最近物騒になってきたなあ、とはぼんやり天井を見上げていた。
11区での“喰種”の動きが活発化しており、捜査官にも多数の殉職者が出ているという。どうにも“喰種”らはチームを作っているらしい。ですら知っている現状を周囲が知らぬはずもなかった。
そして当然、問題の11区の喰種集団討伐の為の対策班が組まれたのである。
「チャン、僕、今度の11区の作戦のメンバーに選ばれたんですよぉ」
「えっ!?」
にこやかな笑顔と共に什造が告げた言葉は、そんな彼女の動揺を大いに誘うこととなった。
今日は珍しく什造が外回りすることなく支部にいたため、事務仕事――書類の処理や見方諸々を、彼女が什造に丁寧に教えていた。先日の秘密特訓時の負傷もほぼ完治したとは言え、什造の作戦参加決定というのはの心には相当堪える発言だ。治った筈の傷が痛む思いがして、つい胸を擦りながら、は苦笑する。
「よ、良かったですね、と言うべきなんでしょうか……」
「僕、早く新しいクインケ欲しいですから、とっても楽しみです。良い子にしてればきっと素敵なクインケもらえるですよね」
「什造さんはいつも仕事熱心で良い子じゃないですか。多分、今サソリさんだけなのは、什造さんに似合うクインケが見つからないからですよ。良いクインケの材料が見つかるように祈ってます」
無邪気に喜ぶ什造へ水を差さないよう、は必死に笑顔を繕う。
正直、あまりに危険な作戦への参加を引き留めたくあった。しかし彼は“喰種”の解体を純粋に楽しんでいたし、常人外れの駆逐能力は大いに頼られていることだろう。何より什造がもう決めたのであれば、自分はその背を押すのみ。
ペンを指先でくるくる回しながら、什造は鼻歌まじりに呟く。
「チャンも良い子にして待っててくださいねぇ。僕頑張ってきますから」
――作戦を終えた彼を、お気に入りのお菓子や食事で迎える。それが慕ってやまない什造へ対してが出来る最大限の礼儀。役目だった。
はい、と何とか満面の笑みを引っ張り出してきて彼女は頷く。心配も不安も押し込めて蓋をする。不思議なことに、作戦へ挑む什造の姿をただこうして見ているしかないというのは、今まで何度か遭った“喰種”の襲撃よりおぞましく、恐ろしく、体の芯が冷えた。
自分の命が尽きるより、什造の指先の怪我の方がずっと怖かった。栄養が足りない、骨にひびが入っていると医者に叱責された時より、什造に何かあったらと想像する時の方がずっと心細かった。
如何せん、境遇が境遇であったから、そういう性分になっていた。
依存とも違う。愛情とも違う。このいびつな感情は、何と表現すれば正確なのだろうか――。
「チャン、ちゃん。ここわかんないです」
「あ、はい、もう一度説明しますね」
まるで11区の作戦を、今日の天気について語るかのようにさらっと済ませた什造は、一生懸命書類と睨み合いっこしていた。教えを乞われ、も応じる。
「クインケいじってお肉屋さんゴッコした方がずっと楽しいです~」
「書類についてもこなさないと出世してから面倒だ、って篠原さんが言ってましたよ。あとちょっと頑張りましょう」
「ふぁーい……」
半分眠りかけている什造の顔を見て、は不謹慎ながら思った。
何時までもこんな風に穏やかな時間を過ごせたらいいのに、と。
しかしと什造が行動を共に出来るのは珍しいことであり、本来であればこうして仕事を教えたり直々の特訓を受けたりする方が有り得ない。これは全て什造の気紛れであり、その気紛れを善意と受け取り舞い上がる、二人だからこそなせる状況であった。
だがは幾らか現実的だ。自身は圧倒的に戦力が足らず、什造のいる“場所”へ立つことすらままならないと痛感している。だからこそ周囲にはより厳密に、什造との特訓を続けていた。あの夜に“喰種”の腱を断った感覚は生々しく残っている。入院中からずっとそれは続く。悪夢というよりは、努力が実を結んだという喜びとして。
幸いにもこの体は随分丈夫らしく、怪我の治りも早く、痛みもそれほど感じずに済んでいる。この感覚を慣らしていけばいつか、什造の手伝いぐらいは出来そうだ。
「ほわぁ、やっと終わりましたー……」
書類を見事片付けた什造は、椅子の背もたれに脱力しきった背中を預けて溜息を吐いた。
そこに「お疲れさまでした」とが前もって購入しておいたプリンを持ってくると、彼の背筋は瞬く間にピンと伸びる。ほぼ反射だ。
「おぉ、プリンだプリン~! むいてください、チャン。疲れて僕おててが動かないですー」
「もう、仕方ないですねぇ……」
こうやってプリンの蓋を剥がすのも、口を開けて待つ彼にプリンを食べさせるのも、何時か自分以外の誰かがやってくれるのではないかとは思う。什造に関しての局内の意見は極端な賛否両論。彼の残虐性や生い立ち、倫理観の欠如を懸念するもの、純粋に功績を称えるもの、様々だ。内容はともかく什造はそれだけ注目される存在であり、注目を浴び続ければ当然、以上に優秀で淀みなく什造にお菓子を供給できる人物も現れることだろう。
以前什造と何かあったらしい滝澤という捜査官が「おい、あまり什造を甘やかすなよ!」と声を掛けてくれたことがあったが、苦笑いで誤魔化すしかなかった。きっと自分には什造へのこの接し方を改めることなど出来ないし、何時か自分を上回る過保護者が現れる可能性を思うと、自分が何をしたところで無駄に思えたのだ。
でも、だからと言って什造へ尽くすことは止めないし、行為を蔑ろにしたくはない。
は、微笑む。
「什造さん。今度の作戦の日取りが決まったら教えてくださいね。帰ってきたら什造さんが食べたいものすぐ作れるようにしたいのです」
答える什造も、また笑みを深めた。
「こんど紙に書いてくるです、食べたいものリスト」
……後日什造が持ってきた『食べたいものリスト』を見たは、同時に作戦決行日についても聞かされ、我に返ったように自宅の壁掛けカレンダーを確認した。
もう12月なのだ。どうりで冷える訳だし、街のイルミネーションも派手になっていた訳だ。
「あのキラキラは、クリスマスに向けてだったわけかぁ……」
作戦決行日は19日。真冬、夜中の作戦になるという。寒さも敵の強さも、考え出せばキリがないほど心配事が出てくるような大きな討伐作戦である。〔CCG〕も“喰種”も互いを殺す気でかかる。接触が始まれば、怪我では済まない。
カレンダーの19日の欄に、赤いマジックで「作戦日」と書き込んだ。ついでに大きく丸で囲っておく。
願掛けのように両手を合わせて目を閉じて、お願いします、と何処かの誰かへ祈りを飛ばした。
街の外では、19日の作戦へ向けて静かに喰種捜査官が動きつつあることなどお構いなしに、イルミネーションが瞬いていた。そしてその光の影で、捜査官たちが追う“喰種”もまた暗躍する。のように訓練して逃げ方を覚えた人間の方が珍しいから、恐らく彼らの餌になっている人が今も何処かで助けを乞うているのだろう。平穏な日常の一部に在る自分の安全さを、は顔も知らぬ被害者の姿を想像することで実感した。安全ではあるが、全く安心は出来なかった。被害者の顔は判らなくても、被害に遭った人間がどんな形になるのかは嫌というほど知っている。
だから、全く気は晴れなかったし、それどころか沈んでいった。
気分を切り替えようと、は什造から託された『食べたいものリスト』を片手に立ち上がる。蓄えたレシピ本たちを引っ張り出して、什造の希望に応えられるように準備しなくてはならない。
「什造さんの良いクインケ材料、出てくるといいなあ」
什造の名前を呟くだけで、不思議と胸が軽くなった。
は自分の単純さに感謝しつつ、一冊目の本を開いたのだった。
◆◆◆
の様々な心配は杞憂に終わり、什造はほぼ無傷で帰ってきた。クインケの良い“材料”も見つかったということで――レートもSSと非常に高い“喰種”、13区のジェイソンの死体を引っ張ってきた――大層ご機嫌だった。
だが、のもう一人の恩人、篠原がSSSレートの“喰種”と交戦し、入院となった。命に別状ないとは言え、慌てて彼女は篠原の入院先を訊いた。すぐさま見舞いに行きたかったが、色々あり、年末の仕事を片付けて時間にゆとりが出来てから、は什造と共に篠原の病室を訪れた。
「篠原さん、こんにちは」
「こんにちはです~」
「おお、二人ともわざわざ来てくれたのか」
篠原は什造たちを見るなり体を起こそうとして、うっと顔を顰めた。
は慌てて彼に駆け寄り、「起きちゃだめですよ」と必死に訴える。
「怪我まだ治ってないんですから、無理しちゃだめです……ゆっくり横になっていてください」
「悪いね……。でもまさか什造とちゃんが揃って来るとは思わなくてさ。いや、よく考えたら当然っちゃ当然な感じでもあるんだけれど」
「僕も篠原さんのことこれでも心配してるんですよ~。ん、うまし」
「そのゼリー、もしかして俺の見舞い用なんじゃないのか……ジューゾー……」
「一個くらい見逃してくださいです」
はまたあたふたと什造の元へ戻ると、彼が抱えていた箱をそっと受け取り、また篠原の元へ駆け寄ってきた。
「もうお食事も摂れるとのことで、ゼリーを持ってきました……。常温でも持ちますし、食べる時に冷やせばいい感じになるので……。私の経験では病院って結構乾燥するイメージなので、ちょっとでも潤うかと」
「助かるよ。実際にそうだからね。有難う、ちゃん。什造もな」
「どういたしまして」
「はぁい」
それにしても、と篠原は気になった。
「俺の入院やら体調やら、誰に聞いたんだ? 亜門あたりか?」
入院の話はともかく、体調に合わせた見舞いの品から訪れるタイミングまで何もかも丁度良かった。一段落して落ち着けるようになった頃を狙っていたかのように的確な訪問だ。気を回し過ぎるきらいのあるなら当然なのかもしれないが、何となくそれだけではなく思った。
篠原の察した通り、は自身の判断だけで訪れた訳ではなかったようだ。「いいえ」と首を振ってから、彼女は答える。
「有馬さんと平子さんです」
「……知らない間に随分人脈広がったね、ちゃんよ……」
「私自身、驚いてます」
とてもそうとは思えない笑顔のまま、はゼリーを抱えて笑っていた。
そういえば彼女の極端に色素の薄い髪と眼鏡姿は有馬と被っているな、と思った。彼女と什造は今でも秘密特訓を続けているようだし、もしかするともいずれは――……。そう考えかけて止める。
何となく、彼女は、戦うための最後の一歩が踏み込めなさそうだ。
以前什造が話していた彼女の印象について話してくれた。『何か、ぐるぐる考えてるみたいです。多分ソレが片付かなきゃ、捜査官なるならないまでいけないですよ』と。
恐らくの当たり障りない、距離感をある程度保ったままの笑顔から察するに、今は無理だと感じた。自身それに気付いているのかもしれない。それでも什造の助けになりたい、とちぐはぐな訓練を繰り返しているのは、彼女なりにぐるぐと考えているものを処理しようともがいているからなのか。
まだ傷の痛みが厳しい体では、思考に使える余力が少ない。篠原はそれ以上想像を巡らせるのを止めた。
傍らでは、一個だけと言っていたはずが二個目のゼリーに手を付けようとする什造と、それを必死に止めるの奇妙な攻防が繰り広げられている。何だかあまりに平和的過ぎて、おかしかった。
篠原はくっと笑みを溢しながら、二人を窘めた。
「お前らな、こちとら怪我に響くんだからあまり笑わせるようなことするんじゃない」
「すみませぇん」
「ご、ごめんなさい」
素直に謝る二人を見ていると、まるで子供が二人増えたかのような気分がする。
そっと篠原が笑みを深めたのに、什造とが気付くことは無かった。
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