてたまらないようだ。
 周りからの働きぶりを聞かされてはいても、やはり採用した者として、実際にその姿を確認しておかなくてはならない。そう思って来たのだが、篠原の心配は杞憂で、聞いていた評判に違いはなさそうだった。
 だが折角来たのだから声ぐらいは掛けようと、篠原はのデスクまで歩み寄る。

「おはよう、ちゃん」

 篠原の声に、はハッとして顔を上げ、慌てて椅子から立ち上がった。

「おっ、おはようございます! 少しお久しぶりです、篠原特等ッ……!」
「今まで通りでいいよ、ちゃん」

 ぎこちなく頭を下げたに、篠原が苦笑する。
 は〔CCG〕に就職して初めて、篠原が上位捜査官の中でもトップクラスの実力を持つ“特等捜査官”であることを知った。『不屈のシノハラ』と呼ばれる篠原の逸話は凄まじく、それらを知ったは驚きを越えて頭が真っ白になった。穏和で、部下の什造を優しく諭す父親のような姿が印象強かった為に、その衝撃は大きかった。
 ――そんな凄い方だもの、私を採用するかどうかあっさり決定できるよね……。
 はしみじみと思った。故に、今更ながら畏まるのも無理はない。寧ろ当然だと考えた。
 久々に会った恩人へ、精一杯は礼を述べる。

「私、今までボンヤリウッカリなんてものではなく、什造さんにウツツを抜かし過ぎて篠原さんにしょうもないご迷惑お掛けしていたのではないかと今更ですが焦りが酷くて……! 私が就職出来たのも、篠原さんの優しさとお心遣いのお陰で、もうどうしたらこのご恩を返せるのか……!」

 何度も頭を下げて語るの熱の入りように、篠原はおかしそうに笑って返す。

「いやいや、本当に大丈夫だから。それにここにいるからには“喰種”と戦う仲間同士だ。といってもちゃんは捜査官補佐だから、前線に出ることはないけど」
「篠原さんたちのご武運をお祈りしながら、精一杯、今後も励んで参りますっ」
「ありがとう。……もうちょっと肩の力は抜いていいからな」
「お気遣い感謝です、篠原さん……!」

 あと一歩感極まれば泣き出すのでは。そんな笑みの後、がまた頭を下げる。
 ちょっと“喰種”に狙われやすいことを除けば、は少し……いや、かなりおっとりしてはいるが、只の女の子だった。

「そう言えば私、什造さんから護身術を習おうと思って先日色々と聞いたんですが、なかなか難しいものですね。筋肉のバネが足りなくて悔しいです」

 何かいいトレーニング方法はないでしょうか、とは真剣に悩み、腕を組む。
 まず普通だったら什造から護身術を学ぶと言う発想が出ないはずなのだが……。相談を受ける篠原の方が悩みたくなる。

「よく“惜しい、ちゃんはタフだからあとちょっとです”と言ってもらえるんですけど……」
「什造の“あとちょっと”の基準も判断しかねるけど……まずは堅実に筋トレとかからが良いんじゃないか?」
「やっぱりそうですよね……。いきなりなんて、やれませんよね」

 篠原に相談したことで、は悩みに一区切りつけることが出来たようだ。「腹筋背筋と、ランニングとスクワット頑張ります」顔を綻ばせ、決意を新たにする彼女へ、今度は篠原が訊ねた。

「護身術って、もしかしなくとも“喰種”対策かい?」
「はい。捜査官とまではいかずとも、ある程度身を守る術は身に付けたくて」

 更に訊けば、独学ながら“喰種”についての勉強もしていると言う。菓子のお返しにと簡単ながら講義してくれる捜査官もいる為、着々と知識が身に付いているようだ。試しに篠原が幾つか問題を出してみると、は全てにしっかり答えてみせた。

「熱心だなぁ」
「そんなことないです。今更ながら、アカデミーに行っていたら良かったと後悔するばかりです……」

 からだ作りも勉強もスタートが遅くて、と苦笑したを元気付けるように、篠原は彼女の肩を叩く。

「遅いなんてことは無いよ。まだ若いんだから全然いけるって」
「不屈のシノハラさん直々の激励だなんて、とってもみなぎりますよ……!」
「そりゃあ良かった」

 の気合い十分な姿は、篠原の顔を綻ばせた。
 そこに、緊張感のないペタペタという足音が近付いてくる。篠原にもにも馴染み深いそれは、間違えようもない、什造のものだ。

「おぉ~、チャンに篠原サンがついてますー」

 えへへと頬を緩ませきった什造の登場に、も同じぐらい頬を緩ませていた。すっかり恋する乙女の表情である。

「おはようございます、什造さん」
「オハヨーですー。今日もふわふわいいニオイですねぇ」
「今日はクッキーです」
「わぁ! いっぱいです!」

 がカバンから取り出したクッキーの包みを、什造ははしゃぎながら確保する。続けてが「頼まれていた書類も出来ました」と手渡せば、什造はクッキーに意識をとられながらも「アリガトです」と受け取り、すぐ脇に挟んだ。クッキーを食べるために片手はどうしても開けておきたいらしい。
 篠原は、ひとまず二人のやり取りを見守ることにした。

「そうだチャン。こないだの技どーでした?」
「まだまだです……。盛大にアバラ打ち付けちゃいました。でも前よりは形になってると思います!」
「本当にチャンはタフですねー、エライエライです」

 自分より僅かに背の高いの頭を、什造はぽんぽんと軽く叩くように撫でる。そしては、什造にすっかり骨抜きにされていた。彼女に尻尾がついていたら、きっと千切れんばかりに振っているだろう。
 什造がに戦い方を教えているのは事実のようだ。ああでもない、こうでもない、などと二人は訓練を振り返りながら語り合っている。
 人並み外れた什造の動きや戦い方がに身に付けられるものか疑問ではあるが、参考にはなるかもしれない。恐らくもそのぐらいの心構えで、什造に教えを乞うているはず……だと、思われる。

(いやちゃんのことだし、本気で什造みたいにやるつもりかもしれない)

 もし本当に彼女が什造のように戦えるようになったとしたら、本格的に捜査官を目指すだろう。どんな選択をするかは、当人の自由だ。
 ――だが、あまりにも無謀すぎる。
 什造のスキルを覚えようとするのも、捜査官を志すのも、にはあまり向いていないと篠原は思った。
“喰種”に家族を奪われた者が喰種捜査官を目指すことは珍しくない。も“喰種”に父親を奪われた被害者である。しかしその割に、はあまり“喰種”への憎しみを抱いていないようだった。
 憎しみに囚われて刃が鈍るよりは良いのだろうか? しかし“喰種”を敵だと認識して立ち向かう意志が希薄過ぎては話にならない。
 は、何を思っているのだろう。
 は、どうしたいのだろう――?


「什造、ちゃんは捜査官になりたいのかね」

 と別れ、捜査に向かう道中、篠原は訊ねた。
 訊ねられた什造は、んー、と唸り声を上げる。こめかみに人差し指をグリグリ押しあてながら、

「よくわかんないです」

 と、溢した。
 更に什造は続ける。

チャンのこと、いつもニコニコしててお菓子をくれるから大好きですけど……何か、ぐるぐる考えてるみたいです。多分ソレが片付かなきゃ、捜査官なるならないまでいけないですよ」

 篠原は瞬きした。
 什造はをよく観察しているようだ。そして深い興味と関心を抱いている。
 ――やっぱり似てるからか?
 を思い、どことなく心配そうに眉尻を下げる什造の姿に、篠原の顔は自然と笑んでいた。

「ま、その調子でちゃんの力になってやれ」
「はーい」
「あとたまには自分で書類を処理しなさい」
「えぇー…………。今度じゃあチャンに教わるです……」
「私が散々教えたはずなんだがジューゾーくんよ」
「とっくの昔にぽろんと抜けましたぁ」

 悪びれた様子もなく笑うパートナーに、篠原は溜め息を溢したのだった。

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