「う~ん、什造さぁん、抱っこ~……」
「はいはぁい」
珍しく落ち込んだ様子のの姿に篠原が驚く間もなく二人はくっついた。
というか、が什造を抱きしめた。抱きしめた什造の髪に頬を寄せて、大好きな人の存在を五感全てで感じ取りながら、次第に表情を和らげていく。什造は先ほどに与えられたプリンをもぐもぐ咀嚼しながら、彼女のしたいように擦り寄らせている。
篠原は思わず呟いた。
「……抱っこって、そうなるのか」
「んむ? 何かおかしーですか?」
「いや、まあ、お前たちらしいなと思って」
命を救われた人間と救った人間。ふたりは一気にそれ以上の関係へと迫っているように見えた。
揃って見舞いに来た時もそうだが、この状態はどう言えばいいのだろう。
男女のそれと呼ぶには何かがすれ違っており、だからといって浅いものでもなく、とても危うい綱渡りをしているような、危なっかしくも親しい間柄。
抱っこ、と言われてすんなり抱き締められる什造の姿と、そんなことをあっさりさも当然のようにやってのけるの姿を、少なくとも篠原は微笑ましく思っている。
……ただ、時と場所を選んでほしい。
ここは職場で、上司の目の前で、何から何まで公の場であるということを。会議室という区切られた空間とはいえ、二人とももう少し色々と考えてほしかった。
「はいるか?」
この空気を破って参入したのは涼しげな女性の声。ドアを開ければ目前には什造を抱きしめるとされるがままの什造、何とも言えない笑みを浮かべた篠原。しかし幸いにもこの女性――真戸暁はそんなことを気にする人間ではなかった。
「……失礼しました、篠原特等もご一緒でしたか」
「いやいや、むしろ助かった。ひとりでコレを見守るのはもぞもぞしくってね」
何かをブツブツ呟きながら什造に頬ずりし続けるを一瞥し、暁は頷く。「確かにこれは対処に悩みますね」言いながらも彼女は真っ直ぐたちの方へ歩いていくと、
「覚醒しろ」
「ひえっ!」
の首に右手を回した。首をさわりと撫ぜられては悲鳴を上げた。什造はプリンを完食した。
わたわたと什造から離れたは、ようやっと暁の存在に気付く。触れられた首筋にまだ感覚が残っているのか、必死に両手で自分の首をこすっている。
「わわ、私の弱点を問答無用でさわさわするのは止めてとあれほど……アキラちゃあん!」
「仲睦まじいのは大変よろしいが場と状況を弁えるべきだ」
「あ、ごめんなさい……。つい……」
あたふたと首から手を放し、肩を縮めては頭を下げる。
を諭す暁の姿は、まるで母親のそれだ。の微妙な常識のズレが、彼女を子供っぽく思わせるからだろうか。そして、その若さからは想像もつかない知識と経験を積んでいる暁の明晰さを目の当たりにしているからだろうか。
見た目と実年齢だけで判断すれば間違いなくの方が年上なのだが、実に不思議だ。
「お前が落ち込むたびに抱き着かれる鈴屋二等の身になってみろ」
「僕は気にしてないですよ~。ほんのりぬるくて丁度いいですから」
「……それは失礼した」
暁が苦笑すると、いいえ、と什造は微笑み次のお菓子へと手を付ける。なぜか椅子ではなくテーブルに座りながら。篠原が注意するも、「今は椅子の気分じゃないです」と意味不明な返答によって流されてしまった。
肝心のと暁は、何やらファイルを見ながら話し始めている。
「先日話した件だが、3番であれば可能だ。お前の昇進まで私がキープしておこう」
「え、本当に? 有難う!! すごぐ励みになる……」
女性同士の約束事だろうか。篠原たちを気にしないあたり、聞かれても困る内容ではないらしい。
暁の持ち込んだ話題は、しょぼくれていたへ瞬く間に活気を取り戻させた。
両手を握りしめて感謝を述べるに、暁は大袈裟だという風に肩をすくめて笑う。
「気にするな。これでも同年代の友人とそれらしいことがしたいのさ」
「私も友達いないからとっても嬉しい」
「私“も”?」
「わ、私は!」
「……も、で構わないぞ」
「今のはそんな感じじゃなかったよ!? 冗談が冗談に聞こえないんですから、アキラちゃんは……」
敬語を崩すことに慣れていないのか、の口調はたどたどしくもあったが、暁のしっかり者ぶりと合わせれば丁度いい……のだと思う。
「二人ともいつの間にやら仲良しだな」
「と話すと、色々な意味で面白いので」
「なるほど」
「え、ど、どういうことですか、アキラちゃん? 篠原さん?」
理由不明の落胆からすっかり復活したは、意味ありげに笑うばかりの友人と上司に戸惑い続けていた。となると、彼女が頼ってしまうのはテーブルの上の什造となる。
が持ってきた菓子の大半を瞬く間に平らげた彼と視線がぶつかる。それだけで什造は、全て見抜いたように目を細めた。この眼差しがぞっとするほど美しく艶やかで、は、この感覚を味わうためだけに什造を仰ぐことがある。誰にも言えない細やかな羞恥を秘めた癖。自他共に認める頼りなさを利用している小さな狡賢さも恐らく見抜かれているだろうと思うと、ますますたまらなかった。
――ああ、私って結構はしたない。
手から菓子のカスを叩き落とし、ひょいっと床に降りた什造がに歩み寄る。
「チャンはすぐ困っちゃいますねぇ、でも大丈夫ですよ~。みんなチャンのこと好きなだけですから」
「そ、そうですか」
「そうですよぉ。皆ヒマじゃないのに嫌いなヤツのためにいろいろ割いたりしないです」
「ほんとですか」子供に還ったような調子で呟く。彼女の極端なまでの自信の無さからくる確認に、什造は大きく頷いて返した。反論の隙を与えまいと、彼女の頭を撫でてその顔を真っ赤にさせてやった。
「あはは、トマトみたいです」
「確かに見事な赤面だ」
什造とのコミュニケーションに、暁も笑い声をあげる。
「はとても分かりやすくていいな。羞恥心と自信が足らないところも面白い」
暁の正直で素直な言葉はの心にずしりと来た。そして、忘れかけていた恥じらいというものが蘇ってきて、顔の赤さは嬉しさではなく恥ずかしさからくるものへとシフトしていってしまった。恥ずかしい、という感情は非常に厄介で、少なくともにとっては処理の難しいものだった。つまり赤面している時間が伸びてしまうのだ。
「褒められてる気がしない……」
「ああ。ただの感想だ。それに私が世辞を言う性格に見えるか?」
「見えないでっす……」
……無言で見守ることに徹している篠原は、この状況を改めて振り返り、暁の参入に改めて胸中で感謝したのだった。
と什造のやりとりはたまにとても物凄く見ている側まで恥ずかしくなることがある。それが今日はとびきり強めだった。一人では色んな意味で持たなかっただろう。什造はともかく、感化されているのかも時々たがが外れるから油断ならない。
――会った時から、まあ、ある意味どこか変わってはいたけれど。
そしてそれ以外でも現在進行形で変わった人間であることを見せつけられている。不快ではない。寧ろ、彼女が様々な表情を浮かべる生活を送れている事実が嬉しかった。
その笑顔が“喰種”に襲われたときと同じものであることを抜きにしても。
仕事を見つけ、友人を見つけ、好きな人を見つけ、人並みの生活を送ってほしい。
什造と共にいたがる彼女のことが、什造のパートナーである篠原の目に入る機会は必然的に多くなる。きっとそのせいだろう。篠原は、のことも気にかけるようになっていた。
「そういえばアキラ、ちゃんと何の話してたんだ? ちょっと気になる」
「ああ。大したことではないのですが」
篠原に呼ばれ、暁はファイルを見せながら応じた。
「がもし正式に喰種捜査官となったら私がクインケを手配する約束をうっかり酒の席でしていたらしく、そのことについてです」
「へぇ……。ちゃんもやる気満々だね」
「はい。ですがアルコールが回った私はそのことを先日まで失念していたため、落ち込ませてしまいました」
什造に甘えていた理由はそれか。今日のの情緒不安定ぶりにようやっと篠原は納得がいった。
「だから大慌てで今こうして話を持ってきたわけです」苦笑しながらも暁の声は楽しそうだ。
そんな暁に、篠原は、聞いてみたくなった。
「……ちゃんのこと、どう思う?」
「出会った時から良い意味でしつこいです。私の父のことを、篠原特等から聞いたと大はしゃぎで」
「俺から? ああ、そういえば話したけど……」
「おそらく彼女の中で、特等からお聞きした話がどんどん膨らんでいったんでしょう。まさしく狂喜乱舞といったふうでした」
気恥ずかしそうな、何とも言えないその声音から、篠原は何となくがどう暁へぶつかっていたのか想像できた。見た目通りのおっとりさ、相反する猪突猛進さが彼女には同居しているのだ。
「……結構ミーハーなところあるけど、悪気なくて真っ直ぐなだけだから気にしないでやってね」
「承知しています」
もしが本当に捜査官となり“喰種”と相対するとしたら。
什造のなにか、あるいは什造自身を目指して努力しているのは傍目にもわかる。
夜な夜な――時には真昼間から――、什造と共にほとんど独学に近い形で行われている特訓も継続中のようだった。
以前も抱いた懸念。はどうしたいのか。本当に捜査官が彼女の目指すところなのか。ただ闇雲に『什造のため』と掲げる彼女には無理なのではないか。
篠原の思いとは裏腹に、彼女は、着実に戦うための道を選び、進み始めている。
本当に大丈夫なのだろうか。
ここまで篠原が心配するのには、もう一つ大きな理由がある。
超のつく近眼で眼鏡を手放せないは、眼鏡をかけていても何処か抜けており……
「あっいっだあっ!!」
「何でそこでテーブルにぶつかっちゃうんですかチャン」
什造とは真逆の、とても危なっかしい運動音痴体質だと思われるからだ。
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